親に大嫌いなパワハラ幼馴染との結婚を強要された俺。言いなりになるのが嫌なので、ある方法を使って両親と婚約者である幼馴染をざまぁしつつ自由に生きることにしました。
美人で才色兼備な婚約者がいる──そう話すと、大抵の人からは羨ましがられる。
そう、俺こと椿野夏輝には幼い頃から親が決めた婚約者がいる。とはいえ、別に俺自身は名家の御曹司でもなんでもない。
ごく一般的な家庭に生まれた、十七歳の高校生だ。
相手の家も、うちと似たようなものだ。中流家庭だし、別に良家というわけでもない。
婚約者の名前は、翠川珠莉。彼女と俺は同学年で、通っている高校も同じだ。
友人たちからは、よく「今時、許嫁がいるなんて珍しいね」と言われる。
だが、厳密に言えば俺と珠莉の婚約は親同士の口約束で決まったようなものなので、いわゆる許嫁とはちょっと違うような気もする。
というのも、俺の父親と珠莉の父親は高校時代の同級生で、大人になってお互いに家庭を持ってからも交友関係は続いていた。
そして──経緯はよくわからないのだが、ある時二人は「お互いに子供が生まれたらその子たちを結婚させよう」という約束を交わしたらしいのだ。
もちろん、お互いの子供が同性だったらその約束は無効になっていたのだが、生憎異性の子供が生まれてしまった。
それ以来、二人はその約束を実現させるべく俺たちを許嫁同士として育てたのだ。
とはいえ、俺は別に一人っ子というわけではない。淳という名前の、一卵性の双子の弟がいる。
俺が珠莉の婚約者に選ばれたのは、恐らく長男だからだろう。
弟は根暗な俺とは違い、明るく人懐っこい性格をしている。いわゆる、陽キャだ。
そのうえ友達が多いし、中学時代から付き合っている彼女だっている。
そう、彼は全てにおいて自由なのだ。恋愛だってちゃんと好きになった相手とできるし、たとえ別れたとしても誰にも何も咎められない。
対して、俺はと言えば。珠莉という婚約者がいるせいで、好きな人が出来ても告白すらできない。
内緒で他の人と交際しようものなら忽ち家族会議になり、有無を言わさず別れさせられるだろう。
大げさだと思われるかもしれないが、現に俺が他の女子を好きになったせいで何度か家族会議が開かれたことがある。
忘れもしない、六年前のあの日──当時、俺は小学五年生だった。
俺が学校から帰ると、なぜか母さんが神妙な顔をしてリビングのソファに腰掛けていた。
なんとなく不穏な空気を感じ取ったので、俺はこっそり自室に直行しようとした。
すると、突然母さんが俺を呼び止めたのだ。
「ちょっと、ここに座りなさい」
嫌な予感がしつつも、俺はソファに歩み寄り母さんの隣に腰掛ける。
母さんはため息を一つつくと、口を開いた。
「あなたのお友達のお母さんに聞いたんだけど……同じクラスに好きな子がいるらしいわね」
「えーと……」
思い当たる節がある俺は、言葉に詰まる。
つい先日、友人と対戦ゲームをしたのだが、その時不覚にも負けてしまったのだ。
その友人とは、事前に「負けたほうは罰として好きな人を教える」という約束を交わしていた。
恐らく、友人が親の前で口を滑らせて、その流れで自分の母親に伝わってしまったのだろう。
「おかしいわね……今、珠莉ちゃんとはクラスが違うはずでしょ? それなのに……どうして、同じクラスに好きな子がいるの?」
母さんは無表情のまま俺に詰め寄った。
そう、まるで「珠莉以外の女子を好きになるなんて許さない」と言わんばかりに。
「お母さん、口酸っぱくして言ったわよね? 『あなたには珠莉ちゃんという婚約者がいるんだから、絶対に他の女の子を好きになったら駄目よ』って」
母さんは、そう言葉を続けた。
確かに、両親からは物心ついた頃からそう言い聞かされてきた。
けれど、所詮は親同士の口約束。まさか、珠莉以外の女子に片思いをしたくらいでここまで咎められるなんて思わなかった。
「いい? 夏輝。あなたは、将来珠莉ちゃんと結婚するの。わかった?」
母さんは念を押すようにそう言うと、俺に「部屋に戻りなさい」と言った。
あの日言われた言葉と、母親の鬼気迫るような顔は未だに頭から離れない。
俺は日頃から自分の家族や翠川一家からの束縛を受けていた。
まるで皆で示し合わせたかのように、「お前は珠莉の婚約者なのだから、他の異性に目を向けてはいけない。珠莉に相応しい男になれ」と圧力をかけてくるのだ。
一体、なぜ? これは何かの罰なのか? もしそうだとしたら、俺がお前らに何をした?
