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一生とは言わないけどしばらく絶縁してくれ

作者: 呈茶

 



 私の吉川千春よしかわ ちはるの両親は過保護だと思う。それは共働きでしかも二人の帰りが夜遅いからだったかもしれない。

 それゆえに、当時の私としては困った事もあった。


 小学生になった時、チャイムが鳴っても玄関を開けたり勝手に外に出てはダメだという吉川家での約束は、友だち相手には無効だと思っていた。だから、小学生となり新しくできた友だちが家に遊びに行きたと言われて家に招いたその夜、インタフォーンを確認した両親にすごく怒られた。


 高校生となった今だからわかるが、私は怒られた内容を勘違いしていた。チャイムを鳴らして家に入れたからではなく、両親に話をせずに友だちを招いたいことが問題だったのだろう。


 けど勘違いしたままの私は、友だちにその話をした。


「……チャイムを鳴らして入っちゃダメなんだって。めちゃくちゃ怒られた」


 彼はその話を聞いて、首を捻った。


「うーん、じゃ今度から呼ぶよ」


「呼ぶ?」


「ああ、千春ってさ、外から。でもお前の家結構デカいからな聞こえるかわかんないけどな」


 それは良い、これなら両親も怒らないだろう。そう思った私は彼のアイディアを自分の渾身の案のように二人に言った。


 その結果、どういう訳か一人だった通学は彼、柴田しばた 一輝かずきと二人で行くことになった。そして、彼の叫び声を聞いて私は家を出るのが私の新しい日々だった。もちろん親にはどうだ、問題ないだろうというドヤ顔付きだ。

 まあ家に招くのではなく、登校だったので両親からしたら意味わからなかったに違いない。


「意外と家近いんだね」


「だな! 今度俺の家にもこいよ、兄貴のゲームが色々あるぜ」


「……うん! 行く」


 私たちはよく遊んだ。家が近かったのもあったけど、お互いの家にあった物が全然違ったことで明日はどっちの家で遊ぼうかというのが楽しみだった。


 この関係は中学になっても変わらなかった。


「ドラマのレンタルしたから、うちで見ようよ」


「良いけど、ちゃんとお前の父さんに言ったか? ちょーこえーんだぞ」


「今回は言った。大丈夫」


「頼むぜ、マジで」


 高校生になっても私たちの関係は変わらなかった。


 まぁ、流石に家の前で朝私の名前を呼ぶことはなくなったけど。


石原いしはら 桃音ももねって知ってるか? 俺告白されたんだ」


 そしてそれはどちらかに恋人が出来たからって変わるものではないと、そう思っていた。


「良いじゃん、桃音ちゃん可愛いよね」


 一輝に彼女が出来た。当然だ、一輝は凄く良いやつだし、話てて楽しい。顔もカッコ良いし、むしろ何で今まで居なかったのか不思議なくらいだ。


 一輝の初彼女に私は浮かれた。当然、一輝はもっと浮かれてと思う。


「なぁ、初デートってどうしたら良いと思う?」


「うーん、この間見た映画はどう? あれ二回見ても面白いと思うし、定番でしょ? 映画館デートって」


「確かに。あれ良かったよな」


 うんうんと頷く一輝に私はにやりと笑った。


「じゃあ、後で感想聞かせてね」


「ん? 一緒に見ただろ」


「違う。デートの」


 当然でしょ、と言うと一輝はそりゃそうかと笑った。




「どうだった? どこまで進んだ?」


 友人のデート話ほどワクワクするものもないだろう、一輝と会うなり私は尋ねた。


 私の質問に彼は渾身のドヤ顔でもって答えた。

 

