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薬師の父親とおっとりな母親、その娘のアルシャ

アルシャが一人で生きる以前、それは人間には赤子が老いぼれになるくらいの年月であり、エルフにはホンの数年前の過去の話。


エルフの集落から離れた場所にヒッソリと佇む小さな家に、ドタバタと忙しない足音が朝早くから響いていた。


「アルシャよぉぉ!遂に完成したぞぉぉ!!」

「あらあらぁ、そんなに持ち上げてぇ、危ないですよぉ」


扉を上げた瞬間に、徹夜明けのせいでヤケに大きい声と調子でそう叫びながら、娘を抱き上げる父親。その隣で朝ご飯の用意をしながらも、優し気な眼差しで見つめるのは母親。


そして、父親の父親に抱き上げられているのは、まだ数十歳にも満たない子供であるアルシャだった。


「お父様ぁ、今日は何が完成したのぉ?」

「何と聞いて驚けぇ!題して、『風邪には効くけど股関節が微妙に硬くなる薬』だぁ!!これで集落の皆は病知らず元気溌剌筋肉モリモリになるぞぉ!!」

「すごぉいぃ!!」


意気揚々と自慢げに言う父親に、アルシャは子供特有のキラキラした眼差しで見つめる。


父親は薬師をしており、こうして良く訳の分からない薬を作っては、まるで世紀の発明を見つけた子供の様に大はしゃぎする。アルシャにはその内容を良く理解していなかったが、何か凄い物を開発したと分かるだけで、父親を尊敬するには充分であった。


「それは凄いわね貴方ぁ。それなら今日は皆さんにお薬を配らないといけないわねぇ」

「あぁそうだ!!今日は大忙しだぞぉ!手伝ってくれるかアルシャ?」

「うん!分かったぁ!!」


元気いっぱいに返事をするアルシャ。


父親の作る薬は、『副作用は恐ろしいが効き目は抜群!!』と評判であり、何時もこうして新薬を開発しては、エルフの集落に赴き、無料で配っている。その時には、年の近いエルフの子供と遊んだり出来るので、秘かな楽しみとなっていた。


「その前に朝ご飯を食べなきゃねぇ」


父親から代わりにアルシャを抱き上げると、母親を椅子に座らせる。そして机の上には既に朝ご飯が並べられていた。


「うむぅ!母親の言う通りだ!先に愛妻朝食を食べるとしよぉ!!」

「やだぁ、愛妻朝食なんて照れるわぁ」


父親も向かい側の席に勢い良く座り込み、母親を頬を少し赤らめつつも、アルシャの隣の席に着く。それがアルシャ達家族には何時もの定位置である。


アルシャが母親に教えてもらった通りに、食べる前に両掌を合わせる。すると両親は倣って両掌を合わせ、家族揃って同じ挨拶をした。


「「「いただきまぁす!!」」」


そうして朝の団らんを過ごした後は、開発した薬を届けにエルフの集落へ行き、そしてエルフ達に薬を配り終えると、また家に帰って、研究に耽る父親を他所に優しい母親と眠るまで遊んでもらう。


これはアルシャが思い出せる家族との何気ない日常の一片。


そして同時に、その幸せが突如として壊れる前兆であった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「明日、長老様の所に行こうと思う」


父親は母親とアルシャに向けて、そう宣言した。それは日中に新しく完成した薬を集落のエルフ達に配り終え、自宅で家族一緒に晩御飯を食べていた時だ。


「そうぅ……」

「?」


母親は納得したかのようにそう呟いて目を伏せるが、アルシャはイマイチピンと来ていなかった。


長老と呼ばれるエルフには、集落に薬を配りに行く時にアルシャは何度か会った事はある。しかし特別に親しい訳でもなく、そんなに人に何の用事があるんだろうと、幼心ながら疑問に思っていた。


だからであろうか。その日、アルシャは寝付けずに、真夜中に部屋から出て、父親の研究室の前まで来てしまったのは。


「お父様ぁ……」


こんな真夜中でも、何時も夜遅くまで薬の研究をしているお父様ならきっと起きている。無意識にそう思っていたのか、まるで光に群がる夏の虫の様に、僅かに開いた研究室の扉から漏れる光に向かって、アルシャは吸い寄せられていく。