特に、弟の淳まで一緒になって圧力をかけてくるのは意味がわからなかった。
あいつは両親と同じように、小学生の頃から「お前は珠莉ちゃんの婚約者なんだからな。ちゃんと自覚を持てよ。珠莉ちゃんを泣かせたら、俺が許さねぇから」と口癖のように言っていた。
双子とはいえ、自分は兄だ。なんで弟にここまであれこれ指図をされなくてはならないのだろう。
常々疑問だったが、それを指摘すれば余計うるさくなるのは目に見えていたのでぐっと堪えることにした。
「そういえば、今日はバイトのシフト代わってくれって頼まれていたんだったな」
その日の授業を終えた俺は、そう独り言ちながらも帰路につく。
今日は淳も部活がないらしいし、もしかしたら家にいるかもしれない。顔を合わせると何かと面倒だし、バイト先に直行して向こうでゆっくりしよう。そんなことを考えながらも、俺は早足で歩いた。
バイト先までは、自宅マンションの前を通らなくてはいけない。淳と鉢合わせをしないように、俺は周囲を警戒しながら進む。
マンションの前まで来ると、ふと見覚えのある三人の女子高生がいることに気づいた。
あそこにいるのは……クラスメイトの羽鳥と本郷、そして──俺の婚約者である珠莉だ。
(相変わらず長袖しか着ないんだな、珠莉は……)
ふと、紺のベストに長袖のシャツといった暑そうな格好をしている珠莉を見てそう思った。
季節的にはもう初夏だが、珠莉はたとえどんなに暑くても半袖は着ない。
というのも、珠莉の腕には目立つ傷跡があるからだ。本人いわく、物心がつく前に不慮の事故に遭って怪我して以来その傷が残ってしまったとのことだった。
(それにしても……あいつら、なんでうちのマンションの前で屯しているんだよ……)
遠回りをしようかとも考えたが、そうするとバイト先に着くのがぎりぎりになってしまう。
話に夢中になっているようだし、もしかしたら気づかれずに通り過ぎることができるかもしれない。
きっと、大丈夫。うまいくいく。そう自分に言い聞かせると、俺は三人に気づかれないことを祈りながらも直進した。
「あ、椿野じゃん。……えーと、兄のほうだよね?」
俺の存在に気づいたのか、羽鳥が突然そう尋ねてきた。
何食わぬ顔で通り過ぎようとしたが、どうやらばれてしまったようだ。
彼女が「兄のほうだよね?」とわざわざ確認してきたのは、俺と淳が見分けがつかないほどそっくりだからだ。
特に今は髪型も似ているから、制服を着ている時は喋らなければ淳に間違われるほどだ。
嘆息しつつも、どうするべきか迷っていると──
「はぁ……馬鹿ね。見た目は同じでも、夏輝は淳くんとは全然違うわよ。ほら、よく見てみなさいよ。隠しきれない陰キャオーラが漂っているでしょ?」
そう言うと、珠莉はニヤニヤと醜悪な笑みを浮かべながら俺を指さした。
そう、まるでギャルがクラスメイトの気持ち悪いオタク男子を蔑み嘲笑するかのように。……いや、その例えはギャルに失礼か。ギャルの中でも、性格のいい人は沢山いるしな。
とにかく、俺の婚約者──翠川珠莉は、昔からこういう女だ。俺が何も言い返せないのを良いことに、友人の前でこれみよがしに馬鹿にするのだ。
「それに、どう見ても淳くんのほうがイケメンでしょ。まあ、顔は同じだけど、夏輝の場合は性格が根暗だしちょっとねー」
「……ねえ、珠莉。あんた、一応夏輝の婚約者でしょ? いくらなんでも、こき下ろしすぎじゃないのー?」
成り行きを見守っていた本郷が、冗談っぽく笑いつつも珠莉に向かってそう指摘した。
もしかしたら、彼女なりに助け船を出してくれたのかもしれない。
つまり、俺は日頃から彼女の友人から同情をされるほど、こっ酷くこき下ろされているのだ。
「ま、まあ……私は正直迷惑しているんだけどね。でも、うちのお父さんは夏輝のことをすごく気に入っているから。だから、仕方なく結婚してあげる、みたいな?」
本郷から指摘を受けた珠莉は、心なしか頬を淡紅色に染めながらそう返した。
そんな彼女を見て、俺は心底辟易した。……何故なら、珠莉の心の内を見透かしているからだ。
その実、珠莉は婚約者である俺のことが好きなのだ。なのに、素直になるのが格好悪いとでも思っているのか知らないが、小さい頃からずっと俺をボロクソに貶して嫌いなふりをしている。
