10・美術部のざわめきの中で③
「気をつけるって?」
削ろうとしていた鉛筆をペンケースに戻して、私は聞いた。
「武田さん、夏休み後に転校してきたばっかりだから、まだ、雰囲気的にわかんないと思うんだけど」
「うん」
「雅樹先輩を好きな2年生の先輩たちって、結構多いんだ」
「え、あ、うん。そうだろうね」
「うん、それで、それでね」
日野さんは言いにくそうに、スケッチブックを両手でぎゅっと、握りしめると、意を決したように言った。
「雅樹先輩に片想いしている2年の先輩たちが、武田さんの話をしているのを聞いたの。
言ってもどうにもならないかも、だけど、気をつけて。
何かするつもりなのか、よくわからないんだけど、なんていうか、こう、不穏な空気みたいな……
ごめん、何言ってるかわかんないよね」
困ったように言葉を出している日野さん。
うん、この人は、たぶん、いい人だ。
何か私が酷い目に遭うかもしれないと思って、上手く説明できないけれど、なんとか伝えようとしてくれている。
この優しさが、私みたいな顔見知りにもなっていない相手にも振り分けられるなら、もう少し仲良くなれるのかもしれない。
だから、ここは、笑顔で答えておこう。
「ううん、日野さんありがとう。
何かされないか心配してくれたんだね。
とりあえず、ひとりで行動しないように、しようかな」
「あ、うん、そうだね。うん、そうした方がいいかもね」
「……それじゃ、明日から、ちょっと部活中にトイレ行く時とか、一緒に行ってもらっても……あ、ごめん、あつかましかったね。
ううん、なんでもない。大丈夫」
「あ、大丈夫だよ。全部は無理かもだけど、一応声かけてみて。行けそうな時、一緒に行くから」
予防線を張ってきた。
慎重な人だな。
うん、日野さんは、信用できる。
私はあまり距離を詰めすぎないように、それでも友好的であることを示すように、適度な微笑みを浮かべて、日野さんにお礼を言った。
「ありがとう、日野さん、声をかけてくれて。
同じ部活だけど、違うクラスだから、声かけにくかったんだ。
また、話してもいい?」
「うん、武田さん、よろしくね」
ふわふわとした笑顔で、ひらひらと手を振って、日野さんは離れていった。
……ふう。
よかった。
こっちの女の子たちは、みんな優しい。
ペンケースに視線を戻して、削る準備を始める。
休憩時間の美術部は、時々萌え語りで局所的にうるさくなることはあるけれど、ざわざわとした静かな騒がしさで、私にはちょうどいい。
今日は、シーナさんが髪型を変えて、最初はうるさかったけど。
ちらっと、教室の隅にあるイーゼル置き場の前で、椅子に座って外を見ているシーナさんを見る。
表情はわからないけれど、開け放した窓から入る風を受けて、キラキラと髪が動いて光る。
ああ、綺麗だな、と思う。
日本人離れした顔にスタイル。
その全てが、絵の中にいるみたいで、現実感がない。
雅樹せんぱいにまとわりついている時、その現実感は崩れるけれど、それがシーナさんを幼く見せる。
だから、だろうか。
シーナさんと雅樹せんぱいが並び立つ姿は、恋人同士には見えない。
すべてを預けきっているシーナさんは、親に甘える子どものようで、お姉ちゃんたちからは受ける恋人の感じがしない。
雅樹せんぱいも、それに応えているからか、どうしても姉に対して背伸びをしている弟のような。
そう、2人が並んでいても、恋人同士の甘い空気や、キスをしてもおかしくなさそうな、あの感じがしない。
安心感が強い。
きっとこの人たちはずっと仲良しだろうな、とは、思う。
でも、それは私と従姉妹のような、何をしても他人にはなれない関係にある甘えのような気がしている。
美少女に慣れていることと、恋人であることは、イコールじゃない。
だから。
「……初恋だもの。叶わないなんて、諦めてないで、できることは、したいもの」
好きだと思った人を想う自分の気持ちを、誤魔化して隠して、後悔はしたくない。
どんなことをしても、手に入る可能性があるなら。
私はなんでも試してみたい。
どんなことでも。
話すことが恥ずかしいとか、どきどきしすぎて、自分が自分じゃなくなる、とか、そんなことを気にして、雅樹せんぱいと関わるチャンスを減らしたくない。
顔が見たいから、会いに行く。
話をしたいから、用事をみつける。
長い時間を過ごした幼馴染がいても、恋人じゃないなら、私にもなれる可能性はある。
絶対に諦めない。
雅樹せんぱいが、欲しい。
私だけの、雅樹せんぱいを、絶対に、手に入れる。
私はシーナさんの後ろ姿から視線を外して、雅樹せんぱいが戻ってくるのを静かに待った。
(*´ー`*)巨大な(恋)敵に立ち向かう闘志を秘めた武田さん。静かなるオーラがたちのぼる……!←マンガの煽りを真似しようとして迷走




