我を通す者
地面を埋め尽くして荒波のように揺れ動く木の根を、2人の人間が駆け抜ける。
「シャァァァァァァ!!」
その内の一人―――リュクシスは右手に持ったフランザッパで、直線を描くように根を斬り裂きながら、不安定に隆起を繰り返す足場をまるで一迅の風が如き勢いのまま走る。途中、本体から網目の如く分岐し、捕らえて貫かんと鋭利に尖る枝群が邪魔をするが、足が止まる事は無い。
「火弾!火弾!!それともう一回火弾!!」
リュクシスの背中を通り抜けて、飛び出した三つの火弾が邪魔をする枝群を悉く燃やし尽くし、焼き焦げた残骸が雨のように降り注ぐよりも前に通り過ぎて行く。その後ろで仕込み杖を前に突き出し構えるのはアリア。
「リュー君!前は任せて!!ボクが全部燃やすから!!」
「嘘だったら承知しねぇぞ!!」
アリアの言葉に微塵も疑いは無い。疑うくらいなら、こんな修羅場になど来る筈が無い。
故に、一切の躊躇すらなく凸凹の足元を踏み締めて、ただ地面に刃を滑らせ、真っ直ぐ最短距離でトレントの本体である百天の大樹の幹を目指す。
斬り裂き、燃やし、駆け抜け、そしてついに目前となった。
「ヤッパリ、デカすぎるだろ!!」
まるで天を支える柱を思わせる荘厳かつ巨大な幹、際限なく無尽蔵に再生し成長を続け、今や空と地を塗り替える枝と根。長老の邸宅があった部分には、彫刻家が刻んだ怪物の顔相を模した空洞が開いている。遠目でも分かっていた事だが、改めて間近で見るとこれまで相手にしてきた一五毒蛇のような魔物達とは、大きさの規模が段違いに違っている。
しかし、それだけで怖気づくには早すぎる。リュクシスとアリアが歩みを止める時、それは。
頭か心臓をぶち抜かれた時ぐらいだろうか。
「アリア!飛ぶぞ!!」
その宣言の直ぐ後にフランザッパが、その刃を根から跳ね返らせ、勢い任せに宙を飛ぶ。それと同時にリュクシスの身体が空を飛び跳ね上がった。
トレントの前で宙に浮かぶのは、無防備に空で身体を晒す獲物一匹。躱す事も出来ない状態で投げ出されたリュクシスを見逃さない。あらゆる方向から串刺しに貫く為に枝が急成長と分裂を遂げていく。
しかし、伸ばしたトレントの枝は、幾ら成長しようとも瞬く間に燃え落ちて途切れてしまう。それ処か、逆巻く炎の奔流が全身を縦横無尽に周囲の空間をのたうち回り、動きを封じ込めていた。
「蛇と一緒に……のたうち回って!『火弾:サラマンスネイク』!!」
奔流の元は仕込み杖の先端に嵌められた魔石。その魔石の大きさからは考えられない程に溢れ出る炎の濁流を、アリアはその細腕二本のみで支えていた。
「流石に、この大きさは、キツイから!リュー君早く!!」
ほぼ魔力の暴走に近い炎の奔流を持続させる事は出来ない。一度呼吸を挟むだけでも刹那の間に集中が途切れ、周囲一帯を巻き込む大爆発を引き起こす境界線上を渡る制御は、急激にアリアの意識を奥底に残った魔力を蝕む。
長くて30秒、短くて15秒の拘束。リュクシスに与えられた時間は僅か1分にも満たない時間であった。
それだけの時間があれば、寧ろお釣りが帰って来るぐらいである。
「付与・風!!」
宙を駆けるリュクシスの足が伸びた枝、幹の僅かな笹くれを掴み、蹴り壊す勢いで踏みつけ跳ねて、また近くに生えている枝を掴む。一歩でも外せば真っ逆さまに落ちる綱渡りの動作を連鎖し続ける様は、最早空中浮遊の如く縦横無尽にトレントの周りを飛び回る。
その最中であっても、フランザッパはすれ違い様に堅い幹を滑らせていく。風の魔力を纏った刃は、踏み締め駆け抜ける度に速度を上げるリュクシスと比例し、切れ味を増して容易く、段々と深い跡を刻み付ける。
