11・土田夫妻によるシーナの受難(1/3)
シーナの髪型でざわついた美術部も、翌々日になると落ち着いてきていた。
ただ1人をのぞいて。
「シーナくん!いいね!
そう!そのまま目線を下に!」
「……土田先生、落ち着いてください」
シーナを美の女神と賛辞してやまない土田先生のブレーキが壊れた。
むしろ、消えた。
家で描くために、画像を撮らせてくれと言い出してから、シャッター音がうるさい。
何百枚撮ったんだろう。
むしろ、この画像選別に時間がとられて、描く時間が消えるんじゃないんだろうか。
僕の呆れた視線に気がついたのか、急に居住まいを正して、シャツの腕まくりを戻した。
「……雅樹、お前にはまだ分からないと思うが、10代の少女が持つ美しさは、とても儚いんだ。
それを写し取り、残すことは美しさを追求する絵描きにとっても必要で」
「いやいやいや、何の話ですか」
「美しいと思うことの大事さ」
「そんな急に真面目な顔をされても」
クロッキーノートをめくって、僕が土田先生にツッコミを入れると、なぜか隣に座る男子部員に肩をぽん、と、叩かれた。
「……雅樹、土田先生は、これでいいんだ」
「天野、急になんだよ」
「土田先生のこの熱い声援の力を、お前は知らないんだ……」
「だから、何が」
意味がわからず、肩に置かれた手を振り払うと、天野は顎で他の部員たちを示した。
「……なぜ、俺たちが、ここにいるか、わかるか?」
「美術部だから?」
「違うな、土田先生に褒めてもらえるからだよ」
そう言うと、天野は棚に重ねていたスケッチブックを手に取り、あるページを開いた。
「……これが、俺が1年の時に描いた絵だ」
そこには奇妙なねじれを表現した人間っぽい物が描かれていた。
「そして、これが今の絵だ」
膝の上にあったスケッチブックを開くと、そこには真剣な表情でカンバスに向かう姿の女生徒が描かれていた。
「……どうだ?1年半ですごい成長だろ?それもすべて、この下手くそな絵を土田先生が褒めてくれたからだ」
「……どう、褒めてくれたの?」
思わず唾を飲み込む。
どう見ても褒めるところが無い。
「『最後まで描いたのか。すごいな。
真面目さとおおらかさが感じられる天野らしい絵だ。もっと見たいから、描いてくれないか』」
「それは」
「それから部活のたびに少しずつ描くと、とにかく褒めてくれるんだ。
鉛筆をちゃんと削ってから描き始めたから、この線がいいとか。
自分では失敗したと思っていても、土田先生は別の視点から、褒めてくれる。
それに、一番がんばって描いたところも、必ず認めて褒めてくれるんだ」
「……それで、なんでロボットのイラストも描いてるの?」
「描きたいから。そんで、土田先生が褒めてくれるから」
そういえば美術部は、別名「土田ハーレム」って呼ばれていたんだ。
女子部員だけじゃなくて、男子部員も土田先生に心酔しているのを忘れていた。
身長180センチを越えるイケメン美術教師が、はあはあ言いながらシーナにカメラを向けている姿を見ても、誰も幻滅しない。
むしろ、好きなものには夢中になる姿を率先して見せて教えているのかもしれない。
でも。
「土田先生、シーナの目が死んでます」
「それもまた良し」
「『良し』じゃないですよ」
「……よくない。もうダメ。限界。明日、ミセス土田に言っておくからね」
椅子の後ろに立ち、背もたれに手を置いたポーズのまま、シーナが死んだ目のまま、ぼそっと呟いた。
ミセス土田とは、土田先生の奥さんで、シーナの学校で美術教師をしている。
自宅の美術教室と兼務しているから、講師という扱いらしいけど。
とにかく、すごい。
描く絵もすごいけど、見た目もすごい。
28歳の土田先生より、8歳年上だけど、全然そうは見えない。
初めて会った画家がミセス土田だったせいか、画家は美人という変な刷り込みが僕にできたくらいだ。
そのミセス土田を大学時代に口説き落としたのだから、土田先生はすごいのだと、部員たちはさらなる尊敬の念を抱いている。
しかし、その土田先生は、奥さんであるミセス土田に頭が上がらない。
絶対君主制が敷かれている。
当然の結果として、シーナのひと言で、土田先生が我に返った。
「あ、シーナくん……」
「……そういうカメラは嫌いなの。もうやめて」
シーナがガチギレしている。
その怒りをようやく理解したのか、土田先生は慌ててカメラを背中に隠した。
「わかった。すまん。ごめんなさい。もうやめます」
「……気分が悪くなったので、ちょっと休ませてください」
「隣の準備室にソファがあるから、そこで休むかい?」
「……できれば、使わせてもらいたいです」
シーナの白い肌が青ざめて見えた。本当に体調が悪そうだ。
僕はシーナに近づき、椅子の背もたれに乗せたままの手をとった。
冷たい。
「……シーナ、大丈夫?」
「うん……少し休めば、大丈夫だと、思う」
弱々しく笑うと、シーナは僕の肩に額を預けた。
「本当に大丈夫?」
「うん、隣の部屋で、休む」
連れていって、と、小さな声で僕に言ったシーナは、とても大丈夫そうには見えなかった。




