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或るドラゴンの出会いと詩

意識を取り戻す為に、何年もの時を過ごしていただろう。だが、目を覚ますのは一瞬であった。


『……きて……起きて……』


そのきっかけは、虫の羽音のように些細な少女の声。まるで応えるかのように、ウルザードはゆっくりと瞼を開ける。


「こ、こは……」


そこは、かつて飛び慣れた大空ではなく、見下ろすばかりであった、丘が並び立つ広い草原。即ち、緑溢れる地上の景色が広がっていた。


「此処はヘイデン村からちょっと離れた丘だよ」


ウルザードの疑問に返答する少女の声が、頭の上から聞こえる。と言うより、頭に乗っかる生物がそう言っている。


「誰じゃ?」

「あわわ!!」

乗っかっている生物が何なのかを探る為、その首根っこと思わる箇所を掴み上げ、目線の高さにまで持ち寄る。


ドラゴンとは違い、細い四本の手足と丸い顔、そして鱗が無い白い肌の生物―――まだ年端も行かない人間の少女が片足をウルザードに掴まれて、逆さまにブラブラと揺れていた。


『お主は……人間か。何故儂を呼ぶ』


かつて弟が愛した種族を目の当たりにして、ウルザードは驚愕を表すよりも先に、興味が湧いてしまい、魔力に己の意識を混ぜ込んで吐き出す。


上手く、吐き出した魔力は少女に伝わり、言葉として脳に響いたらしい。少女は聞かれて、「うーん」と頭を捻る素振りをすると、「思い出した!!」と活発な声を上げて、喋り出した。


「なんかね、そんちょーさんがドラゴンさんのイケニエ?になれって、連れてこられたの。ねぇねぇドラゴンさん。イケニエって何か知ってる?」

『……さぁ、儂にも分らぬ事があるのでな』


ウルザードは敢えて惚けた態度を取る。自分より弱い人間に慈悲を掛けるつもりはないが、それでも、このような小さい子供に、大人達から捨てられたという事実を突きつけるのは、酷であった。


「と言うか、頭に血が上るよー。おーろーしーてー!!」

『これはすまんかった』


それを知らず、明るく振舞っている少女に、ウルザードは後ろ暗い憐憫を覚えてしまう。だからこそ、少女に優しい口調で接しながら、傷づかないようにゆっくりと地面へ下ろした。


「ありがとう、ドラゴンさん。大きい身体なのに優しいんだね」

『ドラゴンさんは止めてくれ。儂にはウルザードという名前があるのだ』

「分かった、ドラゴンさん」

『いや、だから』

「ドラゴンさん」

『……分かった、それで良い』

ドラゴンその呼びは治らないだろうと悟ったウルザードは、観念してその名前を受け入れた。それよりも、この少女に確認したい事があるのだ。


『人間の少女よ、この辺りに儂と同じドラゴンは居らんかったか?』

「見てない。ドラゴンさんが初めてだよ」

『そうか……』


もしや、この近くにバルボッサがと思ったウルザードだが、その希望は直ぐに崩れ落ちてしまう。しかし、落胆している暇はない。


ウルザードは少女に言った。


『少女よ、儂から離れてくれ』

「?分かった」


少女は何故なのかと不思議そうに首を傾げたが、素直に走ってウルザードから離れて行った。


やがて、充分な距離だとウルザードが判断すると、その巨大な翼が広げられ、大気を叩いて嵐にも似た旋風を巻き起こす。


その風圧に、遠く離れた少女でさえも吹き飛ばされそうになり、必至になって地面にしがみ付いているが、ウルザードは気にも留めない。ただ、今は空中を飛ぶことに意識の全てを注ぐ。


ウルザードは、最後に『マオウ』と確かに言っていたのを、バルボッサは覚えていた。であるのならば、弟にあの魔工を刻み付けたのも、魔王であるはず。


であれば、この空をもう一度飛び、先ずは弟を見つけよう。そして、その後で、魔王と呼ばれる魔族を、この命に懸けて塵殺しよう。


まだ見ぬ魔王への怒りと、最後に見た弟の顔を思い浮かべ、今すぐ羽ばたかんと、ウルザードが空を掴む。


『……なに』


しかし、ウルザードが空を飛ぶことは無かった。


その理由に、ウルザードは翼を見て、直ぐに気づいてしまった。巨大な翼の第二関節から先が動いていなかった。いや、そもそも感覚が失っていた。


『そうか……儂はもう飛べんのか』


これでは、幾ら羽ばたこうが飛べる筈も無い。そう悟ってしまったからには、ウルザードは、ただ空を仰ぎ見る他なかった。


愛する弟を失っただけでなく、あの何処までも広がっていた雄大な空までも失ってしまった。そんな現実がウルザードの心に突き刺さって殺していく。拭えない悲しみと遣る瀬無い怒りに、どうにかなってしまいそうであった。