そして、散々こき下ろした末にいつも同じようなセリフを吐くのである。
『私は嫌で仕方がないんだけど、うちの親が将来夏輝と結婚しろってうるさいから』
──反吐が出る。とはいえ、そういうのが好きな男が一定数いるのは頭では理解している。
でも、はっきり言って俺は無理だし、生理的に受け付けない。そう、俺は珠莉のそういう「素直になれない部分」も含めて大嫌いなのだ。
一度、友人に胸襟を開けて相談したことがあるのだが、その時は「何言ってるんだ? 素直になれない彼女なんて可愛いにもほどがあるだろ? 惚気けるのも大概にしろ」と逆に説教されてしまいまともに取り合ってもらえなかった。
恐らく、彼女は「どうせ結婚する仲なんだから、こいつには何を言っても許される」とでも思っているのだろう。その胡座をかいたような舐め腐った態度も、彼女を嫌いになる要因の一つだった。
(『きっと本心では好きなんだろうから、許してやれ』と? ……冗談じゃない)
過去に友人に言われた心ない言葉を思い出し、更に腸が煮えくり返る。
所詮、他人事だからそんなことが言えるんだろうな。実際にやられてみろ。可愛くもなんともないし、ただ憎たらしいだけだぞ。
「あはは……酷いなぁ、珠莉」
珠莉からの駄目出しを受けた俺は、当たり障りのないように頬をポリポリかきながら苦笑した。
下手に言い返せば、彼女の家族や自分の家族からの圧力が余計に増すだけだ。
だから、俺はいつもこんな風にへらへらと笑ってやり過ごすしかないのだ。
「まあ、とにかく……駄目出しされたくなかったら、私に相応しい男になりなさいよ。わかった?」
「う、うん……わかってるよ。ごめん。あのさ、俺、これからバイトなんだけどもう行っていいかな? 今日、シフト代わってくれって頼まれちゃって」
「はぁ? バイト? 何やってるのよ、早く行きなさいよ。遅刻したらただじゃおかないからね」
(お前らが呼び止めたせいで足止め食らったんだろうが……)
そう思いつつも、俺は必死に笑顔を貼り付けながら本心をひた隠しにする。そして、角が立たないように三人に軽く会釈をしてその場を立ち去った。
***
数日後。
今日は日曜日だから家族はみんな家にいるようだが、俺はバイトを入れていた。
できることなら、家族と顔を合わせたくない。そんな気持ちもあって、俺は休日になると逃げるように出かけたりバイトに勤しんだりしていた。
「あ、スマホ忘れた……」
家を出て五分ほど経った頃。俺はようやく、俺は自分がスマホを忘れたことに気づく。
まあ、どうせ友人も少ないし日頃から連絡もめったに来ないから大して困らないのだが。
そう思いつつも、休憩時間に暇つぶしができないのは困るので一旦家に戻ることにした。
「あれ……?」
ドアを開けると、玄関に見慣れない男性物の靴が置いてあった。
少なくとも、俺や淳の靴ではないし、父さんもこんな靴を履いていた記憶がない。
ということは、自分と入れ違いで客でも来たのだろうか? 怪訝に思いつつも、俺は忍び足でリビングのほうまで歩いていった。
「──もう一度聞くけどさ……兄貴たちは、本当にそれでいいのか?」
不意に、家族以外の誰かの声が聞こえてきた。
リビングのドアが僅かに開いていることに気づいた俺は、隙間から中を覗いてみた。
父さんと母さんが並んでソファに座っているのが見える。その向かい側には、ここ数年会っていなかった叔父──幸也さんが腰掛けていた。
雰囲気から察するに、どうやら二人に詰め寄っているようだ。
更に、三人から少し離れたところでは淳が腕を組みながらその様子をじっと見つめていた。どうやら、彼もこの話し合いに参加しているようだ。
(もしかしたら、親族会議か何かか……? もしそうだとしたら、わざわざ俺抜きでやる理由は何だ?)
頭の中で疑問符が乱舞した。
「いきなり訪ねてきて何を言い出すかと思えば……お前には関係ないことだろ? 幸也。」
暫く沈黙が流れた後、ようやく父さんが口を開いた。
次の瞬間、幸也さんが突然怒号を上げる。
「全然、関係なくないだろ!? 夏輝は俺の甥っ子なんだから! あいつが翠川家の生贄になろうとしているっていうのに、黙って見過ごせるかよ!」
幸也さんの口から飛び出した言葉に、俺は唖然とする。
(俺が、翠川家の生贄だって……? 一体どういうことなんだ?)
