16・雷鳴と豪雨のお知らせです。(2/3)
自転車を漕ぎながら見上げると、電線で切れ目が入ったように見える住宅地の空が見える。
太陽は薄く雲に覆われていて、西の方にはどす黒い雲が見えた。
冷たい風が通る。
「……雨、降りそうだな」
僕は少しだけ速度を上げた。
リビングに入ると、肩に薄手のストールを羽織ったシーナがソファに座っていた。
「サンドイッチ、買ってきたよ。あと赤ちゃんスナックも」
「ありがとう、雅樹」
弱く笑うシーナは、コップを両手で持って水を飲む。
「……久しぶりにお腹壊したなぁ」
まだぼんやりとしているみたいだ。
僕は手を洗ってから皿を出して、フィルムを剥がしたサンドイッチをのせる。
シーナのおうちルールで、出来合いのものでも袋から直接食べず、一度皿などに必ず盛ってから食べる。
お菓子も菓子器にうつすし、滅多に買わないけど、コンビニ弁当も皿に盛り付ける。
洗う手間が増えるけれど、それが当たり前になっている。
食べることは大切なことだから、その過程を粗末にしたくないと、エミルおじさんが何かの時に言っていた。
僕は盛り付けのセンスはないので、ただサンドイッチを皿に乗せただけ。エミルおじさんが盛り付けると、サンドイッチは半分にカットして見た目よく並べられてしまう。さらにサラダっぽいものまで添えられるのがパターンだ。
……そういう技は、兄さんが嬉々として覚えてやってるけど。僕も覚えた方がいいのかなぁ。
得意気に教えてきそうなドヤ顔の兄が脳裏に浮かんだので、とりあえず考えないことにした。
シーナのためにハーブティーを用意しながら、別のことを話して思考を切り替えよう。
思いつくのは下校前の武田さん。
「そういえば、武田さんもお腹壊してたみたいだったなぁ」
何気なく話してみる。
すると、シーナの動きがぴたりと止まった。
キッチンに立つ僕の方に体を向けると、驚いたように言った。
「……武田さん、も?」
「うん。僕が帰る時にちょうど美術室に向かうところで。
なんだろうなぁ。やっぱりお饅頭に何か原因があるのかなぁ。
でも、作ったその日に食べているし。僕もお饅頭もおこわも食べたけれど、大丈夫だったしなぁ」
「……ふぅん。そう」
シーナが目を細めて、不機嫌そうに眉を寄せた。
「シーナ?」
「ううん。モデル、休んじゃったなぁと思って」
ふるふると金色の髪を揺らしながら答えた。
「あ、そういえば土田先生から直接言われると思うけど、僕もシーナも中間テストあるから、モデルは今週までだって」
「え?雅樹の美術部のモデル?」
「うん。ミセス土田の絵画教室は土日に半日ずつにしたいって言ってたけど、僕の部活の方は今週……って言っても、明日明後日しかないけど」
「……そうね」
小さな声でシーナが答えた。
「土田先生は僕が希望すれば、絵画教室の方に参加していいって」
「うん、雅樹に描いて欲しい」
俯けていた顔を上げて、シーナが嬉しそうに言った。
「上手くは描けないからね?ファンタジー入るかもよ?」
「翼でも生えるの?ふふっ、雅樹の描くわたしなら、なんでもいいよ」
「……土田先生みたいなこと言うなぁ。もう」
土田先生もシーナも。甘いことを言ってくれるから、僕はそれにおだてられて軽く調子に乗ってしまう。
「あ、でも、シーナの体調が一番大事だから。
具合が悪いままだったら、明日は休んでもいいって」
「……んーん。行く。絶対、明日は行く」
「そう?大丈夫ならいいけど……」
シーナは肩にかけたストールをぎゅっと握りしめた。
「絶対に行く」
強く宣言するようにシーナが言った。
「そんなに気合いを入れなくても……」
駄々っ子のようなシーナに思わず苦笑がもれる。
「はい、ハーブティーとサンドイッチ」
「ありがとう、雅樹」
「どういたしまして」
僕もシーナと一緒のソファに座る。
シーナがサンドイッチを食べるのを見守りながら、熱いハーブティーを少しずつ飲んだ。
ゆっくりだけど、食べられるようになったシーナに目を細める。
甘いミルクティーは夕方になってから、作ろう。
食後に念の為の整腸剤をシーナが服用した後、僕は食器を片付けてから、家からカバンを持ち込み、数学の授業の復習を始めた。
静かな時間をシーナと過ごしていると、夕方近くになってから、窓ガラスを雨粒が叩き始めた。
窓際に立って外を眺めると、遠くの空で黄金の稲妻が走る瞬間を見た。
背景は真っ黒な雲。
「シーナ、雷だ。雨が強くなるかも」
言った瞬間に、子どもがおもちゃ箱をひっくり返したような音を立てながら、空から雨が落ち始めた。
***
「おーい、大河〜」
「はあーい、なんすかー」
部活終わりのボール磨きをしていると、先生に呼ばれた。
「明日は外に走りに行く前に、美術担当の土田先生にバスケットボールとこのバレーボールを持って行ってくれ」
渡されたのは、中の入ったバレーボールバッグと「バスケ部」と油性ペンで書かれたボールバッグだった。
「入る分でいいんですか?」
「ああ。なんか美術部で描くんだと」
「あー、球体は難しいって聞きました」
去年の夏休みに雅樹が唸りながら、美術部の課題でやっていたのを思い出した。
先生がため息をつきながら、頷いた。
「毎日触ってても、バスケのボールの絵柄、俺には描けん」
「……ですね。俺も描けません」
よく見たら、こいつら変な曲線が入ってる。回転させるとなんとなく原型の生地の形は分かる気がするけど、このままだとわけが分からない。
くるくると手の上で回している俺を見て、先生が言った。
「3日くらい貸し出すから、あんまりいいやつじゃなくていいからな。滑りやすいやつを選んでくれ」
「うぃーす」
表面がツルツルになっているものを選抜する。
「……大河、珍しくボール磨きじゃんけん負けたのか」
「なんか、ダメでしたね」
「試合の時にはツキを残しておけよ。あと遅くならない程度でいいからな」
「うぃーす」
返事をした途端、雷の音が響いた。
あっという間にどしゃ降りの雨になった。
もちろん、傘もレインコートも持ってきていない。
「……大河、お前、今日は、本当についてないな」
「……ですね」
この時、俺は気づいていなかった。
本当についてない時は、容赦なくついてないのだ。




