8・積年の嫉妬と新たな焦燥①
「あれ?夏樹がいる。
めずらしー」
僕からプリンを受け取りながら、麗香さんが軽い口調で兄に話しかける。
兄、フリーズしたまま。
「あー、やっぱり、おいし〜!ちょっと固めなのがいい!
シーナ、もっと作って〜
明日、持ち帰るから!」
嬉しそうな顔で、プリンを一口ひと口噛みしめて食べている。
いや、このプリン、僕の好みに合わせてシーナが作ってるんだけど。
ちょっとムッとしながら、麗香さんにアイスコーヒーを差し出す。
「食べたら家に帰ってくださいね」
「ああ、そうそう。
悠河ちゃんも来るから、服を合わせなくちゃ」
「ねぇ、おねーちゃん、悠河も夕飯に呼んでいい?」
「いーよー。シーナの友だちだし、ちょっと多すぎて食べきれないから。
そこの悠河ちゃんのおとーとくんも一緒に食べて」
するっとキッチンのカウンター前のスツールに、麗香さんが足を組んで座る。
ガータースカートから、黒のベルトが太ももの柔らかさを主張して、わずかなくぼみを作る。
兄、ガン見。
「……えーと、それはウチの家族も?」
あからさまな視線の兄にドン引きしながら、僕が言うと、
「あれ?おじさんとおばさんとはもう連絡取れて決まってたんだけど。
なんか、おとーさんが夏休みの間に講演会先で色んな日本の美味しいワインを見つけて買ってたんだって。
その飲み比べをするからね」
「うわ……。酒乱地獄」
「違うわよ。葡萄の楽園よ」
思わず顔が引き攣る。
シーナの家と僕の家では、アルコールへの耐性が違いすぎる。
明日の朝は、僕以外はみんなゾンビのようになっていることを覚悟しよう。
朝ごはん、何食べよう……。食パンあったかな……。
「あ、おつまみの準備よろしくね。
シーナと悠河ちゃんで着せ替えして遊ぶから」
「え?!おねーちゃん、まだあるの?!」
「アレはアレ。こっちはこっち。
2人揃ってのコーデとか」
「……うぅ〜」
シーナが眉間に皺を寄せて、呻いた。
どれだけの服を着せられてきたんだろう……。
「夏樹も泊まるの?
久しぶりだから飲もうか。
あ、彼女と予定あった?」
「……泊まる、けど、彼女はいない。
レイちゃんが知ってるの、高校の時じゃん」
あ、ようやく兄が喋った。
固まったままだけど。
「そーだっけ?まぁ、いいや。
向こうのキッチンに肉とか全部あるから。
夏樹の作るものは、おいしーからね。楽しみ」
にっ、と麗香さんが口を広げて笑う。
それだけで、兄のハートが撃ち抜かれたのが、僕でも分かった。
「しょ、しょうがないな〜。
暇だし、作ってあげるよ!
レイちゃん、何かリクエストある?」
「あー、前に作ってくれたサラダ。あと、豚肉を巻いた甘辛のやつ」
「分かった!」
「他にも美味しいの、お願いね。夏樹は私の好みに合ったものを作るのがうまいよね〜」
「ま、まぁね!じゃあ、俺、おじさんと先に向こうで作ってるね」
そう言うと、兄はギクシャクと動き出して、その辺にあった父だか母だかが使ったエプロンを持って、リビングを出ていった。
「………あの」
ずっと黙って見ていた大河が、そろそろと右手を挙手して発言した。
「ウチのねーちゃんと麗香さん、仲良かったんでしたっけ」
「昨夜、ビデオ通話でずっと喋って仲良くなったの。
彼女、いーわね。
シーナとセットで色々やってみたくなるわねぇ〜」
ぐふふふと、恐ろしい含み笑いをして、麗香さんが組んだ足を入れ替えた。
「あ、アンタたち、どうせ暇でしょ?ユニセックスの服もあるから、あとでちょっと着てみなさいよ。
ちょうどモニター探してたし」
「え」
「……麗香さん、どれくらいあるの?」
「20着もないから、すぐよ、すぐ」
「……すぐ、ですか?」
「基準がおかしいよ、麗香さん」
着替えの早さが仕事スキルになってる麗香さんが言っても、全然説得力がない。
でも、逆らったところで結果は変わらないし。
諦めてノートと筆記具をしまう。
やっぱりこうなるのか。
さっさと終わらせておいてよかった。
「ねぇ、雅樹。みんながお酒飲み始めたら、悠河たちとゲームしようよ。
4人で対戦して、あそぼ?」
「うん」
シーナがこそこそっと、僕の耳に向けて囁いた。
息がかかる。
この距離感にシーナがいることに、僕は安心して、ほっと息をついた。
それから、シーナの家にみんなで移動した。
玄関に入った途端、目に入る積み重なった段ボール箱。
その奥から、新妻のように頬を染めて、麗香さんを出迎える兄。
いろんな意味で、遠い目になった。
そして、僕と大河がひたすら着替えては、麗香さんの前に立つという作業を繰り返した。
まったく激しい運動をしていないのに、疲労感がすごい。
部活のポーズモデルは、動かない疲れだったけど、これはなんなんだろう。
肌に違うものが触れ続けるこの感じ。
すごい疲れる。
「そこ、ちょっと上向いて」
「……うっす」
「んー……色違う方がいいわね。
はい、撮るよ。
うん、もう少しウエストしぼって作り直してみようかな」
「……あの、おじゃましてますぅ」
白い壁がある2階の廊下に大河と並んで立っていると、悠河さんが戦々恐々とした顔で、階段を上がってきた。
「……あの、下にある服の山は」
「こっちの中学生コンビに着てもらったの。
悠河ちゃん来たのなら、始めましょうか」
「……何を」
「はい、服脱いでー」
「きゃあぁっ?!!」
悠河さんの悲鳴を背中に聞きながら、僕と大河は階段を降りて、逃亡した。