彼は昔から正義感の強い人だった。それに、俺のことも可愛がってくれていて、小さい頃はよく色んな場所に遊びに連れていってもらったりした。
口ぶりから察するに、恐らく俺が日頃から理不尽な扱いを受けていることを知り抗議してくれているのだろう。
幸也さんは昔からちょくちょく我が家に出入りしていたが、俺が珠莉と無理やり結婚させられそうになっているという話自体は初耳だったらしい。
「仕方がないだろう? 俺たちは、一生あの一家には頭が上がらないんだから。なぁ?」
父さんは、幸也さんから隣にいる母さんに話を振った。すると、母さんは深く頷きながら言った。
「ええ。珠莉ちゃんは、小さい頃から夏輝のことを気に入っていた。だから、あの子が夏輝を欲しがっているなら言う通りにするしかないのよ。……だって、私たちが珠莉ちゃんにできる罪滅ぼしといったら、それくらいしかないんだもの」
(罪滅ぼし? さっきから、一体何の話をしているんだ……?)
「あのさ、叔父さん。叔父さんは、夏輝が不幸だと思っているからそんなこと言うんだろ?」
困惑していると、不意に黙って成り行きを見守っていた淳が口を開いた。
「……? そうだが……?」
「あーいや、まずそこからして間違っていると思ってさ。とりあえず、俺が見ている限り夏輝は全然不幸なんかじゃないよ。表には出さないけど、実はあいつ結構珠莉ちゃんのこと気に入ってるんだぜ?」
「そ、そうなのか……?」
淳の話を聞いた幸也さんは、意外だったのか目を丸くしている。
とんだ三文芝居だ──と言いたいところだが、淳は嘘をつくのが異常にうまい。
現に幸也さんも信じかけているし、言い包められるのも時間の問題だろう。
「うん。形的には珠莉ちゃんと強制的に結婚させようとしているように見えるかもしれないけれど、夏輝は叔父さんが考えているほど嫌がっていないんだよね。寧ろ、珠莉ちゃんみたいな可愛い子と結婚できるなんて嬉しいと思っているんじゃないかな?」
淳は、さも俺が珠莉のことを好意的に思っているかのように言った。
「いや……でも、やっぱり夏輝本人の口から聞くまでは信じられないよ」
「うーん……そっか。まあ、そうだよね」
予想とは裏腹に、幸也さんは思い直したのか「簡単には信じないぞ」とばかりに淳に強い眼差しを向ける。
「じゃあ、今度夏輝に直接聞いてみなよ。それで、良くない?」
淳は幸也さんにそう提案すると、不意に俺のほうに視線を向けた。
そして、まるで俺の存在に気づいているかのようにニッと口角を上げたのだ。
(……っ!?)
俺は慌ててドアから離れた。
もしかして、盗み聞きしていることに気づかれた……?
額にじっとり汗が滲み、心臓が早鐘を打つ。とにかく、一刻も早くここから立ち去りたい。
やっとの思いで玄関まで歩いてくると、俺は音を立てないように細心の注意を払いつつもドアを開けた。
さっき、淳はどうして笑っていたんだろう? やっぱり、俺に「そこにいるのはわかっているんだぞ」とアピールするためだったんだろうか?
