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或るドラゴンの記憶と孤独

従属契約エンゲージ


それは、魔族だけが扱える魔法の術式『魔工』の一種である。


魔工の種類は千差万別なれど、その全てが人類が使う魔法とは比べ物にならないほど、強力な効果を発揮する。ただし、代償として莫大な魔力を要するので、まさに生まれつき魔力の総量が桁外れである魔族の為の術式であった。


そして従属契約も例に漏れず、その効果は発動すれば絶大なものであった


その効果とは、魔物の隷属化と共有。掌に触れた魔物に自分の魔力を5秒間流し込むことで、自分の意のままに操ったり、思考や情報を共有することが出来る魔工である。


何十年と時間を掛ければ、ワッケーロを襲った魔物達の比ではない、それこそ大陸全土を覆うほどの軍勢を産み出せる可能性を秘めた魔工だが、欠点も確かに存在する。


それは、魔力を流し込む際に、その魔物の記憶が頭に流れてくるのだ。


感覚としては、生い立ちから今までを纏めた映像が脳内で垂れ流されているのに近いだろうか。魔物が人を殺した光景や捕食する光景ばかりを主観で見せられるというのは、常人ならば精神的に応えるものがある。


だが、ラキの頭に流れ込んだのは、そのような類の記憶ではなかった。


甘く優しく、そして悲哀と後悔に満ち溢れた記憶であった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

かつて、人類も魔族も住まうこの大空は、ドラゴンの物であった。


それは地上に生きる者に取っては、ドラゴンは空を飛んでいるものだと、誰もがそう思っていた時代、まだ国という概念が無かった時代の話である。


ある日、己が率いる群れからはぐれた一匹のドラゴンが空を飛んでいた。


「気持ちいい風だ……」


群青に染まる空を羽ばたく度、翼を打つ心地よい風が胸の内を通り抜けていく。呼吸をすれば、澄んだ空気が自然の雄大さにときめく気持ちを落ち着かせてくれる。


ドラゴンとして生を受けて何百年だろうか。地上の景色が目まぐるしく変化する中でも、変わる事のないこの快感には、長い時を生きてきた未だウルザードの心を弾ませていた。


「また、飛んでいたのかい兄さん」


頭に過る同族の声に身を翻すと、まるで自分の全身を白くして生き写したかのような若いドラゴンが後を追って来ていた。


「バルザックか。儂と共に空を飛びに来たのか?」

「違うよ、僕は兄さんのように、空を飛ぶのはあんまり好きじゃないんだ」


バルザックと呼ばれる白いドラコン、ウルザードの弟は苦笑いを挟んで、そう返した。


「相変わらず変な奴だ、儂らにはこんな立派な翼があるというのに」

「翼があるだけで立派だというのなら、ワイバーンも同じだよ」

「むっ、あんな下劣な亜種などと一緒にするな」


謙虚というか無力というか、ドラゴンとしての誇りにイマイチ欠けている弟に、ウルザードは呆れてしまう。親子ほど歳が離れている故に、若者の風潮が合わないからだろうか。


そんなことを思いながらも、ウルザードは飛ぶ勢いを落としていき、バルサックと並走する。そして、ある提案を持ち掛けた。


「なぁバルザックよ、儂と一勝負せんか?」

「またですか、もう何回やっているんだか」


バルザックがウンザリしたように溜息を吐く。堅苦しい話をする前には、決まってウルザードはこうして勝負を持ちかけてくるのだ。兄の悪癖には、ほとほと困り果てていた。


「分かりました。突き合いましょう」


だがどうしてか、それに付き合ってしまう自分にも困っていた。


「流石、我が弟だ。それでこそドラゴンである」


そんな意味の無い誘いに乗る自慢の弟に、ウルザードは自慢げに鼻を鳴らすと、ルールを説明し始めた。


「ルールは簡単だ、どちらがより上空を高く駆け昇れるのかだ。簡単であろう?」

「えぇ、いつもならどちらが速く飛べるかの競争ばかりでしたから、偶には悪くないですね」