「大丈夫なのかしらぁ」


だがその足取りは、研究室から聞こえる母親の不安げな声を前にして立ち止まった。続いて聞こえてくるのは、真剣そのもので静かに言い放つ父親の声。


「安心してくれ。集落の皆を救う為だ、きっと長老様も分かってくれる筈だ」

「そうよねぇ……でもぉ」


何時もとは違う調子の父親に、アルシャは身を隠しながらも、扉の僅かな隙間から頭を出して覗き込む。そこには父親と母親が抱き合っている姿があった。


「……いざとなったら、僕が絶対に家族を守る。君の事も、アルシャの事も」

「えぇ、私も守るわぁ……あの子を一人になんて出来ないんだからぁ」


その抱き合う腕が震えている理由を、アルシャは理解する事はついぞ出来なかった。


だが、その様子も見たアルシャの胸には、濃霧の様に実態なき重い不安感を残す。その不安が果たして、何を予兆しているのかは定かでない故に、夜が更け朝が来ても晴れる事は無かった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

次の日の朝一番に、アルシャ達家族はエルフの集落へと出向いていた。だが、その日ばかりは何時もとは違う。


何時もであれば、集落の広場で新しく完成した薬を配るが、集落の奥に大きく陣取る大屋敷、長老の邸宅へと足を運んでいた。


「ねぇお母様ぁ。お父様と長老様は何の話をしてるのぉ?」

「さぁ?お母さんも良く分からないわぁ」


母親は首を傾げて答える。そう言われてしまっては、幼子であるアルシャは、今頃長老と二人で話しているであろう父親が何を話しているのかなど、知る術はない。


大屋敷の前で守衛のエルフに父親が何かを伝えると、怪訝な顔をされながらも中に通してもらえたが、母親とアルシャだけは、この長椅子と机だけの何にもない客間へと押しやられたのだ。


だがしかし、アルシャが最後に父親を見た時には、その顔には見た事も無いほど深い皴が刻まれていた。きっと重大な話をしているんだろうと分かっているも、子供である故に自分に何が出来るかなど到底思いつきもしなかった。


そうして暫く待っていると、不意に扉が開く。そこから入って来たのは守衛のエルフではなく、顔を俯かせて隠している父親であった。


「お父様ぁ!!」

「アルシャァ!!寂しかったかぁ?」


長く待たされていた事での不安や暇と相まって、アルシャは姿を見るや否、すぐさま飛び出して足に抱き着く。すると父親は易々とアルシャを持ち上げる。


持ち上げられて見下ろす父親の顔は、何時もと同じく底抜けに間抜けで明るい笑顔。それを見たアルシャは、父親が話していた内容は分からないが、きっと上手く行ったんだろう。


そう思ったのもつかの間、父親はアルシャを床に降ろすと、そのまま母親の元へ駆け寄って話しかけた。


その時、アルシャは父親と母親が話していた内容の全ては分からなかった。何やら専門用語やら難しい言葉が一杯で、知識も無い子供が理解できる範疇を超えていたからだ。


ただ、繰り返し何度も使われる言葉だけは、アルシャの頭の中には残っていた。


『魔力』、『暴走』、『氾濫』。


それが何を意味しているのかは、今のアルシャには分からない。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

それから、アルシャの生活は変わってしまった。


研究に没頭していてもアルシャと遊ぶ事を忘れなかった父親は、一日中研究室に閉じこもり、底なしの能天気で優しかった母親は、日を追うごとに段々やつれていく。


そして一番に変わった事は、エルフの集落へ行く時だ。以前までは週に数度、新しく作った薬を配っていたのだが、今は毎日のように足を運び、そして決まって長老の大屋敷へと守衛のエルフに嫌な顔をされつつ通っていた。


まるで、アルシャ達家族が長老の家に行った瞬間から、歯車が壊れ始めたかのようであった。次第に壊れ始めていく日常と一緒に、崩壊を予兆する足音が這いずるように背後から近づいていく。


しかし、それでもアルシャは信じていた。信じていなければ、とても耐え切れない。


何が原因でこうなってしまったのか、そもそも何が起きているのかすらも分からない。それでも、きっと戻って来る。


お父様はずっと研究室に閉じこもっているけれど、きっと扉から出てきて、私を嬉しそうに抱きかかえてくれる筈。

お母様はずっと暗いままだけど、きっとあらあらと言いながら、私を優しい目で楽しそうに見つめてくれる筈。


根拠のない確証ではあるが、それを頼りにしなければ、アルシャの心はバラバラになって壊れてしまいそうだった。眠れない夜や寂しくなった朝には、楽しかった日常を思い返せば、少しだけ心が温まる。


そうすれば、少しは心が壊れるのを先延ばしにできる。そうやって、アルシャは狂っていく家族の絆を繋ぎ止めていた。


そして、そのアルシャの心が壊れたのは、唐突の事であった。


突然、父親と母親が消えてしまった日から。


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