そこまで考えて、俺はふとあること気づく。
──いや……淳は、きっと俺が幸也さんに助けを求められるはずがないとわかっているんだ。
何故なら、俺は今まで一度も自分の家族や珠莉に反抗できたことがないから。
だからこそ、彼はそれを見透かしたように笑っていたのだろう。
***
数日後。
その日の授業が終わったので帰ろうとしていると、廊下でなぜか淳に呼び止められた。
「この後、何も予定がないなら一緒に帰らないか? 話があるんだ」
「え?」
俺は耳を疑った。
彼が俺と一緒に帰りたがるなんて、小学校低学年以来だからだ。
きっと、何か魂胆があるに違いない。だから気が進まなかったが、自分に拒否権などないことは分かり切っていたので首を縦に振るしかなかった。
「あ、ああ……いいよ。二人で一緒に帰るのなんて、随分と久しぶりだよね」
波風を立てないように上辺だけの笑顔を浮かべながらそう返すと、淳は「ああ、そうだな」と頷いた。
学校を出て十五分ほど経った頃。気づけば、俺は淳に連れられて子供の頃よく遊んだ公園に来ていた。
そういえば、あの頃は俺たち兄弟と珠莉の三人でこの公園で仲良く遊んでいたな。
今はギスギスしているけれど、こう見えて俺たち三人にもそれなりに仲がいい頃があった。
ノスタルジックな気分に浸りつつも、周囲を見渡す。
当時から活気がなく寂れた公園ではあったけれど、今もそれは同じだった。設置してある遊具もそのままだし、あの頃と全然変わっていない。
──変わってしまったのは、俺たち三人の関係くらいだ。
「さてと……それじゃあ、順々に話していくとするか」
ベンチに腰掛けた淳は、いつになく神妙な顔でそう言った。
彼に自分の隣に座るよう促された俺は、気が進まないながらも渋々ベンチに座った。
「話すって、一体何を……?」
俺は首を傾げながらも聞き返す。
すると、淳は俺を見据えて言った。
「──なぜ、夏輝が珠莉ちゃんと強制的に結婚させられそうになっているのかについてだよ。知りたいだろ? 理由」
「え……?」
淳の口から飛び出した意外な言葉に、俺は目を剥いた。
(俺が珠莉の婚約者としてあてがわれた理由? ただ単に、珠莉の父親と自分の父親が若い頃に『お互いに子供が生まれて、その子達が異性だったら結婚させよう』と口約束をしたからじゃないのか? あ、でも……)
不意に、数日前に母さんが言っていた言葉が脳裏をよぎる。
そういえば、あの時──確か、『罪滅ぼし』って言っていたような……。
「……教えてくれるのか?」
「ああ。もう、潮時だろうからな」
淳は頷くと、どこか遠い目をして語り始めた。
「──事の発端は、十四年前のある日。ちょうど、俺たちが三歳くらいの頃のことだな。その日、翠川夫婦から頼まれて珠莉ちゃんを預かることになった母さんはこの公園で俺たち兄弟と珠莉ちゃんを遊ばせていたんだ」
「この公園で……?」
俺は首を傾げる。いまいち、話が見えない。
「ああ。最初のうちは三人で仲良く砂場で遊んでいたんだが……母さんがちょっと目を離した隙に、珠莉ちゃんがいなくなってしまったらしいんだ。ちなみに、母さんが目を離した理由は夏輝が急にぐずりだしたからだって聞いてる」
「俺が……?」
「ああ。なかなか泣き止まなかったせいで母さんは暫くの間、夏輝にかかりっきりだったんだ。まあ、お前は記憶にないだろうけど」
「全然、覚えていないな。……それで、結局珠莉はどうなったんだ?」
珠莉がどうなったのか気になって仕方がない俺は、淳に早く続きを話すよう催促する。
「珠莉ちゃんがいなくなったことに気づいた母さんは、俺たち兄弟の手を引いて夢中になって公園中を捜し回った。そんな中、ふと母さんは雑木林のほうから話し声が聞こえてくることに気づいたんだ」
俺はごくりと固唾を呑む。
自然と、視線が公園と隣接している雑木林のほうに向いてしまう。
なんとなく、嫌な予感がした。けれど、なぜかその話に聞き入ってしまう。
「……母さんは、俺たちを連れて恐る恐る雑木林の中に入っていった。そして、話し声を頼りに進んでいると、突然少し離れたところにある木陰から子供の悲鳴が聞こえてきたんだ。それを聞いてただ事ではないと思った母さんは、意を決してその木に駆け寄った。そしたら──」
「……!」
ここから先は、聞かないほうが精神衛生上いい。そう思いつつも、俺は耳を塞ぐことができなかった。
「……見知らぬ若い男と、泣き叫んでいる珠莉ちゃんがいたんだ。しかも、珠莉ちゃんは服を脱がされている上に、ナイフで腕を切りつけられて怪我をしていた。多分、抵抗されたから殺そうとしていたんだろうな」
「なっ……それって……」
「でも、なぜかその男は母さんに犯行現場を見られたのを悟るなり慌ててその場から立ち去ったらしい。その後、犯人は無事逮捕されたよ。近所では評判の好青年で、職場での人望も厚かったんだってさ。……でも、裏の顔は筋金入りのロリコン野郎だったってわけ」
