29・磁場の中心は、いつでもシーナさんだ……。②
うわ。
シーナさんを描いてる。
部分的な目だけのシーナさんに、ざっくり描かれた立ち姿のシーナさん。
麗香さんの彼氏の美容師にカットされた今の姫カットより前の雅樹の記憶の中のシーナさんたちが、色んな切り取られ方で描かれている。
ちょっと……いや、かなり引く。
遠藤からも雅樹が描いている絵が見えているはずなのに、全然気にしていないから気がつきもしなかった。
なんで遠藤もこんな雅樹の隣で勉強できているんだろうか。それはそれで怖い。
俺が多方向にドン引きしていると、遠藤がいい笑顔で雅樹に話しかけた。
「今日はポテチ食おうぜ!オレ、のりしおとコンソメな!
雅樹はうすしお味とか好きそうだな!
大河はなに味がいい?」
「ポテチ以外の選択肢はないのか」
「茎わかめか?」
「何でだよ」
これだけ近くで遠藤が話しかけても、もう雅樹は反応もしない。
雅樹が天野化している。
たしかにあの集中力は欲しいとは思ったが、雅樹の今の姿を見ているとこれじゃない感が強い。
というか、同じクラスでシーナさんの絵を一心不乱に描き続ける奴が2人いるって正直怖い。
「よし!解けた!
じゃあ、帰る前にここに寄るからな!」
勝手にお前ら帰るなよ!
オレを待ってろよ!」
ノートと鉛筆から視線を動かさない雅樹を見て、嬉しそうに遠藤は言うと、文字通り走って出て行った。
あいつ、雅樹の天野化を楽しんでるな……。
バスケのプレーヤーとしては飛び抜けた能力を持っているのに、遠藤のクセの強さにチームメイトたちがついていけていない。引きずられながらも唯一まともに相手ができているのが俺だけの状況だ。
その遠藤が雅樹に懐き始めている。
思わず額に手をあててしまうが、どうにもシーナさんの周りは磁場が狂っているのかと思うくらいに、ゆっくりと人が変になるようだ。
自分も巻き込まれて狂うのかと思うと、まだ10月にもなっていないのに、背筋が冷えた感触がした。
事件が起きたのは、帰りのホームルーム前のわずかな時だった。
雅樹が天野のスケッチブックを見て、
「下手くそ。シーナはこんなんじゃない」
と、暴言を吐いた。
普段の穏やかな雅樹からは、思いつきもしない天野を傷つけるためにだけ吐き出された言葉だった。
……
5校時目の授業を終えて、あとは帰りのホームルームだけになった休み時間。
すべての部活が休みになっているから、みんな帰る用意を始めていた。
週末の休みと週明けのテストを前にして、さわさわと落ち着かない空気が教室の上の方にあるような、少しだけ浮き足だった中途半端な時間。
そのゆるんだ空気の隙間をかいくぐるようにして、異変は起きた。
俺が机の中に置きっぱなしにしていたノートと教科書を机の上に出していると、雅樹も机の中に置きっぱなしにしていた物を取り出しているのが見えた。
中身を確認するように、ぱらぱらとページをめくった後、席を立った。そして、まっすぐに天野の方に向かった。
天野もすぐに帰るつもりなのか、すでにひとりだけロッカーからカバンを持ち出していた。
そのカバンにスケッチブックを詰めこんでいるところに、雅樹が向かっていた。
また天野の絵を見に行ったのか。
俺は残念なものを見るような視線で、天野からスケッチブックを受け取る雅樹の背中を見ていた。
そんなにシーナさんのことで頭がいっぱいなら、もう直接会いに行けばいいのに。
通りすがりの見知らぬ人でも、あの2人の様子を見れば、互いに好き同士だと分かるくらいだ。
いい加減、シーナさんを彼女と認めて付き合えばいいのに。
外野の俺は、簡単にそう思ってしまうけれど。
ただ、恋とか、彼女とか、付き合うとか、キスするとか、言葉や概念としては知っているけれど、それを自分の感覚全部できちんと理解しているのかというと、正直ぜんぜんピンとこない。
雅樹もシーナさんを守ることについては、小学生の頃からずっと考えていたみたいだけど。
自分が男という立場で、女性としてシーナさんとの関係を作り出すというのは……。
なんていうか、うまく言葉にできないけど、感覚的に今までと違う気がする。
綺麗な幼馴染のお姉さんが、自分にだけ好意を隠すことなく、いつでも隣にいてくれるのは、それは子どもでも嬉しいと思う。
ちょっと女子が気になり始めるこの年頃なら尚更。
でも、いきなり“それじゃない”関係をキスひとつで自覚させられてしまったら。
………う〜ん。混乱する、だろうなぁ。
俺は身長がある分、年齢よりしっかりしているとか言われることが多いけど、ただの中学2年だし。
2年前ならなんでもなかったことに、苛立ったり、モヤモヤしたり。
言葉にできないことが、結構増えてる。
その言葉にできないけれど、確かに感じているものとか、基本的な了解事項とかそういうものが、雅樹とは何となく同じようなことが多くて、一緒にいる時間が長い。
それでも、シーナさんが絡むと雅樹は俺とは違うなと、いつも思う。
よくわからないけれど、やっぱり、雅樹を雅樹にしているのは、シーナさんなんだと思う。
そういうのがあるから、雅樹にとって大事な人なんだろうと言いたいけれど、うまく伝えられる気がしない。
「なんとかならんかなぁ……」
迷走する雅樹が、天野ともども中間テストの勉強を放棄するのは、なんとか止めたい。あと、遠藤の勉強を見られるのは、雅樹しかいない。俺には無理だ。
天野のことと、雅樹のことと、2つまとめて相談するなら姉しかいないなと、改めて考えていると、雅樹の声が聞こえた。
「下手くそ。シーナはこんなんじゃない」
それは、ちょうどクラスの喧騒が消えた数秒間に言われたことで、思いのほか、その声は教室に通った。




