10・美術部のざわめきの中で②
言われてみれば、確かに武田さんと会ったのは土曜日だった。
「あ、そうなんだ。それじゃ、敬老の日にお邪魔していいかな」
「はい。大丈夫だと思いますが、帰ったら電話してみますね。
校内ではかけられないので……」
「うん。武田さん、お願い」
僕がそう言うと、武田さんは急に口を閉じて目を逸らした。
あれ?他に何か言っておかないといけないことってなんだっけ。
「……雅樹のばか。無意識の人たらし」
ぼそぼそっと、シーナが呟くのが聞こえた。
「え、何?シーナ何か言った?」
「別に」
シーナはそう言うと、今朝と同じように僕の腕をとり、ぎゅうっと胸を押し当ててきた。
「シーナ……」
また。
なんだろう。シーナの情緒が不安定だ。
「あ」
そうか。
武田さんに、シーナも行くよってちゃんと言ってなかった。
顔を合わせているから、すっかり忘れていた。
「武田さん、シーナと、シーナの友だちの人と、僕の友だちと、道場の先輩2人が来る予定なんだけど。
多いかな?」
椅子に座ったまま、シーナに腕を取られて身動きができないので、上目遣いで武田さんを見て言うと、
「……いいえ!大丈夫です!ちょうどいいです!」
と、嬉しそうに答えが返ってきた。
うん。
よかった。
台所に全員が入るのは無理だけど、色々手伝いができる人数かなと思っていたので、武田さんが快諾してくれて、ようやく安心した。
シーナがさらに腕を胸で締め付けてくる。
「シーナ、痛いよ」
「知らない。雅樹のばか」
ぷうっと、白磁のように白い肌の中で、ほんのり赤みを帯びた頬を膨らませる。
なんだかまだ機嫌が良くない。
武田さんは僕の腕に巻き付いたままのシーナを気にすることなく、
「それじゃあ、多江おばあちゃんに私を入れて7人で、敬老の日に行くって言っておきますね。
ちょうど1週間後なので、蒸し器とかお店で使っていないものを借りると思うので」
「え、そんなに?大丈夫?迷惑じゃない?」
「多江おばあちゃんがもう少し元気なころは、体験学習?みたいなことで、お饅頭作りをやってたらしいんです。
それでその時に使っていた道具は、お店の方にあるけど、使ってないとか……。
たぶん、私がお饅頭を食べたのもそれだと思います。
お饅頭が美味しかったことは覚えてるんですけど、どういう時だったかあんまり記憶になくて……」
軽く首を傾げながら、武田さんが答えた。
「その時にはなんか、怖いおじいちゃん先生がいたような気がするんですが……」
考えこむように、だんだんと顔を下げ始めたので、僕は慌てて武田さんの話を打ち切った。
「あ、あんまり思い出したくないのに、考えなくていいよ。
それじゃ、多江おばあちゃんへの連絡お願いします。
何か必要なものがあれば言って」
「あ、はい!わかりました。
それじゃあ、また明日部活の時にお話しさせてください!」
「うん、よろしく」
にっこりと笑うと、武田さんはスカートを翻して、同じ学年の女子の集団へと戻っていった。
「……雅樹」
シーナが仏頂面で僕の名前を呼んだ。
「何?」
「……………別に」
そう言って、少しだけ唇を尖らせて黙った。
「シーナ、人見知り?」
「雅樹のばか」
「またそれ?」
「ばかばかばか」
「ばかって言う方が、ばかだって聞いたけど」
「うるさい。雅樹のばか」
そう言って、黙ってしまった。
休憩時間なんだけど。
「………シーナ、一緒にトイレに行くの?」
腕を離そうとしないシーナにそう言うと、一瞬本気でついて来ようとしたので、脳天にチョップしてやった。
「いったぁい!」
「男子トイレに来ちゃいけません」
「じょ、冗談にきまってるでしょ!」
ぷんぷんと、顔を赤くして怒るけれど、シーナならやりそうだったから釘を刺しておいた。
「ダメ。そう言って僕を待ってて、変な人に絡まれたことあったでしょ」
「うっ……」
「それにここはシーナが卒業した後の学校なんだから、おとなしくしてて」
「……はぁい」
外に出ると、シーナが3歳年上なことに引け目を感じることが多いのに、普段は僕の方が面倒を見ているような感じになる。
これじゃあ、どっちが年上なのかわからない。
サラサラのシーナの髪を撫でて、僕は席を外した。
***
「ねぇねえ、武田さん。
武田さんって、雅樹先輩のこと、好きなの?」
スケッチブックを胸に抱えて、違うクラスの美術部員の女の子が話しかけてきた。
「……えーと」
「あ、急にごめんね。
私の名前は、まだ覚えてないよね」
「ううん、クラス違うけど、日野さん、だよね?」
「あ、覚えてくれたんだー。うれしー」
距離感をはかるように、曖昧なテンションで近づいてくるのが分かる。
短刀直入な問いかけをしてきた割には、ずいぶん気を遣う人だな。
「えーと。それで、急にごめん。
雅樹先輩を好きな子って、隠れているけど、それなりにいて。
雅樹先輩って、誰にでも優しいじゃない?
女子でも男子でも、後輩でも分け隔てなく親切っていうか。
部活の後輩枠っていうだけで、他の人たちから見ればちょっとした身内みたいに思われるのが、あるかなーって」
「うん、よくわからないけど、そうなんだ」
「うん、ごめん、私もうまく説明できてないけど、その、ね、気をつけた方がいいよ」




