10・美術部のざわめきの中で①
シーナが髪を切ってから、初めて美術部に来た月曜の放課後。
予想以上の大騒ぎだった。
「シーナ先輩……!天使……!」
「むしろ、神よ、女神…………!」
「誰ですか?!シーナ先輩に姫カットすすめたの!2階級特進ですよ!」
その中でも一番大喜びしていたのが。
「ブラバー!ブラバー!ブラバー!最高だよ!シーナくん!
ああ……これぞ思い描いていた女神。
美の女神の化身が、今、目の前に現れた……!
職員会議なんて行かなくてもいい。今からここで、この美しき姿を描き写して」
「土田先生、職員室に行ってください。
すぐに。
ちゃんと会議に出ないなら、シーナ帰しますよ」
土田先生だった。
生徒以上に先生が喜んでいる。
まぁ、一番シーナを描くことに人生がかかっているのが土田先生だから、分からないでもないけど。
「……土田先生、キモい」
モデル本人がドン引きしてる。
シーナが僕の背中に隠れて、みんなの前に出ようとしない。
あんまり大きな期待をかけられると、シーナはどんどん萎縮してしまう。
別にシーナの責任じゃないのに、勝手にシーナの見た目に期待して、勝手にシーナに夢を抱いて、勝手にシーナが夢と違うからと、凶行に及ぶ変態が多かったから。
こういう時、シーナは迷子になったみたいに、心細い顔になってしまう。
ぎゅっ、と、僕の制服の白シャツが握りしめられた感触が背中に伝わる。
分かってるよ、シーナ。
大丈夫。僕が守るから。
「すみませーん。モデルが怖がっているので、みんな落ち着くまでペアを作って5分クロッキーで!」
両手でメガホンの形を作って、僕は叫んだ。
周りの女子生徒が、
「シーナ先輩描いていいですか?!」
と、元気に右手を挙手して聞いてきた。
僕が軽くシーナの方に首を動かすと、左右に頭を振る感触が背中に届いた。
「モデルが拒否してるので、ダメ。
それに僕が一番シーナを描いていないから、今日は専属モデルになってもらいます」
「えー、雅樹くーん、おーねーがーい!」
「結構描いてるじゃん。とりあえず、土田先生が職員会議終わってくるまで、準備室で描いてるよ。
シーナに嫌われるよ?」
「えー、そんなー。うーん、じゃあ、わかった。でも別室に連れて行かないで〜。
ペアで描くけど、シーナ先輩に見慣れないと、落ち着けない」
「あー、うーん。そうだね、慣れないと落ち着かないか、うん。
じゃあ、端っこの方で描いてるけど、そっとしておいて」
「はーい」
聞き分けの良い返事が女子部員たちから聞こえてきた。
うん、これなら大丈夫そうだ。
僕は後ろにいるシーナの方に首を向ける。
「シーナ、そういうことだから、モデルになってね」
「……うん、雅樹が描いてくれるんなら。いーよ」
もぞもぞと握っていた僕のシャツを離し、顔を上げた。
大きな青い瞳が、僕をまっすぐに見つめる。
「綺麗に描いてね」
「そのままのシーナを描くよ」
「じゃあ、きっと優しい顔をしている」
「そう?」
「うん、雅樹を見ている時のわたし、一番安心してるから」
にっこりと口元をあげて笑うと、シーナは美術室の端っこにある椅子へと向かった。
残された僕は、妙に気恥ずかしくなって、削る必要のない鉛筆に、もう一度ナイフをあてることにして、少しだけシーナから離れた。
1時間ほどクロッキーを繰り返して、休憩になった。
「石膏像の方、描いててもいい?」
「時間、足りないんじゃない?」
「あ、これうまく描けたかも」
「このポーズでもう1回!構図がうまく出来なかった」
ざわざわと、頭の中に絵が残ったままで、みんなが休憩に入る。
「ねー、雅樹、見せて」
「ちょ、ダメ。姫カットって難しい。まっすぐなんだけど、まっすぐじゃないし。
うーん、なんか変」
「えー、見せてよ」
「ダメ。やっぱり毎日描かないとダメだよ。
あー、モデルだけやってちゃダメだー!」
盛大に自分へのダメ出しを繰り返す。
シーナが留守だったら、庭の花でもなんでも描いていればよかった。
「そんなに変じゃないと思うけどなぁ」
いつの間にかクロッキーノートを奪ったのか、シーナがペラペラとめくって見ていた。
「シーナは僕に甘いから。ダメ」
「ふふっ、雅樹ったらさっきからダメダメって。子どもみたい」
「はいはい。子どもですよー」
「あ、あの、雅樹せんぱい、今、大丈夫ですか?」
シーナからクロッキーノートを取り返して、椅子に座ったまま後ろに体をのけぞらせていると、逆さになった武田さんの顔が見えた。
あ、そうだった。
昼の教室移動の時に、部活の時にって言ったんだった。
「あ、武田さん。
えーと、5人に声をかけたんだけど、敬老の日ならみんな都合がつくらしいんだ。
でも、敬老の日って、多江おばあちゃんの方でもお孫さんとか、人が来るんじゃないかなぁって思って。
一応、その日大丈夫か、聞いてもらっていいかな?」
「あ、大丈夫ですよ。いつもおじさんたちがくるのは平日なので。
お菓子屋さんをやっているので、土日とか祝日は、多江おばあちゃんの所に来られないんです。
それで、私が週末にお邪魔してるんです」




