29・磁場の中心は、いつでもシーナさんだ……。④
「あのさ、今日は帰っていいよ。
おれ、天野が戻ってくるまでいるし」
さっき、担任に天野のことを言っていた奴だ。確か名前は、日野だった。
「日野……。でも雅樹に謝らせないと」
「うーん、いや、やめておこうぜ。たぶん、天野もなんか、そんな感じじゃないだろうし」
確かに一日中ずっと絵を描き続けて、エネルギーを使いはたした抜け殻みたいな状態の時に、これだけの出来事があれば、もう心の処理が追いつかないだろう。
そこに呆然としたままの雅樹を突きつけられても、天野としてもどうしていいのかわからないに違いない。
俺は唇を噛んで、しぶしぶ頷いた。
「なんだっけ、天野の描いていた雅樹の彼女じゃない方の女の人、大河の姉さんなんだろ?」
急になんの話だろうと、俺が怪訝な顔で日野を見ると、困ったように目元を歪めた。
「よくわかんないけどさ、天野があんなに夢中になって描くのって、ロボット以上のものはないと思ってたんだ。
それだけ大河の姉さんのこと好きみたいだから。
だから、その、うーんと」
言葉を探して、日野が両手を腰にあてながら目を瞑る。
それでも見つからないのか、首を左右に動かしながら、思いついたことをつらつらと言い始めた。
「小学校からの付き合いなんだけどさ、アイツ、いっつも自分の世界にばっかりいてさ。
プラモデルも絵を描くことも、勝手にひとりでできるじゃん」
「まぁ、そうだな」
「うん。
だから、一緒に遊んでいるのに、気がつくとアイツだけ違うことに夢中になっててさ。
えーと、その、なんていうか、はじめて人間に興味を持った、みたいな感動があって」
そこだけ聞くと天野が心のないロボットだったみたいな話になるけれど、たぶん、そういうことじゃないんだろうな。
日野は腰に手をあてたままの姿勢で、目を開けると何度もうなずいた。
「そうそう。天野ってすげーびびりっていうか、傷つきやすいんだよね。
そこ気にするんだ、っていう感じで。
だから、年上のおねーさんを好きになったとしても、あんなふうに人目についてもいいから、描きたいって、よっぽどなんだろうなって」
なんだろう。実の姉が同級生の初恋の相手だとか、あんまり知りたくないし、強調されたくもないんだが……。
天野の姉への想いの強さを人づてに教えられて、弟としてはどうすればいいんだろうか。
少しずつ俺の目が死んできているのに気がついたのか、日野はあわてて話をまとめようと、両方の手を動かしながら、説明を始めた。
「だからさ、それだけ好きなおねーさんの弟と仲のいい雅樹と、険悪な関係にはなりたくないと思うんだよ。
それに、同じ部活で一緒に絵を描いてて、好き勝手言い合ってるみたいだし。
だから、まぁ、その、大丈夫だと思うんだ。
……これ、意味わかるか?」
心配そうに日野が俺を見た。
「うん、まぁ、なんとなく。
たぶん、天野と雅樹なら、そこまで戦い続けるとか、そういうの無理そうだし」
日野の説明を聞いて、俺も少し落ち着けた。改めて考えてみると、あの2人がいがみ合い続けるのは、かなり無理なような気がした。
なんていうか、キャラじゃない。
雅樹は曲げない所は絶対に曲げないが、それ以外の所は素直すぎるくらいに優等生だ。
天野をずっと嫌い続けるとか、できる気がしない。
天野がどういう奴なのか、俺はピンときていなかったけれど、日野の話を聞くと、雅樹と似たようなもののような気がする。
まあ、全部感覚でしかないんだけれど。
俺は、ふうっと、大きく息を吐いた。
「……分かった。天野のこと頼んだ。雅樹も、たぶん、時間が経てば謝りたいと思うだろうし」
「うん、そういう感じするな。
とりあえず、今日は天野の家まで一緒に帰るから。
そっちは、もう帰っていいよ」
「そうだな。そうするよ」
日野も気が抜けたように、へらりと笑った。
*
カバンを持って、走って学校を出ると、思ったよりもすぐに雅樹と遠藤に追いついた。
遠藤が肩を落として無言で歩く雅樹に、“おんぶおばけ”のように貼りついている。これじゃあ、進まないはずだ。
「おい、遠藤。雅樹がつぶれるぞ」
「何言ってんだよー。オレがこうしてないと、雅樹が動かなくなるんだぞ。ほら」
遠藤が雅樹の背中から離れると、充電の切れたおもちゃのように、ぼんやりと立ち尽くして動かなくなった。
「……わかった。遠藤、乗れ」
「あいあいさー」
「……ふぐっ」
勢いをつけた遠藤に押しつぶされそうになりながら、なぜか雅樹は再び歩き出した。
「……雅樹、まさか、お前」
「人肌恋しんだろうなぁー。毎日その金髪の彼女にくっつかれて、登下校していたもんなー。なー、雅樹?」
すると、歩いていた雅樹の足が止まり、数秒ほど経ってから耳の端まで真っ赤になった。
「……違う!!違うからな!!」
急にそう叫び、遠藤に後頭部を打ちつけて背中から落とすと、まっすぐに走り出した。
ぶつけられた顎を押さえていた遠藤は、雅樹が猛ダッシュで逃げたと判断すると、嬉しそうに追いかけた。
「おーい!俺の家の鍵、開いてないからなー!」
必要最低限の注意事項を両手でメガホンの形を作って叫ぶと、俺はだらだらと歩き出した。
( ;´Д`)……おつかれ、大河!!