刃を滑らせる度、そして速さを上げる度、切れ味を増していく斬撃が極限にまで達した時、したフランザッパの一撃が、最後に太い幹を裂く。
「『鳶・螺旋』!!」
その一撃はトレントとなった百天の大樹を端から中央まで斬り裂き、振り抜いた後の残心は真空波となって、立ち塞ぐ大木達を斜めから斬り降ろして地面に直接、半月模様を刻み付けた。
しかし、トレントはまだ生きている。巨大な体躯を半分にまで達するほど斬られても尚、その幹は再生を始めていた。切り傷が見る見るうちに周囲の幹から肉を寄せるように補完されていき、既に7割程は修復されている。
「だと思ったよ」
そんな事すら承知と、リュクシスが呟く。既に振り抜いた筈のフランザッパは、もう一度構えられていた。
「怪鳥・飛行!!」
鳶・螺旋で切れ味が増したフランザッパに、残った魔力を有りっ丈詰め込んだ真空波が、空を覆い尽くす大怪鳥を形取る。そして百天の大樹の顔面を目掛けて飛翔し始めた。
「火弾:スプレッドフレア!!」
大怪鳥が魔石から放射線状に噴き出す炎に包まれる。風で出来た身体は、熱を絶やす事無く循環を繰り返し、循環された熱は気流を煽る。互いの要素が同調と融合を産み出していく。
そして、突き抜けた先に飛び出したのは、炎を纏いし巨大な不死鳥であった。
「「『火弾:不死鳥・飛行』!!」」
不死鳥が百天の大樹を喰らう。真正面から激突する形でぶつかった炎を纏う斬撃は、トレントの幹を魔法の熱と真空波の刃で燃やし切り裂き、立ち塞がる魔物を打ち砕いて突き進む。
やがて、不死鳥がもう一度その姿を現した時には、トレントの幹に刻み付けられた顔相は見る影もなく喪失し、その代わりに背後に映る景色を惜しみなく晒し上げていた。
「流石に効いただろ」
トレントの幹に大きく開いた空洞、それを見たリュクシスはしてやったりとほくそ笑む。アリアの魔法と合わせた渾身の一撃は、直接でなくと確かに斬り払ったと思わせる程であった。幾ら堅く再生すると言っても、顔面を撃ち抜かれて死なない生物は居ないだろう。
だが、そんな甘い考えも頬を掠める枝先に切り捨てられる。滴る一筋の血に迸る熱を感じながら、リュクシスは口を開いてしまう。
枝は未だに分岐しながら蠢き、根は地面を蹂躙し侵食し続ける。そして幹は既に再生を始めていた。
トレントは、百天の大樹は、生きている。幹を撃ち抜かれても、何事も無かったかのように元の顔を取り戻す。だが新しく作られた顔は、確かにリュクシスの方を睨みつけていた。
「マジかよ」
リュクシスは思わず、そう呟いてしまう。渾身の一撃は無駄だったのだから。
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「あ、あれ大丈夫なの?全然効いてないわよ!?」
押し寄せる木の根の大群に怯えながらも、リュクシスとアリアの動向から目を離さなかったアリアが、震える声で聞く。それにシヴァルは応えた。
「結構良い一撃だと思ったが、ありゃ全然効いてねぇな」
自分の腕よりも二回り太い根を脇に挟んで千切り取り、手足を絡み取る根じゃ力任せに振り抜いて強引に引き剥がし、胴を突き刺す根は筋肉で跳ね返す。尽きることない無限の質量で押し迫る大群を暴れ回る事で、侵食の手をその身一つで遮断している。
「当たり前です」
そして、シヴァルに根が集中する事で生まれた安全地帯。そこで未だにアルシャに槍を突き刺し、手術をしているミレーヌが、額に浮かぶ玉のような汗を拭うと、そう断言した。
