28・水面に石/テスト前の木曜日(2/3)
「え?着物?」
「そう。オレが近づいても全然気が付かないから、じっくり見られた。
何?気になるなら見てくれば?」
「……うん、そうする。
はい、じゃあ遠藤はあと1問解いて」
問題集を開いて、トントンと指で叩いて示すと、「えぇ〜」と散歩を嫌がる犬のように、首をすくめて後退りした。
「はい、机貸すからここに座って。
あと3分で解いたら教室にダッシュ」
「雅樹の鬼……!」
無駄な抵抗をする遠藤の肩を大河がつかみ、僕が立ったばかりの椅子に無理やり座らせた。
「丸つけはしておくから、次の授業終わったらまた来て」
「スパルタの鬼……!」
いやいや。
絶対バスケ部の練習の方がスパルタだろう。大河がいつも言ってたし。
青ざめた顔で、大河に見守られながら問題集に取り掛かる遠藤が、「雅樹が優しくない……!女子ども、騙されるな……!」とかブツブツ言っているのが聞こえた。
それなら。
「勉強、女の子たちに見てもらったらいいんじゃない?」
そっと遠藤の耳元で言ってやると、急に無言でノートに計算式を書き始めた。
「わぁ〜、遠藤すごいなぁ。勉強熱心だなぁ」
適当に褒めてから天野の席に向かうと、遠藤よりも熱心な姿勢で鉛筆を動かす天野の背中が見えた。
あれ?
昨日までの腑抜けた天野じゃない。
ロボットの絵を描いているんだろうか。
最近思ったように絵の練習ができていない僕は、天野の熱心さに引き寄せられるように近づいていった。
覗き込んだ机の上にあるノートサイズのスケッチブックには、着物姿のシーナが描かれていた。
「え?」
思考が止まる。
天野の妄想でここまで描けるのか?
僕でもシーナの浴衣姿を思い出して描けと言われても、ここまではっきりとは描けない。
それに。
なんで着物?
突然の情報量の多さに、僕は動きが止まった。
止まったまま、天野の鉛筆が動くのを見ていて、さらに困惑が増した。
シーナの隣にいるのって、悠河さんじゃないのか?
え?なんで2人?
天野って悠河さんを知っていたっけ?
決して上手だとは言えないのに、熱意だけはありありと分かる天野の線は、どんどんとシーナと悠河さんの2人を創り出していく。
すごい。
思わず唾を飲み込む。
天野の絵に圧倒されていると、後ろの方から、「雅樹!解いたぞ!また後でな!」と叫ぶ遠藤の声にハッとした。
振り返って自分の席の方を見ると、遠藤が教室から走り出て行く後ろ姿が見えた。
廊下から「遠藤、走るなぁー!」と男の先生が怒鳴る声が聞こえた。
僕は棒立ちになったまま、天野の絵に呑まれていたことに気がついた。
天野の描いたシーナの絵は、僕が描くよりも、シーナだった。
呆然としたまま、僕は自分の席に戻った。
その後の授業は、ほとんど覚えていない。
頭の中は、天野が描いた絵のことでいっぱいだった。
どうして天野の描いた絵の方が、シーナだと思った?
僕の描いたシーナの絵は、何が足りていないんだ?
土田先生のように上手くなればいいと思っていた。でも。
天野の絵は上手じゃなかった。
体のバランスも、着物の描き方も、そんなに上手くなかった。
それなのに、シーナの表情が、シーナだった。
僕はその感覚を言葉にまで落とし込むことができないまま、混乱した気持ちで休み時間を迎えた。
*
休み時間を知らせるチャイムが鳴り響く。
先生が教室を出て、ざわつき始めたクラスの中、遠藤が解いた問題に丸をつけると、心を落ち着かせながら僕は大河に聞いてみた。
「天野と悠河さんって、知り合いなのか?」
唐突な僕の質問に、大河はゆっくりと首を傾けながら、不思議そうな顔で答えた。
「え?知り合いじゃないと思う……けど、なんでだ?」
「天野がさっきの休み時間に描いていた絵が、着物姿のシーナと悠河さんだった」
「姉ちゃんの?着物?」
すると急に腑に落ちた様子で、「ああ」と言った。
「着物なら姉ちゃんのバイト先で会ったんじゃないか?」
「シーナも?」
「え?」
「シーナと悠河さんの2人を描いていた」
「え?」
今度は怪訝な表情になると、眉間に皺を寄せて腕を組んで考えこみはじめた。
するとそこに遠藤が走り寄ってきて、僕の持つノートに指をさすと、「お!まるだ!やるな、オレ!」と元気に言うので、そっと新しい問題集を開いて「5分でこれ」と言って大河の席に座らせた。
「鬼!雅樹の鬼!」
「……姉ちゃんのところでバイト始めたのとか、聞いてないけど。
シーナさん、接客とか嫌いだろ?」
「うん。変なのが寄ってくるから、悠河さんと同じ仕事とかしなさそうなんだけど」
「おい!無視するな!」
「遠藤。それ解けなかったら、昨日断っていた子を探して呼ぶから」
「やめて!!雅樹、それはヤダ!」」
「とりあえず、天野に聞いた方が早いんじゃないか?」
「うん、そうだよね。そうする。聞いてみるよ」
大河を遠藤の見張りに残して、僕は心臓がドキドキと早鐘を打つのを感じながら、天野の席に近付いていった。
天野はさっきと同じ姿勢で、鉛筆を静かに走らせている。
新しいページに、新しい絵が描かれていた。
それは誰が見てもシーナだと分かる絵だった。
僕は、声が震えないように気をつけながら、天野に声をかけた。
「なあ、天野。それ、シーナだよな?」




