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18・シュトゥルム・ウント・ドランク(2/3)

 


 ***



 雅樹せんぱいと大河さんが走って行ってしまった後、シーナさんが私を振り返ることなく、美術室に向かおうとしたので、腕をつかんで止めた。


「……何したんですか」

「キスしたけど?」


 分からなかったのと言わんばかりに首を傾けた。

 その青い目に、温度が無い。


「……けど、って」

「他に用がないなら、離して」

「……どうして、私がお饅頭に下剤を入れたって言わなかったんですか?」


 告白をしたとしても、薬を盛るような女の子は、ふられても仕方ない。

 そこを言えばいいのに。

 どうして、この人はそのことを真っ先に言わなかったんだろう。


「雅樹を傷つけたくないから」

「……それなら、なおさら言えばいいじゃない」


 不思議そうに青い目を瞬かせる。

 それだけでも、ビスクドールのような危うい美しさがある。

 悔しいけど、本当に綺麗な人だと思う。


「知っている人に薬を盛られるって、とても傷つくの。わたしは何度もあったから。

 微量の下剤でも、過剰反応してさらに体調を崩すくらいに」

「……何度も?」

「そう、何度も。優しいお兄さんだと思っていた人から、友だちと思っていた人から……いろんな人から」


 何も言うことができなかった。

 軽く言っているけれど、話の内容はかなり怖い。


「だから、雅樹が食べずに済んだのなら、言うつもりはないの。雅樹が傷つかないなら、わたしがお腹を壊すくらい、どうでもいいし」

「どうでも……」

「でもね、食べ物は大事にするように、わたしも雅樹もお父さんに教えられているから。もう2度と、薬入りを雅樹に食べさせようとしないで。

 もし食べさせたら、法を犯してでもあなたに復讐する」


 冷たい視線で見下ろしながら、そう言うとわたしの手を振り払って、美術室へ向かった。

 その後ろ姿を見て、何か恐ろしいものに関わってしまったような、重い予感を感じた。


 シーナさんは、危ない人だ。

 あの人の隣に雅樹せんぱいを置き続けることは、危険すぎる。


 何かが起きてからなら離せる?

 ううん。

 それはダメ。

 絶対にダメだ。


 何をしてでも、雅樹せんぱいをシーナさんから離さないと。

 わたしが、シーナさんから、雅樹せんぱいを救い出さないと。


 下剤を盛ったのは、ただ、お饅頭が少し古い餡子があったみたいだと、雅樹せんぱいと秘密を共有したかっただけ。


 餡子の出し入れを間違った私の失敗だから、多江おばあちゃんには内緒で。

 ただ、それだけを、望んでしまっただけなのに。


「……お腹が重苦しいのは、きっとシーナさんが怖いだけ」


 本当は他人に薬を盛ってしまったことへの罪悪感なのに、この時の私は気がつかないふりをした。


 悪いのは私じゃない。

 悪いのは、シーナさん。

 そう思っていた方が楽だから。


 大丈夫、お姉ちゃんと同じようにやれば、私も雅樹せんぱいと両思いになれる。

 きっと、大丈夫。


 はぁっと、大きく息を吐く。


 友だちより、彼氏がいれば、大丈夫。

 お姉ちゃんが言っていたとおり、友だちなんて、すぐに離れていくから。

 ずっとそばにいてくれる人は、男の子でひとりいればいい。


 うん。

 きっとそれで間違ってないから。


 私は何も無かったような顔で、美術室に入った。


 入った途端、視線が1箇所に集まっているのを感じた。

 視線の先は、部屋の中央に立つシーナさん。


「……え、何これ」


 一心不乱に、みんなの鉛筆が動いている。

 シーナさんとスケッチブックだけを往復して見ているだけ。

 誰も私のことなんて、気にもしない。


 ほんの数十秒、私より早く美術室に入っただけのはずなのに。


 一体何が。


 呆然と立ち尽くす私の近くで、何本かある替えの鉛筆に手を伸ばして、床に落とした人がいる。

 拾った鉛筆を渡すついでを装いながら、「どうしたんですか?みんなすごい集中」と、小声で聞いてみた。


 屈んだ時に見えた名札は、「天野」。雅樹せんぱいと同じクラスの人だ。


「わからない。さっき、シーナさんが『綺麗に描いてね』と、言って、そんで、回って、微笑んで、それが、とても綺麗で……」


 夢遊病者みたいな顔で答えられた。


 え、何?

 怖い。


「……あ」


 鉛筆を握ったまま、天野さんのぼんやりとした視線が動く。

 当然のように、視線の先にはシーナさん。


 シーナさんは無言で私たちを見ると、首の後ろから髪をかきあげて、横に払った。

 一瞬だけ、金色の光が広がる。


 そして、シーナさんはさっきと同じポーズになって、私たちから視線を逸らした。


 それだけなのに。


 夢に呑まれたように、ふらふらと動いて、スケッチブックと鉛筆を手に取ると、空いている椅子に腰を下ろした。

 そして、周りの部員たちと同じように、一心不乱に私もシーナさんを描き始める。


 何も考えずに。

 ひたすらに目の前のモデルを描きたいと思った。




 我に返ったのは、それから1時間以上が経った後だった。


 鉛筆をスケッチブックの上に放り投げて、誰も立っていない部屋の中央部を見て、重いため息。


 両手で顔を覆った。


「……な…んなの、あの人。

 怖すぎる」


 人を惹きつける力が桁外れだった。




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