「私や脳筋のシヴァルと違い、2人は魔力を使っています。戦闘による燃費の悪さは普通以上でしょうね」
言われて、ラキは腑に落ちてしまう。
リュクシス達は此処に来るまでに数えきれないほどの魔物、それも魔法が極端に効きにくいトレントの大群を突き抜けて来た。その為に、どれだけの魔力を消費したのかは、ラキには想像もつかないが、決して少なくは無い事は分かっている。
そして魔力を短時間の間で大量に消費すれば、それだけ体力と精神力を著しく損なう。となれば、既に戦う前からリュクシスとアリアの状態は、万全とは程遠かったであろう。
「加えて、魔力が全快していてもギリギリ勝てるかどうかの魔物が相手。本当に良くやりますよ」
相変わらず馬鹿な事をしていると吐き捨てるミレーヌ。心配している様子は無いが、かと言って楽観視している様子ではない。動揺して集中を途切れさせない為、一瞥もせずに傷口に差し込まれた槍先を凝視しているのみであった。
「ど……」
「黙りなさい、死にますよ」
「ど、して……で、すか?」
アルシャが口を開く。ミレーヌに死を仄めかされようと、それでも構わずに言葉を出す。
「ど、して……私なんか、のため……たたかえ……るの、ですか?」
背中から内側を弄られる不快な感触と、高温に熱した鉄柱を突き刺されるような痛みの中で、塊になった血反吐を喉に詰まらせながらアルシャは聞いた。
アルシャでなくとも分かる筈も無い。少し知り合った程度の人間の為に、どう足掻いても勝てない魔物だと分かっていながら、それでも余裕綽々だと嘯き、躊躇なく立ち向かう蛮勇とも呼べる行動原理。そして、その根底にある理由を。
アリアは言った。『ボクがアルシャちゃんを変えてあげる』と。きっと、その理由こそが、今の2人が自分に教えようとしている事であると、アルシャは分かっていた。だからこそ、答えを求める。
しかし、その答えを長い付き合いの中で知っているであろうシヴァルとミレーヌは、呆れた顔を向けた。
「「そんな訳ねぇだろ」」
「えっ?」
あっけらかんと言い放つ二人に、思わず頭の内側が真っ白になった。そんな呆気に取られるアルシャに、シヴァルは根の束を両腕一杯に抱いてへし折る最中で言葉を付け加える。
「大将達が戦う理由なんざ、テメェの為以外ねぇよ!!やりてぇからやって暴れてぇから暴れる!!そんで気に入らねぇならぶっ飛ばす!!そんだけだろ!!」
強くなる語気と共に、軋む音とシヴァルの腕の筋肉が大きくなっていく。そして最後には藁束を抱きしめるかのように、根の全てがへし折れた。
「その通りですね。貴方如きの為に、2人が戦っているなど、思い上がりが過ぎますよ。私達はそんな出来た人間じゃ有りません」
少しだけではあるが、アルシャの体内を這いずり回っていたような謎の感触が和らぐ。それに合わせて、ミレーヌの槍を支える力も弱まった。
「な……ら……?」
どうして、戦っているのか。言葉にできなかった続きを読み取り、ラキは呆れた口調で嘆く。
「自己中だからよ」
短い付き合いのラキでもそれだけは分かっていた。
「何時だって、このロクデナシ共は自分の事しか考えてないわよ。だからこそ、絶対に引いたりなんかしない。往生際が悪いというか……一度でも決めたなら、自分が納得するまで諦めないのよ」
その姿を見ていれば、嫌でも生き様が目に焼き付く。口では何だかんだ言ってゴネようと、リュクシス達が覚悟を決めた時には、諦めるという選択肢はなかった。
一度戦うと覚悟を決めたのであれば、倒すまで一歩も退かずに血塗れでも勝利する。