驚愕の真実を知らされ、俺は困惑する。
でも、これで漸く腑に落ちた。だから、あの時母さんは「罪滅ぼし」と言っていたのか。
珠莉が頑なに腕が出る服を着ようとしなかったのも、きっとその事件で負った傷の跡を隠すためだったのだろう。
「で、でも……それと俺が珠莉と結婚させられそうになっていることに何の関係が──」
「つまり、さ。珠莉ちゃんは、夏輝が憎いんだよ。お前さえ泣き出さなければ母さんは彼女から目を離すことはなかったし、変態に連れ去られて性被害を受けることもなかったからな」
「……!」
「でも、同時に『初恋の相手』でもある。だから、珠莉ちゃんはお前に辛く当たっていたんだよ」
きっと、珠莉は愛憎相半ばする俺を一生縛り付けておきたかったのだろう。
つまるところ──珠莉と、彼女に「罪滅ぼしをしたい」と考えていたうちの両親の利害が一致したのだ。
彼女は幼い頃から俺のことを気に入っていた。ならば、とうちの両親は喜んで俺を翠川家に差し出したのだろう。
「……一つ聞いていいかな?」
「ん?」
「なんで、珠莉は被害に遭った時のことを覚えていたんだ?」
俺はいくらか落ち着きを取り戻すと、淳にそう尋ねる。
当時、彼女はまだ三歳。俺や淳が当時のことを覚えていないように、事細かく覚えているはずがないと思ったのだ。
「ある時、突然当時の記憶がフラッシュバックしたらしいんだ。もちろん、断片的な記憶ではあったけど……自分の腕の傷跡のこともあって、余計に気になったんだろうな。そして、彼女は両親を問い詰め真実を知ってしまった──それ以来、夏輝を憎むようになったって聞いているよ」
「そんな……」
俺は淡々と語る淳に恐怖を覚える。
同時に、あまりの理不尽さに腸が煮えくり返った。
「──というわけで。俺たち家族が許されるためには、夏輝の協力が必要なんだ。夏輝だって、父さんや母さんが一生翠川家に負い目を感じて生きていかないといけないなんて嫌だろ? だからさ……頼むよ。いい加減、珠莉ちゃんとの結婚を快く受け入れてくれないか?」
淳は両手を合わせて頼み込むようなポーズをしつつも、そう尋ねてきた。
とはいえ、それが頼みではなく強要であることはわかっていた。
(つまり、自分たちのために俺に犠牲になれって言いたいわけか)
「……言いたいことはわかったよ。でも、ちょっと考える時間をくれないかな? 五分でいいから」
「五分?」
「うん。俺、ちょっと近くの自販機で飲み物でも買ってくるよ。その間に、考えておくから」
俺は淳にそう伝えると、ベンチから立ち上がった。
「夏輝」
「ん?」
不意に呼び止められ、振り返る。
「最近、この辺りで不審者の目撃情報が複数寄せられているらしい。刃物を持った男が彷徨いていたんだってさ。……だから、気をつけろよ」
「え? あ、ああ……うん」
なんとも物騒な話だ。俺は頷くと、公園から出て自販機がある場所へと向かった。
(はぁ……一体どうすればいいんだ)
俺は大きく嘆息した。
もし自分が成人なら、とっくに家を出てあんな家族とは絶縁している。
でも、今の自分は高校生。仮に覚悟を決めて家出したとしても、資金が底をつきて野垂れ死ぬか、すぐに見つかって家に連れ戻されるのが落ちだろう。
仕方がない。一旦納得したふりをして、成人したらすぐに家を出よう。
成人の自発的な家出なら、警察はまず動かないだろうし。そして、家族や翠川家とは絶縁しよう。
そう、あと数年。数年我慢すれば、俺は──
(……いや、駄目だ。耐えられない)
正直、それまで耐えられる自信がなかった。
今ですら大きな精神的苦痛を受けているのに、あと数年も我慢し続けていたら家を出る前に壊れてしまう。
「はぁ……」
自販機で飲み物を買った俺は、気が進まないながらも公園に戻ることにした。
重い足取りで歩いてくると、不意に公園のほうから悲鳴が聞こえてくる。
「な、なんだ? 悲鳴……?」
(もしかして、淳か……!?)
公園の入り口まで走ってくると、何やら言い争うような声が聞こえてきた。
俺は気づかれないように、咄嗟に茂みに身を隠す。
「お前の母親のせいで、俺の人生は狂ってしまったんだ! どうしてくれる!?」
「な、なんでだよ! 俺には関係ないだろ!」
茂みに隠れつつも様子を窺っていると、うつろな目をした痩せ型の男が何やら淳に詰め寄っていた。
その男は、後ずさる淳をどんどん追い込んでいく。
(淳の知り合いか……?)
二人は暫くの間、言い争っていた。
けれど、男がスウェットパンツのポケットから何かを取り出した途端──淳の顔が一気に青ざめる。
「お、おい……やめろ……やめろよ!」
淳は腰が抜けたのか、その場に座り込む。
何事かと思い男の手元に視線を移してみると──彼の手には、切れ味の良さそうなサバイバルナイフがしっかりと握られていた。
(え……?)
