ウルサイ魔族と、もう一人の魔族
「誰だ、お前」
「名前を教える必要、ありますかね」
俺の問いに対して、背後に密着する男はそう答える。だというのに、全く気配を感じさせない、まるで幽霊にでも抱かれているような気分だった。
「リュー君!!」
「大将!!」
「やめとけ、殺すつもりか?」
直情的に、アリアとシヴァルが動きかけるが、俺が手で制す。おそらく、この腕はその気になれば、容易く俺の首をへし折るだろう。
なるべく平坦に、動揺を表に出さないようにして、背後の男に話しかける。
「済まないが、でも俺の仲間はあんまり気が長くないんでな。手っ取り早く要件だけ伝えてくれねぇか。魔王軍の誰かさんよ」
「おや、もしかして何処かでお会いしましたか?」
「会わなくても分かるっての。なんせ、魔物を引き連れて来るような奴に会うのは二度目なんでね」
「あぁ、成る程。確かにそのような事は人間如きには出来ないでしょうね」
男は納得したように唸ると、首筋に指を這わせるよう気持ち悪い感触が迸る。メスガキのように魔物を引き連れて来た時点で、自分から魔王軍だと言っているような物だろうがが。
メスガキを追い払った時点でから、どうせいつか来るのは分かっていた。あんな手酷いやられ方をしては、魔王軍の沽券に関わるだろう。だからこそ、その原因を作った俺達を狙うのは、当然と言えば当然だ。
まさかこんな最悪な状況で襲われるのは、予想外ではあるが。
「クロックス……クロックスじゃない!!貴方、私を助けに来てくれたのね!!」
何やら魔王軍の中でも知り合いだったらしい。メスガキが驚きと喜びに目を見開いて、名前を呼びながら後ろの男に指を差す。だがそれに返って来たのは、そっけない反応であった。
「おやラキさん。貴方も此処に居たのですね?」
「えっ、私を助けに来たんじゃ……」
「再開話は後にしてくれねぇか?ーーー付与・雷」
話の流れをぶった切るように詠唱を静かに呟いた直後、俺の全身から稲光のような魔力が溢れ出した。
「っ!?」
例え実体を持たない魔力であっても、付与さえされていれば、その性質を帯びて具現化する。それに触れたクロックスを名乗る男の腕が甲高い音と閃光を発しながら弾かれた。
「痺れるだろ?だったらコレも喰らっとけ!!」
拘束から解放された瞬間、間髪入れず背中からフランザッパを抜き出し、振り向きざまに首筋目掛けて薙ぎ払う。だが、それが届く寸前に、男が空中へと大きく跳躍した。
そこでやっと、男の姿が確認できるようになった。瘦せ型の身体へと吸い付くようにフィットした固い黒の執事服と白い手袋に、いかにも優男げに映える顔立ちと細い糸目。そして撫で下ろした黒髪に隠れた額には、やはり魔族特有の二本角が立派に生えていた。
その姿はさながら、名家に仕える執事のように思えるが、全身に纏う殺気や片拳に握りしめる薄刃が付いた奇妙な武器―――カタールを見れば、そんな印象も吹き飛んでしまうだろう。
「不意打ちとは、勇者にあるまじき行為ですね」
「魔王軍の幹部が言う事じゃねぇな。それより上に注意した方が良いんじゃないか?」
俺の忠告に何かを察知したらしく、クロックスが目を離して見上げる。どうやら、優男な風貌に伴わず、かなり良い戦闘感をしているらしい。
もし、俺から目を離していなければ、頭上にいるシヴァルの存在に気が付かなかっただろうからな。
「挽肉にでもなってろや!斬馬堕とし!!」
「チィ!!」
ギロチンの如く振り下ろされたシヴァルの踵は、直前で挟み入れたカタールに阻まれるも、その威力を落とすことなく、伝う衝撃波で足場となる家屋を踏み壊した。
「グッ!なんて馬鹿力ですか!!」
「固てェェ!足の骨にヒビ入っちまったじゃねぇか!!ヒョロイ見た目して骨あんな!!」
「シヴァル!!ちょっとそこどいて!!」
シヴァルの斬場堕としの衝撃に耐え切れず、崩れゆく足場によろめく隙を狙い、今度はアリアが仕掛ける。
「炎を飛ばして気分爽快一斉清掃!!火弾:ガトリングバレッツ」
畳みかけるように仕掛けられた火弾の掃射は、シヴァル諸共に焔の華を咲き乱れさせる。そして、爆風は屋根一面を吹き飛ばし、俺達を家屋内の空中へと放り出した。
「アリアァ!!痛ぇじゃねぇか!何すんだオメェ!?」
「ごめんね!丁度タイミング良かったから!!」
「アァァァァァァァ落ちるぅぅぅ!!」
「落ち着きなさいラキ。これぐらいで人も死にません、そして貴方の同僚も」
瓦礫と一緒に落ちる爆炎から少し肌を焦げ付かせたシヴァルが飛び出した。しかし、まだ燃え上がった炎の中に人影が残っている。そして追い打ちとばかりに、ミレーヌがトドメを刺しにかかった。
「呪術技法贄柱!!」
いつの間にか空中に漂う黒霧。それに穂先の標準を合わせていたミレーヌが空中で振り下ろすと、そこから伸びた巨大な一本の柱が、爆炎ごと地面を割らんばかりに打ち込まれた。
落ちる寸前に、俺達は各々が瓦礫の上に着地する。
「ヘブッ!?」
約一名、メスガキが頭から着地しているが、それはこの際、無視するとして、俺は地面に突き刺さった不気味な柱の根元を見つめる。
「柱で押しつぶすとか、えげつない殺し方するな……」
「敵に情を掛ける必要がおありで?それに、敬語で話すキャラは私一人で充分かと」
同じ敬語で話すキャラが気に食わないからと言って、柱で踏み潰すのはどうかと思う。いや、コイツの場合は寧ろ情がある方なのか?
