3.揺さぶりと長い週末のはじまり③
「そういえば、シーナはこういうモデルって、いつからやってたの?」
「絵を描く人たちのモデル?」
「うん」
「土田先生に頼まれる前に、何度かやってたんだよね」
「へぇ」
「土日だけね。松永のおじいちゃんが支援している日本画家さんだった。綺麗な女の先生でね」
シーナが中学生になったばかりの頃だろうか。
誘拐未遂が起こる前は、シーナと別行動の日がそれなりにあったから。
たぶん、別行動をしていても、シーナは僕に逐一報告をしていたと思う。
でも、小学生の僕には全部が分からなかった。
シーナの世界が広がる頃、同じように僕の世界も広がっていたから。
自転車に乗って遠くの公園へ行ったり、そこで知らなかった奴らと遊んだり、喧嘩して逃げ帰ったり、一回しか遊んでいないのにその子の家に行っておやつを貰ったり。
塾に通わずにシーナに勉強を見てもらっていたから、毎日のように会っていたけれど、あの頃のシーナが僕の中で一番記憶が薄い。
その頃にポーズモデルをしていたのか。
改めて同じくらいの高さにあるシーナの顔を見つめて、知らないこともあるんだなと思った。
通学路の途中にある神社から、虫の涼やかな音色が聴こえてくる。
暗くなる前に、シーナと家に帰ろう。
「シーナ、急ごう」
腕に回しているシーナの手を外し、手を繋ぎ直す。
残暑で汗ばんだ手でも、僕たちは気にすることなく握り合い、少しだけ足を早める。
「今日の夕飯は何がいい?」
嬉しそうに僕に顔を向けるシーナは、いつも通りに青い瞳を輝かせていた。
***
「雅樹を狙う子がいるの」
「へー。シーナが毎日通ってるのに。それはつおいねー」
「もう、悠河。ちゃんと聞いてよ」
風呂上がりにアイスモナカをかじりながら、通話しているのがシーナにバレた。
「アイスも大事よー」
「お腹冷やしても知らないから。どうせキャミソールに短パンでしょ」
「え、シーナからの愛がすごい」
「うるさい」
塾の疲れも吹き飛んだ。
シーナのデレが尊い。
「あれ?雅樹くんは道場?」
「うん。夕飯食べさせて、さっき送り出した」
「ひゃあ〜、新妻ムーブ!夕飯は何?」
「時間が無かったから、ハンバーグ。って、悠河、わたしの話聞いてる?」
「聞いてる聞いてる。
シーナが毎日牽制しに行ってるのに、全然効き目がないんでしょ?
何年生?」
「1年生」
大河が同学年の2年生をギリギリなんとか把握している。
3年生はシーナを先輩として知っているし、そこを乗り越えてまでの年下狙いはしない。
2学期に入って、1年生も恋に芽生えたか。
「大変だね〜」
まったく大変だと思っていない声で答える。
だって、あのシーナだよ?
去年まで小学生だった子に負けるか?
断じて、否だ。
「……どうしよう。雅樹が告白されてたら」
それなのにシーナは心配している。
一体何が不安なのか、正直分からない。
「シーナがいるのに雅樹くんがOKするわけないじゃない」
「そんなの分からない」
「今までだって誰とも付き合ってないじゃない」
空が落ちてくるんじゃないかと不安になる人のようだよ、シーナ。
それを杞憂という。
ソファの上であぐらをかいてシーナに雑な慰めを送る。
不安がっているシーナもかわいいけど、推し以前に私は友人だからなぁ。
ふつーのやり取りが、シーナには一番必要だって分かってるから。
「告白されて断って。それでおしまいじゃないの?」
「……そんなの、わかんないよ」
「そうかなー?」
「だって、今まで、雅樹は誰からも告白されたことがないから。初めて告白されたら、そのまま付き合っちゃうかもしれないもの」
「……へ?」
「どうしよう。雅樹に彼女ができたら」
「いやいやいやいや、何言ってんの?
ちょっと待ってよ」
口から食べかけのアイスが落ちた。
「シーナは、告白してないの?」
「毎日してる」
「されてるじゃん」
「違うの。わたしの好きは、もう聞き慣れているから。
そういうんじゃなくて、思いがけない相手から告白されたら。
雅樹だって……」
シーナの不安の理由を知って、言葉が止まってしまう。
男子中学生が女子から告白される。
それは、確かに、動揺するだろう。
でも。
「シーナがいるのに、他の子と付き合う……?ないでしょ」
「そんなの分からないもの!」
頭の中で、ハテナマークがいっぱいになった。
雅樹くんはシーナを守ろうと毎日合気道を習ってるし、それをシーナも知ってる。
けど。
なんでシーナはこんなに不安なの?
え?なんで?
「……誰が見ても、シーナと雅樹くんは付き合っているように見えると思うけど?」
思わずなんの工夫もひねりもない、本音がこぼれ出た。
「そう見えるように、頑張ってるもの……」
「え?」
弱ってるシーナ可愛い。
って、そうじゃない。そうじゃないでしょ!
「え?だって、シーナと雅樹くんは結婚の約束してるんだよね?」
「小さい時に。時効にならないように何度も言い直してる」
「シーナは雅樹くんが好きなんだよね?男の人として」
「うん」
「雅樹くんもシーナを女性として好きなんだよね?」
「……………たぶん」
シーナ、たぶんって、何〜?!