そんな折、ウルザードの前足に、微々たる重みが加わった。


「大丈夫、ドラゴンさん?」


先ほどの人間の少女であった。


少女はウルザードの前足に腰かけ、少しだけ心配そうな顔を浮かべて見上げていた。


「落ち着きなって、そんな絶望したって、どうにもならないよ」


まるで見透かしているかのような口振りであった。しかし、それは今のウルザードに取っては、逆鱗に触れられるよりも、怒りを激しく駆り立てるものであった。


『たかが人間如きが知った風な口を聞くな!!』


胸にわだかまっていた感情を全て怒りに変換し、少女に吐き捨てようと、喉の奥に炎を搔き集める。


少女は、それでも動じていなかった。漠然と空ではなく、ウルザードの怒りに満ちた顔を、今度は無感情のまま見つめ、そして一言。


「知ってる。私も家族を魔王に殺されたから」


一瞬にして怒りが抜け落ち、言葉の衝撃に体中の力が抜け落ちる。


「でも無駄だよ。魔王は勇者様に倒されちゃったから」


そして、少女の次の言葉を聞いて、今度こそ、ウルザードの胴体は地に伏せてしまった。


『……聞こえていたのか』

「うん、ドラゴンさんの声、駄々洩れだった」


力む余り、つい心の言葉が乗った魔力が、漏れだしてしまっていたようだ。自分の失態を少女に指摘され、ウルザードは先程の怒りを忘れて笑ってしまう。


しかし今ならば、穏やかに少女と会話が出来そうであった。


『のぉ少女よ、本当に魔王は倒されたのか?』

「うん、勇者様が直々に来て、そう言ってたし、本当だよ」

『そうか……お主、家族を殺されたと言ったな』

「うん、魔王軍の兵士に一度村を襲われちゃってね。その時、村の皆を守ろうとして死んだの。まぁ、その後すぐに勇者様が来て、助かったけど」


淡々とした二人の会話が続いていく。そして一呼吸挟むと、バルボッサは詰まった声で聞いた。


『辛くはないのか?』

「最初は辛かったけど、もうどうでも良いと思ってる。だって、憎む相手も居ないんじゃ、しょうがないよ」


それに、と少女は付け加えると、やや投げやりな口調で吐き捨てる。


「復讐出来たって、私の家族はもう戻らない」


その言葉は、今のウルザードには、重くのしかかる。


考えれば、分かる事であった。バルボッサはもう既に死んでいるであろうことも、魔王が生きていて引く臭をしたとしても、愛しの弟は帰ってくることは無いだろうことも。


それでも、ウルザードは認めたくなかった。そうでなければ、後に残るのは空を飛べない己と、やり場を無くした永劫の憎しみと孤独のみなのだ。


だが少女は、ウルザードと同じような境遇にあっても、平然とした態度で喋っている。それがウルザードには、不思議に思えてしょうがなかった。


『冷静であるな』

「まぁね。復讐出来なくても、生きていくしか無いよ。生きてさえいれば、いつかそれで良かったって笑える気がするんだ」

『それは、誰かの言葉か?』

「ううん、私の言葉。カッコいいでしょ?」


そう言って楽しそうに笑う少女に、ウルザードも釣られて微笑んでしまう。すると、悲しみと怒りに塗れていたウルザードの頭の靄が、段々と晴れていくように思えた。


これがバルボッサの言っていた、人間の強さというものだろうか。どんな状況でも笑いながら前に進める、身体ではなく心の強さ。それはウルザードには無い強さである。


だからこそだろうか、ウルザードはこの自分より矮小で、そして強い少女という人間に、惹かれていた。


『あぁ、カッコいいな。その言葉は』

「そうでしょ。私、こう見えても詩人を目指そうかなって思ってるんだ」

『ほぅ、詩人をか?』

「どうせ、行く当ても無いし、私の言葉が一生残るって凄い事だと思うんだよねぇ」


少女はウルザードの前足から立ち上がり、笑顔で宣言して見せた。


「私、旅に出るよ」

『旅にか?空を飛べぬ身で?』

「どうせ帰る場所も無いし、ドラゴンさんは見逃してくれそうだし、いっちょ死んだつもりで何処まで出来るか挑戦して見せようかなって」

『お主、まさか』


ウルザードが次の言葉を言う前に、少女は自分の言葉で喋り出した。


「ついでだから、ドラゴンさんの弟も探してあげるよ。そんで見つけたら、また此処に戻って来てあげる。約束だよ」


憂いも悲しみも感じさせず、屈託のない笑顔を晒す少女に、ウルザードは黙る他なかった。


どうやら、ウルザードは人間の強さを過少評価していたようであった。であれば、この非礼は言葉とこれからの行動にて返すとしよう。


『ならば、儂は此処でお主の話を聞かせてくれるのを、待つとしよう』