「──キスした」


「おぉぉ……」


 前に写メで見せてもらった桃音ちゃんの顔を思い浮かべる。具体的には、薄いグロスの塗ってある柔らかそうな唇を。


「ど、どうだった?」


「どうって……まぁ、これがキスか……ってなったな」


「語彙力!」


 普段、ドラマや映画の感想を言い合っている時の語彙力はどこに行ったのだろうか。この時にいかさずいついかすと言うのだろ。


「いや、そうは言ってもさ。千春もすればわかるぞ、こうなるって」


 こっちに彼氏がいない事をわかってて言っている顔だった。なんて事だ一輝は恋人マウントする人間に変わってしまったのだ……。


 もし、桃音ちゃんが初キスだったとして、こんな感想が飛んできたら泣いてしまうぞ。

 私ならへこむ。現に彼氏を作るのは当分いいかという気持ちだ。


 ──あ、モテない訳じゃないから。高校生になってから結構告白されるから。と、謎の自己答弁をしながら変わってしまった一輝に注意をしておく。


「それ、桃音ちゃんに聞かれる前にいい感じの感想考えておきなよ。ふつーに傷つくからね」


「いい感じって何だよ。……うーん、ふわっとしてたけど、すべすべして柔らかかった、よ?」


「え、キモ。めちゃキモいよ」


 鳥肌だ。思わず真顔になってしまった。


「えっ……」


 シンプルにショックを受けた顔しているのに思わず笑いが溢れる。


「──ふふっ。でもマジだからね、絶対言うなよそれ」




 それからも、一輝と桃音ちゃんの恋バナを聞いたり、成り行きで一緒にデートプランなんかも考えたりと、友人の初めての恋人関係が上手く行くようにと色々と手を尽くした。


 それに一輝を通して聞く桃音ちゃんも凄く可愛かった。これが恋する乙女かと聞きながら口角がよくあがった。

 私と桃音ちゃんに直接的な関係性はなく、学校で見かけても挨拶するかどうかくらいの間柄だ。

 多分、向こうは私の名前すら知らないと思う。


 まぁそれが一輝に見せる乙女さとのギャップで更に可愛く見せるスパイスだったけど。この桃音ちゃんの可愛さを知っているのは私だけだと、彼女自慢に対してこちらもドヤ顔の応酬をした。



 ──きっとこんな感じで、私に恋人が出来たりしても一輝とはずっと友だちなんだろうなって、そう思っていた。


「ごめん。しばらく……絶縁してくれ」


 一輝の家に遊びに行ったある日、そう切り出した一輝の悲痛な顔は、この先忘れる事は無いだろうと思った。


「どういう事?」


 かなり深刻な話になる、そう予感してまぁ座れと一輝を彼の椅子に手振りで座れせ、自分も定位置となっているベットのクッションに座った。


 一輝はぽつぽつと語った。


 私と桃音ちゃんの交友関係も出来たら良いんじゃないかと思ったこと。


「ほら、千春も桃音と話してみたいって言っていただろ?」


 確かに何度か言った。桃音ちゃんとも気が合うと思ったし友だちになりたかった。頷く私を見て再び話し始めた。


「で、どんな人かと聞かれたんだ。まぁ当然だよな」


 そこで一輝は昔からの幼馴染で親友だと答えたそうだ。そして私と桃音ちゃんとでの共通エピゾードを語ったりして、桃音ちゃんとも話が合うだろうし呼んでもいいか、尋ねたらしい。


