【010】王妃からの提案
「で、どうする? 消す?」
王宮の一室。
重厚感のある扉と婚約者に挟まれ、ロズリーヌは困ったように眉を垂らした。
「使用していないからといって、無断で部屋に入っては叱られるわよ」
厳しい妃教育を完璧にこなしていたロズリーヌは、順応力も高い。自分の婚約者の愛は少々重たいのではないか――とは思ったものの、すでにそういうものだと受け入れている。
それでもなお、吃驚することは間々あるが。
「相手が相手だから、少し手間と時間はかかると思うけれど、やってできないことはないと思うよ」
ロズリーヌの言葉には反応せず、セレスタンは穏やかな笑みを湛えたままそう提案した。
「ええ……本当に、相手が相手ね」
二人の言う『相手』とは、王妃とアーロン王子のことである。
「陛下宛に伯爵家と公爵家から抗議の文を出すのは当然として、殿下の側近候補を辞退すべきかもしれない」
「でも、セレスタンさまが辞退すると、アーロン殿下がお困りになるんじゃないかしら」
「……じゃあ、君は許すの? 私から君を取り上げようとしたのに?」
本日、王妃の名で、ロズリーヌは王宮に呼び出された。立場的に拒否することもできず、登城したところ、案内された一室でロズリーヌを待ち構えていたのは、王妃とアーロンの二人だった。
そして、王妃は微笑みながら言ったのだ。
――アーロンと婚約するように、と。
無論、セレスタンとの婚約は、国王も承知していることなので、断る以外の選択肢はない。
ところが、王妃は「婚約は解消してしまえばいい」とまで言う。
結局、どうにかこうにかなあなあにすることで切り抜けてきたロズリーヌだが、どこでこの話を聞きつけたのか、さっさと帰宅してしまおうと歩いていたところで、セレスタンに捕まったのだった。
「これはやっぱり、消すしかないよね?」
ん? と小首を傾げるセレスタンの頭の中には、もうそれしか無いらしい。しかも、本当にやってのけてしまいそうなのが怖い。
アーロンの『側近候補』となってはいるものの、事情があってその状態に留まっているだけで、実際には内定が出ているも同然なほど、優秀な人材なのだ。
「ええと、一回落ち着きましょう」
「大丈夫。足がつかないような方法を選ぶから」
「……セレスタンさま」
ロズリーヌの声に、いよいよ呆れの色が乗る。
「それにしても、なぜ今さら君を?」
重たい愛情を惜しむことなく見せるセレスタンだが、引き際は心得ていた。スッと話を変える。
「簡単に言うと、アーロン殿下に見合うご令嬢が見つからない、といったところかしらね」
王妃の居丈高な態度を反芻しながら、ロズリーヌは言った。思い出すだけで、ほんの少し嫌な気持ちになる。
「なるほど? でも、それは完全に王妃のミスだろうに。自業自得でしかないね」
セレスタンが、鼻白んだ様子で嘆息した。
「そうね」
ロズリーヌも同意する。
「そもそも、現時点で『見合う』ご令嬢を探していること自体、間違っているわ」
「まあ、現時点でということになると、君以外いなくなるからね。信じられないことに」
基本的に、王子の妃になる娘は育てるものだ。
無論、本人の資質はあるだろうが、それを見極めたうえで、長いこと教育を施さなければならない。例えば、ロズリーヌが十年以上もの年月を費やさねばならなかったように。
しかし、アーロンには現在、婚約者はおろか、婚約者候補となる令嬢もいない。
王妃が選り好みしていたからだ。
この令嬢はマナーがなっていない、この令嬢は見目が悪いと、ひとつでも気に入らないことがあれば、それだけで婚約者候補から弾いてきた。
そうしているうち、同世代の令嬢たちは続々と婚約を結んでいき、選り好み云々ではなく、選択肢すら無くなってしまったのだった。
そこに現れたのが、妃教育を終える間近のロズリーヌである。
(それはもう、とっても都合が良いでしょうね)
ふと、視界の端で、黄味がかった淡い褐色が揺れた。その先端が柔らかく頬に触れ、くすぐったさにロズリーヌが肩を竦める。
身体を寄せ合うような接触を控えているらしいセレスタンにしては、珍しい行動だった。
「……さっさと婚約しておいて良かった」
吐き出された息が、首筋を撫でる。
「婚約を解消させる手段はいくつもあるけど、それでもある程度の壁にはなってくれるだろう」
宥めるように、ロズリーヌがその広い背中に手を回すと、セレスタンは少しだけ困ったように微笑んで、体を離した。
「私の婚約者を呼び出したそうですね」
このまま帰宅するというロズリーヌと別れたセレスタンは、しれっとした顔で執務室に戻ってきていたアーロンを見て、開口一番にそう言った。
アーロン王子ときたら、ロズリーヌとセレスタンの婚約がすでに成されていると知っていて、黙ってロズリーヌとの見合いに出向いたのだ。
裏切りもいいところだろう。
「一応言っておくが、俺の意向ではないし、彼女には断られたよ」
「当然です」
「まあ、彼女が婚約者になってくれるのが、一番収まりが良かったのは事実だけどな」
セレスタンが絶対零度の視線を向けると、「冗談だ」――アーロンは降参だと言わんばかりに両手を軽く持ち上げる。
「本気だったら、殿下のお側を離れなければならないところでした」
とても冗談とは思えないその言葉に、アーロンは小さく息を吐いた。
母親である王妃の横暴さはわかっている。あれを抑えきれないでいるのは、自らの力不足によるものだ。
「それは困る。お前には今後も支えてほしいと思っているんだから」
「なら、ロズリーヌを私から取り上げないことです」
「……お前……」
「そんな奴だったか?」アーロンが戸惑い露わに、頬を引き攣らせる。セレスタンは何も言葉にせず、ただ美しく微笑んだ。
そんな側近候補の初めて見る姿に、アーロンは「なるほど」とひとつ頷いて。
「なら、より深みに嵌まる前に忠告しておこう」
その瞳に、若干の憐れみを映し出しながら、掠れた声でこう言った。
「お前は――いや、他の誰であっても、あいつには敵わないよ」
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