28・水面に石/テスト前の木曜日(3/3)
「え?」
夢から覚めたように、天野がぼんやりと視線を宙に漂わせる。
数秒間、フラフラと空中を彷徨った後、ようやく僕と視線があった。
「あ、雅樹」
「天野、今描いている絵って、シーナ?」
噛んで含めるように、僕はゆっくりはっきりと、もう一度天野に尋ねた。
「うん?……あ。ああ、うん。そうだね。シーナさんだね」
「……どこで会ったの?」
「えーと、駅前の和食のお店。
昨日、家族で食べに行ったら、シーナさんがいて。それで、もうひとり綺麗なおねえさんがいて……」
そう言いながら、天野の視線はスケッチブックの方に戻りだして、再び鉛筆を動かそうとした。
それを僕は無理矢理に止める。
「ねえ、シーナはそのお店で働いていたの?」
「……うん、靴を預かってくれて。
それから、料理を出してくれて、飲み物も。
着物姿がきれいで、もうひとりのおねえさんと一緒に並ぶとそれだけで」
「そのおねえさんって、悠河さん?」
ぼんやりとした声で答えながら、天野は鉛筆を一度置いて、教室の中を見回した。
「……あれ?授業って終わったんだっけ?」
「……天野、お前大丈夫か?」
天野の前の席から男子生徒が心配そうに声をかけてきた。
今日一日中、ずっと天野はこんな状態だったらしい。
「先生に指されなかったからいいけどさ。
ずーっと絵を描いているから、ヒヤヒヤしてたんだぞー」
「うーん、でもまだ描きたい」
「おおい、あとはホームルームだけで終わるから、我慢しておけよ」
本気で心配な様子で、天野に今日渡されたプリントの説明を始めたので、僕はそれ以上の質問ができなくなった。
それでも往生際悪く、天野の机の隣に立って会話が途切れるのを待っていた。
だが、後ろの方から、「雅樹!終わった!置いてくからな!放課後にまた来るからな!」と遠藤の叫ぶ声が聞こえたので、それ以上粘ることもできず、自分の席にしぶしぶと戻った。
*
「駅前の和食の店?
それ、たぶん、姉ちゃんのバイト先だ」
「そこにシーナも行ってるみたい」
「……マジで?」
ホームルームが終わると同時に、鉛筆とスケッチブックを鞄にしまいこんで、脱兎の勢いで天野は帰ってしまった。
もっと詳しく聞こうと思っていたのに。
「シーナさんがそういうの嫌っているのは姉ちゃんも知ってるのに……何があったんだろ」
「へえ、じゃあ見に行こうぜ」
「遠藤、お前にそんな余裕はないだろ」
放課後、来週から始まる中間テストの勉強のため、全ての部活が今日から休みになった。
遠藤をひとりにすると絶対に勉強をしないと大河が断言したので、そのまま大河の家で勉強会になった。
僕たち以外に誰もいないリビングのテーブルで、やる気のない姿勢で座っている遠藤が口をとがらせて言った。
「大河のけちぃ。
えーと、オレも気になって勉強が手につかないから、その店にイキタイナー」
「気になってないだろ。
サボりたいだけだろ」
「いやいやいや、ほらほら、雅樹だって問題集開いてるけど解いてないじゃん」
得意げに遠藤はシャーペンを僕に向けると、「ほら、な」と嬉しそうに口角を上げた。
僕はそのシャーペンを叩き落とすと、遠藤の前に広げられている問題集に付箋をはりまくった。
「ここはせめてやっておかないと。暗記だし。点数取れないよ」
「社会科目って好きじゃないんだ」
「いいから、はい、30分」
学校から離れれば呼び出しもされないのに、なんでここまで遠藤の面倒を見ないといけないんだろう。
げんなりとした顔の大河が片手を上げて、「わりい」と言った。
その大河の顔を見たら、天野のスケッチブックに描かれた悠河さんの横顔を思い出し、そのまま連想で着物姿のシーナの絵を思い出してしまった。
「……着物、かぁ。
正月に麗香さんに着付けされていた振袖とは違う着物だったなぁ」
1問も手をつけていない問題集の上に肘をのせて、ぼんやりと頬杖をつく。
カリカリとシャーペンを動かす遠藤を正面に見ながら、今の時間と部屋にある財布の中身を照らし合わせて考えてみる。
「なぁ、大河。
悠河さんのバイト先って、料理の値段どれくらい?」
「……雅樹、やめておけ」
「なんで天野が知ってて、僕がまだシーナの着物でバイトする姿見ていないのかなぁ」
「……雅樹、やめておけ。お年玉とか大人に連れて行ってもらうとか、そのレベルじゃないといけない店だ。
それに、そもそもなんだけど、もうシーナさんと普通に会えるのか?」
その大河のひと言に、僕は固まった。
「あれあれ?雅樹、あの美人先輩とケンカでもしたの?」
「遠藤、まだ解き終わってない。黙ってやる。はい」
「………ちっ」
「舌打ちしない。ケンカはしていない。ただ会ってないだけ」
1週間、シーナに一度も会っていない。
顔は合わせたくない。
でも、シーナを見たい。
しかも、僕が見たことのない着物姿とか。
「……シーナには見つからないように、食事だけして帰るとか」
「お前、何したいんだよ」
「うるさい、黙って問題解け」
躊躇うことなく遠藤に八つ当たりをする。
シーナが着物でバイトする姿は見てみたい。
でも、直接シーナにはまだ会いたくない。
「……ライブカメラとかで見られないかなぁ」
「やめろ雅樹。お前までがそんなことを言い出すと収拾がつかなくなる」
頭痛をこらえるように、大河は額に片手をあてると、僕と遠藤の両方に向かって、「いいから、勉強しろ。黙ってやれ」と、もう片方の手を振って言った。
その後、それは大きな大きなため息を吐いた。
( ;´Д`)………。
( ;´Д`)……なんか、大河、その、すまん。