 それに対して桃音ちゃんは不機嫌を隠さない顔で一輝に質問したらしい。


「──もしかして、その幼馴染って女?」


 何か嫌な予感がしつつも頷くと桃音ちゃんは畳み掛けるように聞いてきたそうだ。


「ねぇ、待って。吉川さんってうちの学校の吉川千春さん? ち、違う……よね?」


「いや、そうだけど……何か不味かったか? 千春からは何にも聞いてなかったんだけどな」


「──っ」


 そこから彼女はその場にへたり込み、泣いてしまったそうだ。


 どうしたのか理由を聞いて一輝は悩みに悩んだそうだ。


 私と一輝の仲が良すぎて不安だと。

 一輝は私とは友人であって桃音ちゃんの思うような関係にはならないと。


 どれだけ言っても桃音ちゃん信じられなかったそうだ。


 一輝はため息を吐くように言った。


「千春の顔が、自分より可愛いくて信じられないんだとさ」


 この時ほど自分の顔の良さでショックを受けた事はなかった。


「──私の顔が良すぎて、ごめん」


 もっと両親が私をモブ顔に、いや私が男だったら、桃音ちゃんの心境も違ったのだろうか。桃音ちゃんも可愛いのに……。


「そうなんだけど……ずるいだろ、そのごめん。雰囲気が壊れる」


 くっと笑った後一輝は再び表情を引き締めた。


 まぁここまでさすがに私でも来れば後の事はもわかる。まだ顔の良さショックの抜けないまま私を尻目に一輝は話を再開した。


 ひとまず一旦時間を置こうと、言ったそうだ。もしかしたら違う考えになるかもいしれないと。

 けど、桃音ちゃんの状態はどんどん酷くなっていたそうだ。何でも今までは気が付いてなかっただけで一輝の影に私の存在が次々と見えてきたらしい。


 そんな桃音ちゃんの姿に一輝は本当にただの友人なんだと証明するために、私とのメッセージアプリの過去のやり取りを見せたらしい。


「え? バカでしょ」


 思わず呟いた。多分冷めた目で見ていたと思う。どうして相談してくれなかったのか。そんな事をしたら余計に傷付けるだけだろう。


 たまにあるのだ。このバカにはそういうところが。

 

「バカでした……」


 結果、私とのメッセージのやり取りを、というか私との交流をしないで欲しいとなったそうだ。そりゃそうだ。


「──で……しばらく絶縁して欲しい、と」


「本当に、すまない」


 萎んだ花のようになっている一輝を見つめてから、腕を組み目を閉じて思考を整理する。


 一輝はしばらくって言ってるけど、桃音ちゃんはそうは言ってないだろうな。


 ということは一生……絶縁?