一度救うと覚悟を決めたのであれば、その手を振り払われようとも強引に掴む。
一度信じると覚悟を決めたのであれば、死ぬその時まで馬鹿正直に信じ貫く。
傍から見れば、誰かの為に戦う姿であっても、その内には人知れず覚悟が突き立てられている。そして突き立てたのであれば、最後まで我を貫くまで、ロクデナシ共は止まらない。
そんな高尚な信念ではない、もっと簡単な話だ。
「要は意地があるって事よ。ただし、飛び切り頑固だけど」
意地を無くして、我を通さなくして、ロクデナシは務まらない。それこそが、汚点であり唯一の美点。それ故にラキもこの場に立っている。
「……ぽー……」
ラキの言葉を最後まで聞き届けたアルシャが、何かを呟く。
「えっ?ポォ?何を言っているのかしら」
「ポーチですよ。取ってあげなさい」
ミレーヌが目線でアルシャのポーチを示すと、ラキはそれをなるべく傷口に触れないよう器用に取り除いた。
「中……赤……」
「赤?」
言われた通りに、ラキがポーチの中を漁ると、それらしき物が見つかった。地のように赤い液体が入った小瓶だ。
「それを……二人に……グゥゥ!!」
「動かないでください!!」
言い掛けた瞬間、アルシャの口から血反吐が盛大に吐き散らされ、傷口から鮮血が水脈の如く漏れ出る。するとミレーヌが鬼気迫る顔で大声を上げ、刺していた槍を直ぐ抜いた。
「傷口が開いていますね……だから言いましたのに。一度止血を挟みます。次動いたら本当に死にますよ」
恐らく喋ったせいで更に傷口が開いてしまったのだろう。脅しでも無く、事実であるとミレーヌの声色からラキは察する。それでもアルシャは口を動かす事を止めない。
「私は……いき、たい……」
ようやく分かった。彼らのようになる為にはどうすれば良いのか。それはきっと憧れるような代物ではない。欠点を羨ましがるなど、おかしな話なのだから。
やり方なんて簡単だ。幾ら壊れようとも、生きて息を吸っている限り、心は決して消えはしない。無視をして封じ込めようと、その意志は喧しく聞こえて来る筈。
だから、その心の聞こえるままに我を唱えればいい。
「自分を……ずぐいだい!!だから!みなざんをだすげ!だいですぅ!!」
そして我を通す為に命を賭けれるのであれば、最高だ。
濁音と血反吐に塗れた汚い言葉は、どんな名言よりも深く突き刺さる。
「……分かったわ」
ラキが立ち上がる。途中で膝が笑って震えるも、小瓶を持たない方の掌で跡が残るくらい強く叩いて、痛みで誤魔化しながらも立ち上がった。
「私に任せて」
ミレーヌもアルシャも止めはしない。リュクシス達が我を貫いたように、アルシャが命を賭けて手を伸ばしたように、ラキもまた貫き通しに行くのなら、何を言っても無意味だろう。
ふらつくラキの行き先を塞ぐのは、シヴァルと大量の木の根達。トレントの侵食を一身に受けるシヴァルが、首だけを振り向かせる。
「お通りか?」
「そうよ」
ラキがそう答えると、シヴァルはフッと一度笑うと、右の拳を握り、そして勢い良く振りかぶった。
「荒打鬼ぃ!!」
その一撃が歩みを塞ぐ幾重にも重なった木の根達を薙ぎ倒し、ラキに行くべき道を示す。
「行けよ。大将の所によ」
シヴァルが退き、これでラキの前に塞がる障害は無くなった。後はラキの意地次第と言った所だろうか。だがそれをラキは既に乗り越えている。
「準備は良い?行くわよウルちゃん!」
「ビィィ!!」
一人の魔族と一匹の竜が、我を通すために、意地を貫く為に根と枝が蔓延る道をひた走り抜く。