ドラゴンの力と少女の心
空を飛ぶドラゴンと言うのを見たことは有っても、地から飛び出すドラゴンを見たことは有るだろうか。
それをリュクシスが答えるとするのなら、たった今だと応えるだろう。
遥か向こうに存在する草原、即ちウルザードの洞穴がある丘地帯から、地を割ってそれは飛び出して来た。
それは空を頼りなさげに滑空しながらも、こちらへと徐々に近づいて来ると、その正体が分かる。しかし、それを見たリュクシスは畏怖するよりも驚愕で身体が震え上がった。
それは紛うことなくウルザードであった。しかし、その翼は変わらず、どうして空を飛べるのが不思議なくらいに穴だらけ。それに加え、陽の光に当てられた姿だと、所々が鱗が剥げて生肉色が垣間見える傷跡が、痛々しく晒されていた。
だというのに、この見る者全てを圧巻し、生きる事を諦めさせるような覇気は、初めて出会った時と同じ、いや、それ以上に流れ出しており、その姿や放つ空気に、魔物達は戦うのを忘れ、皆呆然と空を見上げていた。
ウルザードの咆哮が大気を震わせ、その一声のみで、空を飛ぶアサルトバードや地上に居る小型の魔物が吹き飛ばされる。
激しい暴風と全身を打ち抜く咆哮の中で、リュクシスの脳内に言葉が浮かんだ。
『また会ったな勇者よ。先ほどの非礼の詫びをさせてもらうとしよう』
「ウルザードッ……何で、アンタが此処に」
『呼び出されたのだ。他でもないラキ・ルーメンスにな』
「わ、私?」
呼んだ本人であるラキでさえ、予想外だと言わんばかりに自分を指差して、目を見開いている。その様子を見ていたウルザードは、少しばかり愉快そうに喉を鳴らす。
『儂とお主は従属契約により繋がっておる、従って、お主の強い思いさえ有れば、儂に伝わるのも必然であろう』
「わっ、ちょ!?」
話の途中でウルザードが器用に二つ指でラキの襟首を挟み上げ、その老いてもなお広い背に乗せる。
『ラキ・ルーメンスよ。儂がお主に卵を預けられぬと言ったのを覚えているだろうな』
「え、えぇ、確か私は騙されやすいからだったかしら?」
「正解だが、その後に言った事も覚えているか?」
ラキは数度、頭を抱えて唸ると、不意に思いだして吐き出すように言った。
「あっ、魔王の部下には預けられないとか、そんな感じだったわね」
『そうだ……結局、儂が卵を預けなかった理由も、それが一番であった。お主には儂の弟を操った魔王の手の物、そして魔族だ。その恨みは決して消えぬし、忘れる事も無いだろう』
「それくら、分かっているわよ……」
ラキの記憶がウルザードに共有されるように、ウルザードの記憶もまたラキに流れている。そして、その時の感情や絶望、決して拭えぬ怒りや喪失感、永劫にも近い孤独の全てをだ。
『儂は許すことは出来なかった……未だにあの日の事を思い返すだけで、この身を焦がさんとするほどの怒りが儂の理性を奪おうとする』
「今なら私にも分かるわ。どうしようもなく最低な気分よ」
『それを知っていて、未だ卵を守りたいというのか』
「勿論よ」
躊躇いなど無く、ラキはそう言い放つ。その顔には絶望も怒りも感じない、いっそ憎々しいまでに晴れやかな笑みに彩られていた。
「切っ掛けは同情だろうと、私はあの卵を守りたい。それが私がやりたい事なんだから!!」
迷いのない覚悟や欲望は、時に人を動かす。それはドラゴンでも同様であるようだ。
『ならば、この時ばかりはお主が魔族であることを忘れよう。そして、この力、力尽きるまで使い切るとするか!!』
空を飛ぶだけでも、全身を内側から砕かれるような痛みで悲鳴を上げ、咆哮を放つだけでも喉が張り裂けそうであった。だが、その痛みや辛さ、怒りや絶望、孤独など、ラキの心に触れる度に消えて無くなってしまう。
これが、弟が愛し、ウルザードが信じ、そして少女が持っていた人間としての力。信じる物、決して譲れぬと定めたのならば、迷うことなく進む力が、今のラキには備わっていた。
それさえ有れば、ウルザードは何処までも羽ばたける。
「さぁ行くわよウルザード!!こんな魔物如き蹴散らしてしまいなさい!!」
『分かった!!振り落とされるでないぞ!ラキ・ルーメンスよ!!』