 ……それは、嫌だな。私はこれからも一輝とくだらない話をしたり遊びたい。


 けど、二人の仲が上手くいって欲しい、その想いは今も変わらない。だから、こうなってしまったら私が距離を取るしかないだろう。


 ──仕方ない。長年の友の恋愛の為だ、本当に嫌だけど。


 私は目を開き、最後かもしれない親友の顔を見た。


 酷い顔だ、イケメンの見る影もない。──まぁそれは私もだろうけど。


「じゃあさ、一つ約束しよう──」


 きっと絞り出した声は震えていただろう。


 そうして、私たちは一つの約束と共に絶縁する事になった。




 一輝と絶縁してからの私は、ふらふらと目的のない街歩きをする事が増えた。



 ポッカリと何かがなくなったような、あるいは逆に重い何かが胸を渦巻いているような、自分で思っていた以上の喪失感を持て余していた。


 私と一輝は友だちだった。けど、どれだけ言っても周りには伝わらないのかもしれない。

 アイツが女か私が男だったらこんな事にはならなかったのだろうか。


 そんな事をぐるぐると考える。


 これからは、面白そうなドラマを見つけても『これ楽しそうだから見よう』とも一輝に言えない訳だ。


 ヘコむ。というかあれからずっとヘコんでいる。


 多分、もっと早くに気をつけるべきだったんだろう。

 彼女持ちの彼氏の家に遊びに行く女とか、違う立場で聞いていたらあり得ないと言っていたに違いない。

 けど、一輝とは幼馴染で本当に気が合う友人だったんだ。それが私たちにとっての普通だったんだ。


 ぼーっと歩いていていたのが良くなかった。どんっと人にぶつかる感触があった。


「あっ、ごめんなさい」


「いえ、こちらこそ。……ん? 君、とても綺麗だね。良かったら、これからどうかな? 時間ある?」


 若い、と言っても私より年上に見える男性だった。


「…………」


 時間は、あった。きっとこのままだとただ後悔しているだけの時間が。



 ***



 俺、柴田しばた 一輝かずきは高校を卒業して大学生になっていた。高校2の春に千春と絶縁してもう4年になる。

 親友に彼女取って絶縁して欲しいなんて言った男の末路なんだろう。その彼女とも去年、大学入学と共に別れる事になった。


 お互いに上手くいっていないなと感じ取っていたので、節目というかこのままズルズルと行くよりはお互いの為に良いだろうと別れ話に了承した。


 まぁただ理由は思っていた事とは違ったし、すげー驚いたが。


「……分かった。一応、どうしてか聞いていいか?」


「──ごめんなさい」


 ただ泣いて謝る桃音から話を落ち着かせてゆっくりと聞き出した。


 どうやら俺に恋をしたのでなく、俺を通して千春を好きになっていたのかもしれない、と。

 それに気が付いたのは俺と千春の関係を絶ってもらってからだったと。

 正確には、絶ったからこそ分かったと。


 何を思って桃音がそう結論付けたのか俺にはわからなかった。ただその時は『そうか』としか返せなかった。


 桃音はとても酷いことしたと、二人の間を割く事をしてごめんなさいと何度も繰り返した。


 ……桃音がここまで謝る理由も推測がつく。


 千春が居なくなったからだ。


 高校1年生の春に友人と絶縁をしてから俺は、もしばったり遭遇したらと思うと、罪悪感と気まずさから千春の家を避けて行動する様になった。


 向こうも気を使ってくれたのか俺たちは夏休みまで出会う事はなかった。


 けど、何となくどうしているのか気になった、というか我慢出来なくなった。何せ最後にあった時の千春の顔がずっと脳裏にあったのだから。


 元気だろうか、そんな気持ちで見れたら良いな、くらいの気持ちで千春の家の前を通った。


 ちょうどその時、家から人が出てきた。それ自体はよくある事だった、千春の親の関係者だろう以前ならそう思ったはずだ。


 けど、その人達はどう見ても大荷物を運び入れる引越し業者だった。

 冷たい汗が出た。自分から湧き出る嫌な予感を必死に否定した。


 呆然と見つめる俺の目に入ったのは、知らない苗字の表札を持った笑顔の老夫婦だった。慣れ親しんだ吉川の表札はどこにも見つからなかった。


 そこからの記憶は無かった。千春との連絡手段も絶縁の証明として全て消してしまっていた。


 夏休み明け、千春が転校した事が告げられた。




 ……ただ泣いて謝る桃音を、別れ話の最中だし好きなの俺じゃ無かったしで、悩んだが……ゆっくりと抱き締めた。


「アイツとの事は桃音のせいじゃないよ。千春と俺が決めた事だ。気にするな、とは言わないけどあまり引きずるな」


 桃音に言われて絶縁を選んだのも、お前に笑顔になって欲しかったからだ。泣いて欲しかったわけじゃない。


 しばらくして多少落ち着いた桃音と最後に話し合って別れを告げた。


 こうして俺たちの恋愛は高校卒業と共に終わった。


 大学1年の時はそれもう酷いものだった。まぁ現在も大差ないが。


 何せ、高1の時から付き合っていた彼女が実は、俺のこと別に好きじゃなかったと言われてフラれたのだ。その事実はじわじわと俺にダメージを与えた。


 思い返せば、俺より千春の方が桃音とのデートを楽しみにしていた節さえあった。次のデートはいつだとか、プランが悪いだとか散々言われまくっていた気がする。


 ああ、ファッションの褒め方が下手くそだとも言われたような。いや、それに関しては可愛いんだから『可愛い』で良いだろうと今でも思っているが。


 そんな訳で俺は大学生になったから新しい彼女を、とはとてもならなかった。またその付き合った誰かを泣かせてしまう気がしたから。



 半分無気力になっていた俺は家でぼんやりとドラマを見ていた。なんとなく千春が好きそうなドラマだなと思いながら。


「──え?」


 嘘だろ? そんな気持ちと、そうであって欲しいという強い衝動で体が熱くなった。

 テレビから聞こえてくる声が、その姿が、俺に『そうだ』と訴えかけてくる。


 ドラマの内容も消し飛び、ただ流れるスタッフロールを凝視する。


 ──柴田 千晴


 「なんだそれ、柴田って」


 思わず笑ってしまう。芸名ってやつなんだろうけど、まさか俺の苗字と同じとは。

 俺のこと散々馬鹿って言いていたけどアイツも結構なものだろう。


 千春の最後の言葉が蘇る。


『じゃあさ、一つ約束をしよう──』


 俺は、すぐさまネットで千春の事務所を調べると家から駆け出した。


 電車に乗っている間にいろいろな事が渦巻いた。


 ……もし居なかったら? ……なんて声をかけようか? ……どうやって謝ろうか?