「ボクもう疲れたよぉ、魔力なんかもうカラカラだし」
「これくらいでへばってんのか?だらしねぇなぁ。俺ぁまだまだ行けるぜ」
瓦礫の上に座り込むアリアを、シヴァルはだらしないと笑っているが、その片足があらぬ方向に折れている。
俺も同じようなものだ。既に残りの魔力は、さっき放出した分で最後だ。今は魔力切れで身体中が重いのを通り越して、感覚を失いつつある。恐らく、アリアも同じような感覚に違いない。
ミレーヌもそうだ。平気な顔をしているが、ウルザードの時も合わせて、何度も呪隷の消費が激しい『贄柱』を使っている。前に大量に操作すると一気に体力が削られると言っていた。本当なら今にも倒れてもおかしくないくらいだろう。
立っているだけでやっとだが、何とか腕を動かしてフランザッパを仕舞い込もうとする。これ以上の戦闘は魔力的にも体力的にも、身が持たない。
しかし、その手は途中で止まってしまう。疲れからではなく、有り得ない光景に、身体が先に反応してしまったからだ。
クロックスを押し潰した筈の柱が、揺れている。
すると次の瞬間には、柱が根元から真っ二つに両断された。
「電撃と打撃に炎、柱のフルコースとは、随分な歓迎をしていただけるもので。参りましたね」
左右に分かれる断面から現れたのは、カタールを上に向けて構える涼しい顔をしたクロックス。どうやら、俺達の残りカスを搔き集めた攻撃は、コイツに取って些細なものだったらしい。
「勘弁してくれよ……こっちは疲れてんだからよぉ」
「それ、私に関係ありますか?」
「空気読めって話だよ。細目野郎」
「人間如きのノリに合わせる必要は無いのでね」
俺の嫌味を受け流し、クロックスはカタールを此方に向き直す。そしたら次の瞬間には、その姿は蜃気楼のように揺らめいた。
「後ろだ大将!!」
シヴァルがそう叫ぶ。振り返ると、そこには目の前に居た筈のクロックスが、いつの間にか背後に回り込んでいた。
「避けてください!!!」
ミレーヌの声に反応し、咄嗟に身をよじる。そして、槍が俺ごとクロックスを貫かんと、弾くような速さで突き出された。
だが、その穂先が当たる寸前で、またクロックスの姿が揺らめき、槍は俺の居た場所を通り過ぎてしまった。
「危ないじゃないですか」
次に現れたのは、槍柄の上に、器用に両足を乗せながらであった。慌てて、ミレーヌが薙ぐと、空中を跳躍して一回転すると、再び柱の残骸前に着地した。
「随分と身軽だな。曲芸師にでも転職した方が良いんじゃねぇの?」
「褒めていただけるとは光栄ですね。人間如きに褒められても嬉しくは無いですが」
仮面のように全く変わらない表情に煽り甲斐の無い奴だなと思いながら、俺は隣に居るアリアに舌打ちする。
「何の魔法か分かるか?」
「分からないけど多分」
「高速化の魔法かも、なんて陳腐な答えでは有りませんよ?」
アリアの言葉を遮るようにして、クロックスが続きの言葉を挟み込んだ。この野郎、読唇術でも使っているのか?