人間の力を手に入れたウルザードは最早、何事にもくじけぬ強さを手に入れていた。
竜の力を手に入れたラキ・ルーメンスは最早、全てを吹き飛ばす強さを手に入れた。
今の二人の前には、有象無象の魔物など、障害にすらならないだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
洞穴の中で戦った時など、ほんの力の一端でしかないのだと、改めてリュクシスは思い知らされてしまう。
「そこでブレスよ!!撃ちなさい!!」
『ヴォォォォォッォ!!』
ブレスを放てば、巻き込まれた魔物達はたちまちに獄炎に包まれて塵芥の消し炭に早変わりする。
「鳥共なんて蹴散らしておしまい!!」
『任せるがいい!!』
飛び回れば、上空のアサルトバードの大群は気流や翼に巻き込まれ、赤い血と死骸の豪雨を降り積もらせる。
「そんな犬っころなんて爪で切り裂いてあげなさい!!」
『ぬぅぅ!ドラゴン使いが荒いな!!』
爪を振るえば、地上を逃げ回るヤミウチオオカミ達は瞬く間に引き裂かれ、そして踏み潰され、原型を留めない細切れの肉塊へと成り果てる。
老いたと自称しようと、その様は一匹でも国を滅ぼせると謳われ、天災とも称されるドラゴンに恥じぬ戦いぶりであった。また、その背中で堂々と胸を張って指示を出すラキは、魔王軍四天王と名乗るに相応しい佇まいであった。
「おっほほほほ!!見たかしらクロックス!!なぁにがメスガキよぉ!!あんな奴が集めた魔物なんて私にかかればイチコロよぉ!!」
『随分自信満々なようだが、大丈夫なのか……』
ウルザードはそう言いつつも、地上に降り立って今度は一回転。それだけでも規格外の質量を持つ尾に巻き込まれた魔物は、例え硬い岩石に守られてようと、容易く砕いて吹き飛ばしていく。
「や、やっぱり最強ね!この調子でドンドンやっちゃいなさい!!」
それを鱗にしがみ付きながら見ていたラキは、調子に乗って興奮した面持ちで叫びながら、小さい胸を思いっきり突き出した。
そんな様子を見ていると、リュクシスはどうも不安になってしまう。
現に。
「戦ってる時に調子乗るなよ。死にたいんだったら別に良いけどよ」
が空から急襲して来ていたアサルトバードを切り落としてなければ、その胸に大きな風穴が開いていた事だろう。
「ひえっ!?」
「お前が死んだらウルザードが戦う意味が無いだろうが、そこん所分かっとけよ」
ウルザードの巨体を器用に飛び移りながら、上空のアサルトバードの首を切り落としたリュクシスは、そのまま背中に着地すると、そのままラキを護衛する立ち位置に陣取ってヴィオーネを構えた。
「お前ら!空は俺に任せとけ!!代わりに地上の魔物は任せたぞ!!後、絶対に死ぬなよ!!」
見下ろし、地上で満身創痍である身体を引き摺りながら戦う仲間達に向けて、リュクシスはそう言い放つ。
それに応える心強い声は欠ける事無く三つであった。
「分かったよ!リュー君も気を付けて!これが終わったら絶対に結婚するんだから!!」
「死にはしませんよ!まだまだ稼ぎたりませんからね!!」
「安心しな大将!!こんな楽しい戦い、死んだら勿体ねぇだろうが!!」
それを聞き届けると、リュクシスは空を見上げ、先ほどよりかは数が減ったアサルトバードの群れに対峙した。
「ったく、一応勇者認定されてる俺が、なんでお前を守らなきゃならないのやらな!!」
「魔王軍四天王の私を守れることを光栄に思いなさいよね!リュクシス!!」
ウルザードが暴れ回る隙間を縫って、地上から飛び上がって襲い掛かる魔物達はアリア達が、空から強襲するアサルトバード達はリュクシスが次々に処理し続ける中、リュクシスは悪態を付く。しかし、ラキはその言葉に怒る事もせず、寧ろ張り合うようにして、同じく悪態を吐き捨てた。
「言うようになったな!メスガキがよ!!」
「貴方こそ!守るって言ったんだから、シッカリ私を守りなさいよね!!」
そう言うと、ラキはリュクシスを一瞥すると、ウルザードと同じく前を向く。その姿勢には、最早恐怖心などは微塵も感じられない。
『良く言ったぞラキ!それでこそ儂の命を削る甲斐がある!!』
