11・土田夫妻によるシーナの受難(2/3)
シーナをモデルに描いていた何人かの部員は、シーナの具合が悪いことを心配して、慌てて美術準備室のソファ周辺を片付けた。
僕はシーナに寄り添って、ゆっくりとソファまでエスコートした。
「シーナ先輩、ここにお茶のペットボトル置いておきますね」
「夏休みに差し入れでもらったやつなので、古くないですよ」
「……ありがとう」
ソファに横たわったシーナが、弱々しく微笑みを浮かべながら、お礼を言うと、
「……儚げな美少女……!」
両手で口元を押さえて、部員たちが声にならない悲鳴をあげるのが聞こえた。
「そ、それじゃ、失礼しますね……!」
心配しながらも、喜びに満ちた表情って、ああなるんだ。
複雑な心情を見事表現しきった部員たちは、にやけた顔に手をあてたまま、静かに準備室から出て行った。
残されたのは、シーナと僕だけ。
僕は床に膝をついて、シーナの顔をのぞきこんだ。
目を閉じているシーナは見慣れた顔なのに、整いすぎた人形のようで、僕は生きているのか不安になった。
頬にかかった髪をはらうふりをして、僕はシーナの肌に触れた。
触り心地のよい肌は、柔らかく、あたたかかった。
「……雅樹?」
「熱は、ないね。どうしたの?シーナ」
「……カメラが、嫌なの」
「この間、麗香さんもたくさん撮ってたよ?」
「おねーちゃんのは、スマホだから。あれは、まだへーき。
大きいレンズのついたカメラで、連写されるの、嫌なの」
「……そうなんだ」
「うん。だから、雅樹はわたしを撮るより、描いてくれるから、好き」
「……シーナ?」
急に真面目な声のトーンで、シーナに好きと言われて、ドキッとした。
シーナは目を閉じたまま、頬に触れている僕の手をとって、両手で首にあてた。
「だから、しばらく、休めば、だいじょーぶ」
「うん」
首筋に触れた手から、シーナの心臓が動く、とくとくとした脈が伝わる。
ふわりと、シーナの肌の匂いが、した。
「…………!」
ぴくっ、と、僕の指が反射的に動く。
シーナは目を閉じたまま、動かない。
僕は、たぶん、赤くなっている顔を隠すために、ソファに額ごと埋めた。
窓からは、心地よい風と、運動部の掛け声が音楽のように流れてきていた。
肩が固まって痛い。
ふっ、と、痛みが僕の目を覚ました。
ソファに埋めたままだった顔をあげると、シーナがぼんやりと天井を見上げていた。
「……シーナ?」
「雅樹、起きた?」
「うん」
身動きをしようとして、指先があたたかいものに触れていることに気付いた。
シーナの肌に触ったままだった。
慌てて手をシーナの首元から引っ込める。
シーナはまだぼんやりと僕を見ている。
「……シーナ、眠っていたの?」
「うん、夢、見てた、みたい」
「ふぅん」
「雅樹がまだベビーベッドの中にいるの」
「へ?」
「わたしが抱っこすると、嬉しそうに笑って」
「待って待って!シーナ!そういうのはいいから!」
急に赤ん坊の時の話をされるのは、心臓にわるい!
「ふふ、雅樹、ずっとそばにいてね」
ソファに横たわったまま、シーナが微笑む。
少し傾き始めた陽の光が、シーナのまつ毛に影をつくり、青い瞳が少しだけ翳って見えた。
僕は黙ってうなずこうとしたけれど、急に準備室の扉が開いた。
「……あの、そろそろ部活終わるそうですけど、シーナさん、大丈夫ですか?」
「あ、武田さん。もうそんな時間なんだ……シーナ、大丈夫?家まで帰れそう?」
シーナは無言のまま、ゆっくりと体を起こすと、
「大丈夫だから。戻って。
すぐ雅樹と行くから」
と、平坦な声で言った。
「まだ大丈夫じゃないんじゃないか?シーナ」
あまりにも抑揚のない声だったので、僕は心配になった。
けれど、シーナはふるふると金色の髪を揺らして、顔を横に振ると、
「大丈夫」
と、言った。
僕は武田さんに、すぐに美術室にいくと答え、準備室の窓をすべて閉めた。
外を見ると、西の空に広がる雲に、茜色がにじんでいた。
少しだけ、雲の多い夕暮れだった。
翌日は、念のためにということで、シーナの美術部でのモデルは休みになった。
そして、その休みが入ったことで、シーナの週末に予定が入ってしまった。
予定を入れさせたのは、ミセス土田。
「そんなに毎日、中学生とその教師のモデルだけをしていないで、私の絵画教室にも来なさい」
僕の部活が終わるまで、高校の図書室でシーナが自習をしている時、ミセス土田に捕まったらしい。
「ねぇ……な・ん・で、私が頼んでもやらなかったモデルを、中学校でやっているのかしら?」
シーナ曰く、
「顎クイされて、このままだと公衆の面前で、猥褻行為されると思った……」
だそうだ。
猥褻行為ってなんだ。
とりあえず、シーナは何かの危機感をおぼえたらしい。
まぁ、あの美麗なミセス土田だからなぁ……。
何しても周りの人が止められそうにないし。
「って、ええ?!それじゃあ、敬老の日も絵画教室のモデルやるの?!」
「雅樹ぃ〜」
帰り道、手を繋いだシーナが弱々しく答えた。
「お饅頭、作るのに、行けなくなっちゃった……」




