17・もっと近づきたい(3/3)
なんで今このタイミングで来るんだよ!
背中に冷たい汗が流れる。
胃が痛い。
「……ああ、うん。その、ボールを届けに来たんだ」
答えながらシーナさんに視線を向けると、武田さんがまっすぐに俺の方に向かってきた。
「え、何を」
俺の目の前に立つと言った。
「雅樹せんぱい?」
「武田さん?」
それに答える怪訝な雅樹の声。
「雅樹せんぱい、今ちょっとボールが邪魔でドアを開けられないんです。シーナさんはお手洗いにさっき行きました」
「あ、うん。そうなんだ。
えーと、シーナをモデルにできるの、今日と明日だけらしいから、迎えに来たんだけど」
俺はドアノブを握ったままなので、ドアに向けて立つ武田さんの表情がよく見える。
シーナさんのことだけを雅樹が言った途端、武田さんの顔から笑みが消えて、無表情になった。
いやだぁ!この子も怖い!
「ねえ、雅樹せんぱい。雅樹せんぱいはシーナさんの彼氏なんですか?」
表情が抜け落ちた武田さんを見下ろした姿勢のまま、俺は崩れ落ちないように必死で膝を保たせた。
何か、武田さんから、シーナさんと同じ気配を感じる……!
「か、彼氏?!」
「告白したんですか?されたんですか?
異性として、男女として、恋愛対象として、付き合っているんですか?」
矢継ぎ早に武田さんが言った。
ドア越しに雅樹の動揺が伝わってくる。
だよな!
友人の俺がいるのに答えにくいよな!
「私、雅樹せんぱいのことが好きです」
ためらう雅樹を踏みつける勢いで、武田さんが告白をした。
いやいやいやいや!
ちょっと待て!
俺を間に挟んで告白するな!
俺の心からの叫びはどこにも届かない。
誰か助けて!!
***
初めて雅樹せんぱいに会ったのは、多江おばあちゃんの家に向かう途中だった。
大人の付き添いのない初めての訪問。
夏休みで家にはお姉ちゃんがいたけど、お姉ちゃんの彼氏が来たから出かけることにした。
お姉ちゃんのことは大好きだけど、彼氏と一緒にいる時のお姉ちゃんは、私を見ることもしない。
それが嫌で、拗ねたふりをして、いつも出かける。
そうすると、お姉ちゃんは嬉しがって、後から褒めてくれるから。
その日は猛暑日だった。
お姉ちゃんから借りた大人っぽい麦藁帽子をかぶって、多江おばあちゃんの家に行く途中、道に迷った。
「迷ったらスーパーに行って、電話してねぇ」
多江おばあちゃんにはそう言われていたけれど、そもそもそのスーパーの場所もわからなくなった。看板もあるから、見つけやすいって言っていたのに。
暑さと心細さで、切なくなった。
炎天下の道路には、道を聞くべき人も見つからない。
「……もう、やだなぁ」
転校前の同級生たちから言われた言葉を思い出して、さらに落ち込む。
こんな私を誰も助けてはくれない。
ぼんやりと歩道脇にある縁石にしゃがみ込む。
すると、自転車が止まる音がした。
「大丈夫?」
「……すみません、スーパーはどこですか?」
「あ、あそこのカーブミラー、見えますか?そこを曲がれば看板が出てるから、わかりますよ」
なんだ、通り過ぎただけだったのか。
立ち上がり、お礼を言って立ち去ろうとした時、目の前に手を出された。
「……あの」
「よければ、どうぞ。塩分補給のタブレット」
差し出された手の上には、飴玉のような小さな袋。
ラムネみたいな。
「……ありがとうございます」
「それじゃ」
そう言って、すぐに自転車は走り去っていった。
ぼんやりとした頭で、袋を開けて口に含んだ。
「……のど、渇いてる」
一言呟いてから、自分の体が熱中症になりかけているかもしれないと、気づいた。
スーパーにつくと、すぐに飲み物を買って飲んだ。面白いように体に飲み物が入っていく。
ひと息ついてから多江おばあちゃんに電話をすると、
「それは危ないところだったねぇ。でもいい人に会って、よかったねぇ」
と、言ってもらえた。
多江おばあちゃんは、私のことを叱らないから、好きだ。
お母さんに同じことをいったら、私の不注意をこれでもかと責め立ててくる。
「うん、いい人に助けてもらった」
多江おばあちゃんの言葉を繰り返すように言って、思った。
中学生くらいの男の子だったな。
また、会えるといいな。
そう思っていたけど、本当に同じ中学校で会えるとは思っていなかった。
あの時、麦わら帽子をかぶっていたから、相手からは私の顔ははっきりとは見えていない。
なんとなく、親切だったのは偶然じゃないかな、と思っていた。
同じくらいの男の子たちは、気まぐれに人を傷つけて、それを忘れたように、気まぐれで話しかけてくるものだから。
けれど、違った。
あの人は、ただ当たり前のように、親切にしてくれただけだった。
部活の見学に行った私に優しく微笑みかけて、話しかけてくれた。
ああ、私、この人のことが好きだ。
「雅樹せんぱい」
口にするだけで、甘く響くその人の名前。
もっと、近づきたい。