 また、俺と遊んでくれるだろうか。


 電車から降りたら、地図を確認しつつひたすら目的地へと走った。結構な人がいたから完全に変な目で見れてたけど気を使う余裕はなかった。


「……ここだ」


 その建物はパッと見ただけで、千春に会いたいからと言っても不審者として拒否されるだろう予感を感じさせた。

 けど、そんなものは昔から慣れっこだった。


 幼馴染の別れの際の泣き顔が蘇る。


『……約束?』


『そう、大事な約束』


 親友を呼ぶときに俺のやることは変わらない。昔から、俺たちが小学生だった時からずっと。


 俺は深く、息を吸い込んだ。



 ***



 私は考え事をしていた際にぶつかってしまった人に連れられて来たカフェに居た。

 多分ナンパだろうな高校生に手を出す大人はやばいって聞いたけど、それでも別になんか良いかもな。なんて考えながら、私は奢られた紅茶を置いて訪ねた。

 

『……それで話ってなんでしょうか』


『ええと、千春ちゃん? もうちょっと警戒してた方が逆に嬉しいなぁ、なんて。一応、こういう者でして」


 出された名刺を見ると、そこには私でも知っている大手事務所の名前があった。


「率直に聞くけど、芸能界に興味あったりしない? スカウトしたいんだ」


 結果的に私はその話を受ける事にした。両親も許可を出してくれた。それどころか、そういうのに慣れている高校への編入をするようにと家族全員でその地域に引っ越す事になった。


 多分、私がヘコんでいる理由にも察しがついていたのだろう。ピタリとある事を話さなくなったから。


 やっぱり私の両親は過保護だなぁと思った。


 両親の応援もあってか、ヘコんでいても何とかなる程の顔の良さなのか、新しい環境に身を置いたからか、私はこんなに早くドラマとかって出れるんだ、というくらいあっという間に出演する事になった。


 マイナーとか言ったら怒れそうだけど、そんな感じのドラマの脇役をそれなりに楽しみつつ私は新しい生活に慣れていった。


 そういえば、いくら私が面白いから一緒にドラマ見ようと言っても、時間がないと見てくれなかった父がドラマを見るようになった。と言っても自分が出てるドラマが家のテレビで流れることの違和感に耐えられずに今度は私が一緒に見ようとしなくなったけど。



 大きな役を受けて、それが放映されたと聞きき千春と絶縁してなかったら、アイツはなんて言っただろう。そんなことを考えていた時だ。


 事務所に居た私はふと、窓を見た。


 聞き間違えかな? ホームシックとは違うけどそういうアレだろうか。


 何せ此処は6階だ。そんな事──


「千春ーーーーーー!!」


 聞こえた、間違いない。間違えるわけがない。

 ずっとずっと聞いていた、私を呼ぶ一輝の声だ。


 走った。


 こんなにエレベーターを長く感じた事はなかった。


 また走った。


 こんなにバカな奴だとは思ってなかった。


 だってそうでしょう? 人の居る大通りに近い所で6階まで聞こえる声で何度も叫ぶなんて。不審者通り越してすぐに捕まってしまうよ。


 また、会えたなら。


『そう、大切な約束。もしまた……私に会う時があったら、遠慮なく声をかけて』


 笑い声とも泣きそうな声とも言えない、熱い何かが溢れた。


「──本当に、遠慮しないじゃん」


 もう一度叫ぼうとしている親友が、目の前にいる。


「……おう、約束だからな。元気してたか?」


 彼は、毎朝おはようと言っていた時のような笑顔を見せた。


「うん。もう……良いの?」


「あぁ、もう良いんだ。──ごめんな」


「ホントだよ……」


 もしまた会った時、なんて言ってやろうか。そう考えた事は何度も会った。まぁ、けど。


「うん。……──いいよ、許す」





 四ヶ月後。



 街中に一組の男女がそこに居た。


「よっ千春」


「んっ」


 男が片手をあげると女もそれに合わせて手をあげた。慣れ親しんだ気軽い挨拶だった。


「じゃ、行くか」


「……うん! 行こう」






 おしまい












 おまけ




「ところでさ、柴田千春って名前……あれ、どうしてだ?」


「……──わかるかなって、それだけ」


「……っ。それだけか」


「……」


「そうか、確かにわかったよ。ありがとな」


「……うん!」



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