「先に言われちゃったみたい。ごめんねリュー君」
「いや、お前のせいじゃない。謝らなくて良い」
少しだけ申し訳なさを示す顔で謝罪するアリアに、俺は頭を軽く叩いた。それにしても、柱を割るほどの剛力に、身軽な跳躍力、そして透過して消える身体か。厄介極まり無いの力に加えて、まだ何か隠していると、俺の勘がそう囁いている。
こっちはジリ貧どころかドンケツの状態、それなのに相手は余裕綽々であり、万全の状態かつ謎に包まれている。どう頭を捻っても、勝てる方法が全く思いつかない。
だがそれでも勝たないといけないのが、俺達の生きる唯一の方法だ。勝ち目が無いのなら、剣を突き立て、無理矢理こじ開ける。そういうのには慣れていた。
汗がにじむ足裏を離し、一歩踏み出そうとするが、横から颯爽と小さい影が通り過ぎて行った。
「待ちなさい!!」
勇み足に出る俺とクロックスの間に割って入って来たのは、驚くことにメスガキだった。
メスガキは立場的に敵である俺達に背を向け、そしてクロックスに向き合うように立ち塞がる。
「どういう事ですか、ラキさん。勇者を庇うような真似をして」
「わ、わざわざトドメを刺す必要ないでしょ!!こんなザコ勇者一人、放って置いても問題ないじゃない!!」
馬鹿にしたような物言いではあるが、その内容は、どう聞いても俺達を庇うような発言だった。
「随分急な心変わりだな、メスガキ。憐れんでくれているのか?」
「貴方達を憐れむつもりなんて微塵も無いわよ!でも……」
「でも」
「貴方達には、生きてもらわないと困るのよ」
俺達の方には振り向かず、顔を見せないままに言い放つメスガキ。それでも嘘偽りがないことぐらいはハッキリと分かった。
しかし、借りを作った覚えも、コイツを助けた覚えも無い。一体どういうことなのかと記憶を思い返していると、メスガキの方から勝手に喋ってくれた。
「貴方には引き摺られたり、投げ飛ばされたり、殺されかけたり、恥辱の限りを尽くされたわ」
「あー、あのおも」
「それは黙っておきなさい!!……兎に角、貴方達には生きてもらうわ。だって」
メスガキは、一度大きく貯めてから、そして悔しそうに、覚悟を決めたように吐き出す。
「貴方達には、あのドラゴンを守ってもらわないと困るのよ……!!私じゃ、守れないから」
その言葉に俺は言葉を忘れてしまった。感動したとか、そういう類ではなく、呆れる方面でだ。
俺はあの時ハッキリ言ってやった。ドラゴンの卵は守らないと。なのに、まだ諦めていないのか。
ここまで来たら、もう病気だ。無理だと頭では理解していても、どうにもならないと分かっていても、それでも諦めきれずに足掻いてしまう。それが自分の為ではなく、今日会ったばかりのドラゴンの為にだ。
これがウルザードの言っていた『純粋で優しい心』というのだろうか。だとしたら、本当に馬鹿みたいな性分だ。
「成る程、つまり我らの絶対的君主である魔王様に弓を引くと?」
「そ、そんな訳ないじゃない!!私が魔王様を裏切るとでも!?い、いいい、良いから私の言うこと聞きなさいよ!この細目ノッポォ!!」
魔王という単語が出た途端に及び腰になるメスガキ。それでも立ち塞がる事を止めず、小鹿のように震える足で必死に耐える。明らかな強がりだってことは、俺から見てもバレバレだった。
だとしたら、クロックスにも止まる理由にはならないだろう。
「そうですか、なら丁度良かったです」
メスガキなど、そこに居ないかのように、クロックスがゆっくりと歩み寄り、そして。
「丁度、貴方も消すつもりでしたのでね」
「アグゥ……!!」
そのままメスガキの首を鷲掴みにした。
「貴方のように無能で、魔王様の威光に傷を付けるような馬鹿が、魔王軍四天王どころか、魔族を名乗るのすら烏滸がましい。せめて死して、その名をこの世から消せ」
「ウッ、ガァ……」
酸素を失って、メスガキの顔から血の気が無くなって行く。首を掴まれている手を引き剥がそうと、爪を立ててもがくが、クロックスの締め上げる掌は、全く緩まる気配はない。
「それでは、さよなら。名も無きメスガキさん」
クロックスの掌が、メスガキの細い首を握りつぶす。何の慈悲も無く、家畜を始末するかのように、呆気ないほど簡単に。
その前に、俺がクロックスの腕を切り落とした。
「なっ……腕が!!」
「どきな!!」
突然の出来事に、これまで全く動かなかったクロックスの表情が、驚きと苦痛が現れる。その顔に俺はしてやったりという満足感を覚えながら、すかさずに腹へ蹴りを入れて、吹っ飛ばした。
クロックスが、瓦礫の残骸へと盛大に激突する。その隙に俺はメスガキへ話しかけた。
「まだ首は折れてないだろうな?」
「ゲボッゲボッ!!ど、どぉじで」
「どうして、私たちの邪魔をするのでしょうか?」
上手く喋れないメスガキの代わりに、瓦礫の残骸から立ち上がったクロックスが問いかけた。予想通りと言うべきか、勢い良くぶつかっておいて、傷一つない。
だがしかし、その左腕は明らかに欠けていた。その事に、コイツも俺と同じく死なない訳じゃないと分かりながらも、俺はクロックスに答えてやる。
「確かに、お前もこのメスガキも、人類様の敵である魔王様の配下ときた。ウザいしウルサイし駄々こねるし、庇う理由なんざない」
そう、人類の敵であり、俺を殺そうとした少女であり、ウルサイだけで役に立たないメスガキだ。
だが。
「でも、理由なんて要らねぇだろ。俺がコイツを死なせたくない。今はそういう気分なんだ」
こんな馬鹿正直なメスガキーーーラキを死なせたら、夢見が悪い。
ただそれだけの理由で、俺は命を掛けられる。