2.美しいものに手を伸ばしたくなる気持ちは分かるけど①
「雅樹〜。はよーす」
「おはよう…大河」
「……なんか、疲れてないか?」
「毎日モデルやってるからだよ……」
「そんなに大変だとは、知らなかったんだ。わりぃ」
「本業のポーズモデルさんたちの凄さが分かったよ……」
朝から机にもたれかかってしまう。だるい。
シーナと土田先生に頼まれて、絵を描くためのモデルを始めてまだ2日。
わけのわからない筋肉痛や疲労感がすごい。
ポーズ自体も大変だし、シーナが心細いのかいつも以上にくっついてくるので、その不安を無くそうと気遣いをしているからか、余計に疲れる。
これもすべて松永のおじいちゃんがシーナの油絵を欲しいと言ったことがそもそもの発端だけれど。
相手は、あの松永のおじいちゃんだ。
シーナが描かれていればいいなんて、ゆるい判断基準で絵を買い取ったりしないだろう。
それこそ土田先生のプライベートな時間すべてを費やして、死に物狂いで描かれなければ松永のおじいちゃんのおめがねには敵わない。
気にいるものになるまで、リテイクを出し続ける。
松永のおじいちゃんは、そういう人だ。
1枚の絵を描くためにも、たくさん考えなければならない。
まだ、土田先生はその考えるところを始めただけだ。
だから、僕とシーナは美術部全員のポーズモデルとして、毎日頑張っている。
秋にある、市の美術展に出品する予定もあって、結構部員たちも真剣に描いている。
「決まった分だけ描けば、好きな時間に帰られるから入った部活だったんだけどなぁ……」
「え、そうなのか?シーナさんのお迎えのためだけに決めたようなもんじゃないか」
「部活は必ず入らなければならないって、決まりが無ければ入ってなかったよ……」
「うわぁ、愛が重い。すげえな中1でそんなこと決めてたのかよ」
「うるさいなぁ」
「でも雅樹は絵を描くの好きだよな」
「ん〜、よく見て紙に描き写すのって、充実感があるんだよなぁ」
「……お前の独占欲も大概だなぁ」
「うるさいなぁ」
のろのろと起き上がると、大河が可愛らしいメモ用紙を渡してきた。
「これ、姉ちゃんからの伝言メモ。朝渡された」
「あぁ、サンキュー。今日の待ち合わせ時間変わったんだ…ふーん」
「姉ちゃんにミセスドーナツ、俺の分も買っておいてって頼んでくれよ」
「大河が頼めばいいじゃん」
「忘れた〜って毎回言われる」
「あはは、悠河さんらしいな。わかった」
「サンキュー」
「真似すんな」
「ははっ」
他愛のないやりとりで、少し元気になったような気がする。大河と話すのは楽になっていい。
ふうっと軽く息を吐いて、カバンから教科書を取り出した。
夏服のシャツだけの上半身は、見つめられると全てを見透かされそうで、少し怖い。
モデルとして、部員たちに囲まれて立っていると、時々自分の中の見られたくないものまで見えてしまっているような不安に駆られる。
シーナへの独占欲。
本当はシーナにモデルなんてして欲しくない。
でも、僕の画力では今のシーナを描ききることはできない。
1日、ひと月、1年。
わずかな期間でも、シーナはどんどん可愛くなっていく。
それを残しておけるのなら、残したい。
僕の描いた絵でなくても。
今のシーナを美しい状態で、永遠に残せるなら。
少しだけ、このどす黒い気持ちに蓋をするくらい、我慢してやる。
けれど、体は限界だった。
同じポーズでずっといるのは疲れる。
だから、今日はお休み。
土田先生も出張でいないし。
シーナと一緒に、大河のお姉さんである悠河さんと放課後に遊ぶことにした。
遊ぶといっても、駅に近い店で漫画や小説の話をするくらいだけど。
「雅樹くんも気に入ったでしょ?」
「うん、まさか婚約破棄であんな話になるとは思わなかったです」
「でしょー?真坂先生の頭の中、本当にどうなってるのかわかんないよね!」
はははっと、軽やかに笑うのは、目の前の席に座る悠河さん。
僕は放課後になってから、シーナと一緒に悠河さんとミセスドーナツへ来ている。
「悠河の好みって、変よね」
「いいじゃん。雅樹くんとは合ってるんだし」
「ふーん」
「すねない、すねない。雅樹くんとったりしないから!あははっ、シーナはかわいいなぁ」
シーナと悠河さんは、中学時代から仲がいい。
大河に似た日に焼けた顔に、真っ黒なストレートヘアーが笑うたびに健康的に揺れている。
身長は大河と同じで、大きめだ。
真っ白な肌に金髪のシーナと対照的で、2人が並んでいると、対の人形のようだ。
鎖骨が見えるくらいにゆるめたシャツを前にかがめて、悠河さんが向かいの席に座るシーナから僕の方に体を向けた。
「大河に聞いたけど、今モデルやってるんだって?」
「うーん、でもきついです」
「ただ立ってるだけじゃないの?」
「同じ体勢をずっとは、きついですよ」
「あぁ、そうかぁ。勉強だってずっと机に座っているだけでも疲れるもんねー」
「悠河は勉強してるの?」
「んー。シーナと同じ大学入れるように頑張ってる。さあ!褒めて!」
「えー、やだ」
「シーナ冷たい」
なんだかんだ仲のいい2人だと思う。
なんで同じ高校に行かなかったのか、不思議なくらいだ。
シーナと悠河さんが話している間に、僕は目の前の皿にのったドーナツを黙々と食べる。
最近、とにかくお腹が空いて仕方がない。
この間の成長痛から食べる量が増えた気がする。
気づけば全部食べてしまった。
けれど、まだ物足りない。
もう少し食べようか、でもそろそろ店を移動するのかもしれない。
どうしようかと迷って、ショーケースに並ぶドーナツに視線を向ける。
すると。
「雅樹、ドーナツ買ってきていいかな。
秋限定のとか出てるんだけど、食べきれないから半分食べて?」
シーナが軽く首をかたむけて僕を見ていた。
(*´ー`*)雅樹の食べるものを管理したいシーナ。