呆気にとられていると、気づけば男は淳に馬乗りになっていた。
そして──
「う、うわ……やめ……ぐはっ……! う、ぐぁ……!」
淳の体に、容赦なくその鋭利な切先を突き立てた。
それも、一度ではなく何度も。ナイフを刺しては引き抜く動作を何度か繰り返したかと思えば、男は突然立ち上がりふらふらと覚束ない足取りで公園を出ていった。
「は……ははっ……やってやった……ざまぁ、みろ……」
俺は恐怖心で胸がいっぱいになりながらも、男の後ろ姿を見送る。
男が立ち去ったのを確認すると、俺はすぐさま淳のもとに駆け寄った。
「淳……?」
「う……ぐっ……あぁ……助け、て……兄……ちゃん……」
淳は今にも消え入りそうな声で俺に助けを求めていた。
いつもは偉そうに上から目線で呼び捨てにしてくる弟が、まるで小さい頃に戻ったかのように自分のことを「兄ちゃん」と呼んでいる。
こんな状況だけれど、なんだかそれが酷く虫が良すぎる気がして苛立ちを覚えた。
(物凄い出血量だ。このまま放っておけば──いや、放っておかなくても恐らく助からないだろうな)
ふと、自分が苦悶の表情を浮かべている弟を冷静に見下ろしていることに気づいた。
普通なら、こんな状況下に置かれたらもっと取り乱すだろう。けれど、不思議と死にかけている弟を見ても何も感じなかった。
(……もしかしたら、これは俺が自由になれるチャンスなんじゃないか?)
不意にそんな考えが頭をよぎった。
そして、気づけば俺はベンチの上に置いてあった淳の通学鞄と自分の通学鞄を交換していた。
淳とは好みが近いせいか、いつも似たような髪型だった。それに、通っている高校も同じだから着ている制服も全く同じだ。
顔も体型も髪型も、身につけている制服も同じ。互いの区別がはっきりつく特徴的なホクロなどもない。寂れた公園だから、恐らく目撃者もいないだろう。
だから──DNA鑑定さえされなければ、俺は今後「椿野淳」として生きていけるかもしれない。
そう、「今日この公園で殺されたのは椿野夏輝だった」という事実さえ作ってしまえば、俺は弟に成り代わることができるのだ。
常識的に考えたら、いくらそっくりな一卵性双生児と言えど片割れに成り代わるなんて無茶もいいところだろう。まず、親に見抜かれる。
けれど……幸か不幸か、うちは普通の家庭ではない。何しろ、保身に走った挙句自分の子供を罪滅ぼしという名目で他人に差し出すような親だ。
子供に興味がないのは明白だし、それっぽく振る舞っていればきっと成り代わっても気づかれないだろう。
交友関係に関しても、双子の片割れが殺されて塞ぎ込んでいるふりをすれば自然消滅していくだろうし、高校を卒業するまでの間ならなんとかそれで乗り切れるはずだ。
(……よし、やろう)
意を決して淳のほうに視線を移すと、いつの間にか彼は事切れていた。
俺は淳が絶命したのを確認すると、鞄の中から彼のスマホを取り出し救急車を呼んだ。
「あ、あの……兄が通り魔に襲われたんです! 何箇所も刺されているみたいで、もう血だらけで……お願いです、どうか兄を助けてください! 場所は──」
***
数日後。
俺の思惑通り、淳は「椿野夏輝」として死んだ。
淳を殺した犯人は、その後無事に逮捕された。血が滴るサバイバルナイフを手に持ちながら住宅街を徘徊していたところを近隣の住民が目撃し、通報したらしい。
しかも、その犯人は十四年前に幼い珠莉に性暴力を行った男と同一人物だった。
なんでも、事件の目撃者である母さんのことをずっと恨んでいたらしく、その報復として息子である俺たちを殺害しようと計画していたらしい。
犯人曰く、「あの女を殺すより、息子たちを殺してやったほうがダメージを与えられると思ったから」とのことだった。
(もし、あの時飲み物を買いにいかなければ俺も淳と一緒に殺されていただろうな……)
そう考えたら、途端に肝が冷えた。
とはいえ、あの男のお陰で俺は淳に成り代わることができたのも事実なので、なんとも複雑な心境だった。
とりあえず、両親は俺が淳に成り代わったことに気づいていないようだ。
俺自身がこの秘密を墓場まで持っていけば、恐らく一生感づかれることはないだろう。
そして、今日。非業の死を遂げた「椿野夏輝」の葬儀が執り行われる。
俺は身支度を済ませると、両親とともに斎場へと向かった。
斎場には予定よりも早く着いた。特にすることもないので席に座って大人しく待機していると、暫くして翠川一家が到着した。
翠川のおじさん、おばさん、そして珠莉は顔を曇らせたまま無言で席に着く。
おじさんとおばさんは、心ここにあらずといった様子だ。珠莉に至っては、泣き腫らしたのかせっかくの美貌が台無しになっている。
一方、俺の両親はと言えば──どことなく、晴れやかな顔をしていた。しかも、自分たちの息子が死んだ直後とは思えないほど落ち着いている。
そんな二人を見て、俺はなんとなく悟った。
(──きっと、夏輝が死んで肩の荷が下りたんだろうな)
夏輝は色んな意味で珠莉のお気に入りだった。
両親はそのお気に入りである俺を差し出せば珠莉に「許される」と思い、何が何でも夏輝と彼女を結婚させようと必死だった。
でも、その「お気に入り」は十四年前の事件の犯人の逆恨みによって十七歳の若さでこの世を去ってしまった。
だから、恐らく「これで全部ちゃらになる」とでも思っているのだろう。
でも──果たして、そんなにうまくいくだろうか?