「良いの?だいぶ時間かかると思うよ」

『ドラゴンの寿命を甘く見るでない。それに、儂はもう空を飛べぬ身だ。この地上でゆっくりと空を見上げながら、待たせてもらうとしよう』


ウルザードは空を見上げて、そう語る。あれほど好きだった大空は、今は遠い世界のように思える。だが、不思議と寂しさは無い。


ウルザードには、この地上に居る理由が出来たのだから。


「だったら約束しよっか」


少女が自分の小さい掌と、何倍もあるウルザードの前足に重ねる。


「私が世界一の詩人になって、弟さんを見つけたら、此処に帰って来る。そしてドラゴンさんは私が帰ってくるまで、ずっと待ってる。どう?」

『ドラゴンと人間が約束か……随分と面白い提案をするものだ』

「面白いなら良いじゃん。約束だからね」

『あぁ、約束だ』


勝手に結ばれる約束、だが決して破る事のない約束に、ウルザードは満足げに頷き返した。


「それじゃあ行くね。ありがとうドラゴンさん」

『待て、人間よ。これを持って行くがいい』


去ろうとする少女を、ウルザードは呼び止める。そして自分の胴体に生える鱗の一枚を剥がすと、それを器用に少女の頭にそっと載せた。


『何も持たずに旅をするのは愚かであろう。儂の鱗を持って行くと良い。人間の間では貴重である筈だ』

「おぉ、凄い大きさ!」


少女は頭の上から鱗を取ると、その大きさに感嘆の声を漏らして目を輝かせる。


「ありがとうドラゴンさん。大切に持っておくよ!」

『いや、売ってくれても』

「ううん、絶対に持っておく!!」

『そうか……』


大切そうに抱えながら、興奮気味に鼻を鳴らす少女に、ウルザードは気圧されて何も言えなかった。その代わり、少女の首根っこをそっと掴むと、最初に出会った時のように頭の上に載せた。


『こうなったら、近くの人間たちの元へ連れて行ってやる。振り落とされるでないぞ?』

「うわぁ、やっぱりドラゴンさんって高いね。まるでお空の上に居るみたい」

『何を言うか』


そんな事を宣う少女に、ウルザードはこう返す。


『お主が居る、この地上こそが、お前にとっての空であろう?』


ウルザードは小さく微笑むと、そのまま以前より不自由になった身体で歩き出す。地上の事など分からないが、真っ直ぐに歩けば、何時かは辿り着けるであろう。


こうして、失ってばかりの二人は、無限に続くであろう草原を確かに歩き始めた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


それからの旅路は、ウルザードにとっては新鮮な経験ばかりであった。時には少女と笑い合い、喧嘩もし、それでも最後には進んでいった。


そんな楽しい旅も終わりを迎える。草原を超え、山を越え、谷を越えて、最後に辿り着いた海で、少女はこう言ったのだ。


『ここで大丈夫。此処が良い』


その時、少女が何を思ったのか、未だにウルザードは分からない。だが、大空にも劣らない、無限に広がるような海に、少女は何かを感じたのだろう。


そして、ウルザードは少女と別れた。そこからは少女との思い出を辿りながら帰る旅路であった。やがて、少女と初めて出会ったあの場所にまで辿り着いたウルザードに待っていたのは、また別の人間が、そこには居た。


「ひ、ひぃぃぃぃ!!ド、ドラゴン」


その人間は少女とは違い、ウルザードを見ると卒倒しそうなぐらいに震え上がっている。


長らく共に過ごした少女とは違う反応に、少しだけ困惑してしまうウルザードであったが、地上で過ごす内に、自分がどれくらい生物に畏怖を与えるのかを学んでいた事を思い出した。


「食べないでください!食べないでくださいぃぃ!!」


半狂乱になりながら、何度も地面に平伏する人間に、どうしたものかと頭を悩ませるウルザード。すると、ある提案が突飛にも浮かんだ。


『安心せい。お主を食ったりなどせん』

「ほ、本当ですか!?」

『あぁ、その代わり、一つ頼みごとがあるのだが、良いか』

「何なりと!!」


食べないという言葉を信じて、泣き顔を晴らす人間に、ウルザードはこう頼んだ。


それは此処から世界を見るため、そして少女の詩を聞くための頼みであった。


『儂に詩を聞かせてくれ。さすれば、お主を人間の所にまで帰してやろう』


そして、ウルザードは次の人間にも、その次の人間にも。この頼みをし続けた。


いつか、少女の詩が聞こえるまで、少女が弟を見つけて帰ってくるまでずっと。


また、弟が愛した人間の強さを知る為に。


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