「当然よ!というか死なないでよ!生きてもらわないと後味悪いんだから!!」
『ならば、お主が儂を守れば問題なかろう!!』
ウルザードが不安定ながらも、翼をはためかせて再び空へと飛翔し始める。
その時であった。ウルザードの見上げる程大きい巨体を悠々と飛び越え、恐るべき速さで駆け昇る黒い影が、ラキの喉元へ銀色の刃を突き立てようと、真っ直ぐに振り抜いた。
迫る銀色の刃にようやく気付いたラキは、面食らって死への恐怖に怯える。
事は無く、誰かに似た不敵な笑みで迎え討った。
「やりなさい!リュクシス!!」
銀色の刃をヴィオーネが弾き返す。それに合わせて二の太刀であるフランザッパが、ガラ空きになった黒い影の胴体を斜めに切り裂いた。
「読めているんだよ。お前の汚い考えぐらい」
「そうですか、ですが惜しいですね」
切り裂かれたのは、高級感溢れる執事服。黒い影―――クロックスを切り裂くまでには至らなかった。
「もう少し万全であれば、私を斬る事が出来たでしょうね」
「気分最悪だろうと、お前ぐらいなら斬れるさ」
刃のお返しとばかりに、今度はリュクシスの方から仕掛けた。細剣のヴィオーネと曲刀のフランザッパ、突きと薙ぎを交えた変幻自在の斬撃を繰り出した。対して、クロックスはカタールのみで襲い掛かる斬撃を一つ一つ巧みに跳ね返しいき、合間に急所を狙った一撃を放つ。
ヴィオーネの下から迫り上げるような切り上げ。振り下ろされたカタールの握り手が受け止め、火花が散る。その間にフランザッパによる横薙ぎの一閃。振るわれる前にクロックスが蹴り上げで跳ね飛ばし、軌道を歪に反らす。
今度はカタールの喉元を抉るような刺突。当たる直前で頭を横に振り、その体幹を倒し、水平上に蹴りを放とうとするが、それを予見していたかのように、クロックスの肘が割り込んだ。
「随分と動けるようですね……魔力切れで動けないと思いましたよ」
「片腕捥がれといて良く言うな!お前だってギリギリなんじゃねぇのか!!」
互いに寸での所で命を繋ぎ止める攻防の最中、それでも言葉を交わす二人。その振るう刃に譲れぬ意志を込めているかのように激しい火花散らす剣戟が、ウルザードの背中で繰り広げられていた。
『リュクシス!!何が起きておる!!』
「俺の事は気にすんな!!アンタは魔物でも狩ってろ!!」
流石に自分の背中で戦闘が行われてはウルザードも、何かが起きているのかと気づく。しかし、リュクシスはそれを伝えることなく、一言だけ制した。
その間にも、二人の戦いは終わることなく刃を交えていく。どちらかの命が斬れるまで終わらない均衡の削り合いが幾度と無く繰り返される。
しかし、その均衡も片側に大きく崩れかけていた。それはリュクシス側である。魔力を消費し尽くした身体では、剣を一振りする事さえも意識が荒い刃物で削られるような錯覚に陥るが、それでも歯を噛み砕かんばかりに食い縛って、気合という精神論で耐え忍んでいた。
しかし、クロックスの方は手数こそは少なくとも、襲い掛かる予測不可能な斬撃を身一つ削ることなく冷静に弾き返していき、淡々と、そして確実にリュクシスを追い詰めていた。
やがて、仕掛けた筈のリュクシスの動きは徐々に鈍っていき、クロックスの手数が上回る。それに合わせて、徐々に掠り傷や急所を僅かに避けた切り傷が増えていく。
最早、揺れ動く戦いの天秤は止まる事はない、ゆっくりと着実に片側へと寄り付いていしまう。
―――これはどうしようもないか。それでも相打ちだろうが、構わない。やってやろうじゃねぇか。そうリュクシスが覚悟を決めた時であった。
天秤を盤面ごと壊す声がリュクシスの耳をつんざく。
「ウルザード!!空を飛びなさい!!貴方が飛べる所まで、限界まで高く!!」
ラキが遥か彼方、月と星が映る天空を指差し、そう叫んだ。
『何を……いや、そう言う事か。分かった!!』
突然の叫びに戸惑うウルザード、しかしその意味が言葉で伝えなくとも頭に流れ込み、そしてニヤリと口角を引き攣らせた。
そして、ウルザードが中途半端に浮き漂っていた翼を大きく羽ばたかせ、あの日以来見る事の無かった大空に向けて飛び出した。