そんなことを考えていると、一度席についた珠莉が突然立ち上がり、何故か俺の方に向かってつかつかと歩いてきた。
(もしかして、成り代わったことがばれたのか……?)
俺は戸惑った。けれど、慌てている素振りを見せれば相手の思うつぼだ。なんとか、平常心を保たなければ。
そして、珠莉は俺の側まで歩いてくると、今にも泣きそうな顔をして詰め寄った。
「酷いよ、淳くん! なんで、夏輝を守ってくれなかったの!? 私たちのこと、応援してくれるって言ったじゃない! 絶対に夏輝を私から離れないようにするって約束してくれたでしょ! なのに、なんでみすみす殺させたの!?」
「……」
珠莉の口から飛び出したのは、意外な言葉だった。どうやら、俺の正体に感づいたわけではなさそうだ。
正体を見破れないくらいだから、所詮、珠莉にとって椿野夏輝という人間は都合のいいサンドバッグでしかなかったのだろう。
彼女にとって夏輝は苛立ちをぶつけられる相手であり、依存できる相手でもあった。
夏輝に自分が事件の被害者になった責任を取らせて逃げられないように外堀を埋めることで、日頃から心の安定を保っていたのだ。
(でも、まさか本当に淳の言動を真似るだけで騙し通せるとは思わなかったな……)
正体がばれたのかと思い一瞬焦ったが、どうやらその心配は杞憂に終わったようだ。
「……ねえ、おじさん。おばさん。夏輝が死んだからって、責任から逃れられると思わないでね。こうなったら、一生かけて償ってもらうから」
「え……? じゅ、珠莉ちゃん……?」
「そ、そんな……夏輝は死んだのよ!? これ以上、私たちにできることなんて……」
珠莉に詰め寄られた父さんと母さんは、顔面蒼白していた。
それもそのはず。やっと自由の身になれると思ったのに、珠莉にそれを否定されたのだ。
まさに、絶望の淵に突き落とされたような心境だろう。
「絶対に逃がさないから……」
珠莉は憎しみのこもった目で二人を見る。その様子を見て、俺は胸がすく思いだった。
もしかしたら、今後両親が「淳と結婚したらどうだろう?」と血迷った提案をするかもしれないが、恐らく珠莉は淳を夏輝の代わりとしては見れないだろう。
それに……多分、珠莉は淳に対して負い目がある。先日淳のスマホを見て初めて知ったのだが、どうやら彼は頻繁に珠莉からの相談に乗っていたらしく、そのせいで恋人と過ごす時間も大分減っていたみたいだった。
当然、その恋人とはうまくいかなくなって別れを切り出されたのだが、その件に関して珠莉は平謝りをしていた。
さっきは気が動転していたせいか淳を責めていたが、平常時だったら間違ってもあんなことは言えないだろう。
何はともあれ……一先ず、「傍観者」としての立ち位置を手に入れることには成功した。当面の間は、「淳」に危害が及ぶことはないだろう。
(とはいえ……こんな狂った連中といつまでも一緒にいるなんて御免だからな。高校を卒業したら、すぐに家を出よう)
そして、両親や翠川一家とは一切関わらないようにするのだ。
そう決心すると、俺は「椿野夏輝」の遺影を見据えた。
(自由になるきっかけを与えてくれてありがとう、淳。俺、お前の分まで生きて幸せになるよ。……だから、安心してあの世から見守っていてくれ)
言い争う両親と珠莉を横目に、俺は密かにほくそ笑んだ。