18・シュトゥルム・ウント・ドランク(3/3)
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木材のチップが敷き詰められている道の上をリズム良く走る。
右、左、みぎ、ひだり。
着地する瞬間と、蹴り出す瞬間の体全体の感触をひたすら味わい、そのリズムを整えていく。
腕の振りと背中の筋肉の動き具合。
そして呼吸。
すべてが合致して動くように、意識を凝らす。
歩道を挟むように立つ木立ちが、視界に入るとすぐ後ろに流れていく。
遠かった背中がひとつ、ふたつと、だんだんと見えてくる。
「雅樹、あいつらを抜けば先頭だ!」
「了解、大河!」
白シャツに黒のズボン姿のまま、学校指定の運動靴をはいて、大河たちバスケ部の外練習に勝手に混ざった。
中学校から近い運動公園の外周を走る。
1周回って、全体の真ん中の位置。
2周目の後半、ようやく先頭集団が見えた。
最初はぐちゃぐちゃだった頭が、走ることだけに集中している内に、少し落ち着いてきたように思うけど。
ただ、考えるのを放棄しているだけだ。
少し前を走る大河の腕の振りがわずかに早くなる。
ラストスパートをかける気だ。
息が苦しいけれど、大河に置いていかれたくない。
乾いた喉で無理やり唾を飲み込むと、僕も腕の振りを強くして、足に力をこめた。
「……ふっ、ざけんなよ、美術部が……!」
最後の最後で僕に抜かされた同級生の1人が、息を乱したまま睨んできた。
「絹田、短距離向きだから、気にするなよ」
「……うるさい、ばけもの」
見えていた先頭集団より前に、ひとりだけ走り終わっていたクラスメイトの男子が、涼しい顔で水を飲みながら雑に慰めている。
「……はぁ、雅樹、前より早くなってないか?」
「………た、たぶん、そう、かな」
夏休みの間、稽古前にランニングをたまにしていた成果だろうか。大河とそれほど差が無かった。
息を整えながら、大河と木陰に移動をする。
近くにある水飲み場で、水分を摂った。
さわさわとした梢の音。
遅れてゴールしたバスケ部員たちが僕を見て、何か喧嘩を売るようなジェスチャーをしている。
「スリーポイント勝負なら負けないぞー!」
「おとなしく絵を描いてろー!」
面倒くさいので、適当に手を振って終わりにした。
手を下ろして、鉄の柵に寄りかかる。
「……で、話は、今しておくか?」
視線を合わせないで、同じ方向を見たままの大河が言った。
「うーん、何も考えないで走ってたけど……とりあえず、武田さんに告白されて、シーナにキスされた、で合ってるよね?」
「俺もそういうことだと思ったけど」
「初めて女の子に告白されたから、正直どうしていいか分からない。大河ならどうする?」
すると大河は一瞬で嫌そうに顔をしかめた。
「俺に聞くなよ。
告白なんかしたこともされたこともないんだから」
「えーと、じゃあ部活の後輩に『好きです』と言われたらどうする?」
「どうするって……興味ない相手なら、ありがとうごめんなさいじゃないか?
雅樹は武田さんのこと、どう思ってるんだよ」
「どうって……部活の後輩としか」
眉間に皺をよせて、腕組みをする。
武田さん……。
一緒にお饅頭作ったりしたけど、普通にいい後輩だなぁとしか……。
「ん〜。
あ、好きとは言われたけど、付き合ってとは言われてな」
「前後の文脈でわかるだろ!告白前にシーナさんと付き合ってるかどうか執拗に聞いていただろう?
お前のよくわからないおおらかさが俺は怖いぞ!」
「おおらかって……だってはっきり言われてないのに、『付き合えません』って勝手に言ったら、自意識過剰じゃないか」
大河が呆れたように、大きくため息を吐いた。
「……告白されたことがないなら、されてないで、こんな弊害が出るのか。どっちにしても面倒だとは」
「初めて告白されたらどうしていいかわかるわけないだろう……」
「それで?シーナさんと付き合うの?」
やる気をなくした大河がしゃがみ込んで、僕を見上げながら言った。
「え、シーナと?」
付き合う?
付き合うって、彼女と彼氏?
そして、またキスとか……。
唐突に思い出した。
収まっていた混乱が巻き起こる。
一瞬で体中に血液が回る気配がした。
僕もしゃがみ込み、揃えた膝の上に額を乗せた。
「……ごめん、大河、やばいこと言っていい?」
「……本気でやばかったら、無視する。言ってみろ」
「シーナとのキス、ものすごく気持ちよかった」
「……そうか」
そのまま大河も僕も黙ってしまった。
遠くからテニスボールを打つ音と声が聞こえてくる。
結構遠くまで聞こえるんだな……。
「……正直、シーナの顔を見られる自信がない」
「……付き合えよ、面倒くさいから」
「付き合うってなんだよ。全然わかんない」
「お前、シーナさんと結婚するつもりなんだろ?」
「……そういうものだと思ってたけど、なんか、思ってたのと違うのかもしれない」
シーナと結婚すれば、家族になる。同じおうちに帰れる。
その感覚しかなかったんだなと、今さらながら僕は気がついたけれど、2回分のキスの感触が、頭から離れなくて、全然だめだった。
伏し目がちにしたシーナの青い目が近づいた時、感じたことのない熱をシーナから感じて、未知の感情が湧いた気がする。
でも唇への感触がすべてを吹き飛ばした。
その未知の感情とシーナから感じた熱を否応なしに理解するのは、嵐の日だった。
この時の僕はまだそれを知らない。
(*´ー`*)Sturm und Drang 直訳すると「嵐と衝動」
疾風怒濤の和訳の方が有名。
18世紀後半の革新的文学運動。ゲーテとか。
季節が変わるなら、荒天は必須ですからね〜(*´Д`*)
来週は、「雅樹、年上の女性に叱責される」です。お楽しみに〜