「なら決まりだ、よぉいどん!!」

「あっ!兄さんズルい!!」


一早く上空へと駆け出したウルザードに、不意を突かれて出遅れたバルボッサが追い掛ける。


駆け上がり、駆け上がり、ひたすらに駆け上がり、そして二人の限界にまで辿り着く。


「やるな、我が弟よ」


そう言って、ウルザードは上空を見上げる。そこには燦燦と輝く太陽に被さるハルボッサの姿があった。


「兄さんこそ、この高さまで飛ぶのは初めてでしょう?いつ抜かされるヒヤヒヤしましたよ」


対照的にウルザードを見下げるバルボッサは、健闘を称えつつ、徐々に降下していく。そして兄と同じ高度に並び立つと、勝ち誇った笑顔で牙を見せた。


「ぬかしおる、お前ならまだまだ飛べたであろう」

「バレてしまいましたか。ですが、抜かされると思ったのは本当ですよ」


ウルザードに指摘され、悪戯がバレた子供のような無邪気さで誤魔化すバルボッサ。


これもいつもの事であった。ウルザードが全力を絞り切ろうと、弟のバルボッサはそれ以上の実力で難なく飛び越えてしまう。それは兄としてのプライドが傷つく半面、ウルザードは誇らしくもあった。


これなら、例え何があっても大丈夫だと。


「バルボッサよ、儂に話しとは、あの話についてであろう?」


敢えて、ウルザードは自分から話を切り出した。そちらの方が、バルボッサは話しやすいだろうという配慮からである。


その気遣い通り、バルボッサも喋り始めた。


「はい、その通りです」

「考え直すつもりは」

「勿論、有りませんとも」


バルボッサが、己の覚悟を噛み締める様に宣言する。


「僕は地上の人間を守る為、魔族と戦います」


何度目か分からない弟の決意に、ウルザードはまたなのかと溜息を漏らす。


つい一年前のことであった。ある日ウルザードが率いる群れから居なくなったと思ったら、半年ほど経ってようやく姿を現した。そして消えた半年間で何があったのかは分からないが、そんな事を願い出るようになったのだ。


「……儂には分からぬな」


ウルザードは、雲すら突き抜けて蒼天と太陽の光のみが広がる、誰も居ない大空を見据える。


「儂らドラゴンは、この無限の空を支配する唯一無二の存在。翼を持たぬ地上の有象無象の一つに、何故肩入れする」


人類と魔族が争っているのは、ウルザードも分かっている。しかし、それは地上での話。この雄大で果てしない大空を支配するドラゴンに取って、足元で起こるイザコザなど知ったことではない。


だがバルボッサは、雲の間から覗く草木や山々と多彩な、人が根付く地上を見下ろした。


「確かに、地上に住まう人間は、僕達のように空を飛ぶことはできない。ですが、同族を思う気持ちは変わりません」


その目は慈しむような、あるいは尊敬するような眼差しをしていた。


「理解できんな、たかが地上に住まう一種族如きが、儂らドラゴンと同じなど、烏滸がましいにも程がある」

「いえ、同じでは有りません。もしかしたら、人間はドラゴン……いや、この世に居るどんな生物よりも可能性を秘めています」


たかが地上に住まう一種族にそこまでの価値が?


ウルザードの眉間が、訝しさに思わず歪んでしまう。しかし、それはバルボッサの嘘偽りが混じらない、純真にも澄んだ瞳が疑念を許さない。


一体、群れからはぐれた半年の内に、何を見て、何を学び、何を経験したのだろうか。自分の預かり知らない地上での記憶が、バルボッサを変えてしまった事だけは間違いなかった。


その事に気づいて尚、ウルザードは変わってしまった弟を諭すようにして話し始める。


「バルボッサよ、お前は強い。この儂よりもだ」

「……そうですね」


バルボッサは嘘を付かずに答える。謙遜などしても、この兄には通用しないのを知っているからだ。


「ドラゴンはその歳月を重ねるごとに身体は育ち、鱗は固くなり、知恵を付け、そして強くなる。それ故に、群れの中で長く生きた儂こそが皆を導く立場となっておる」


既にウルザードは、それこそ地上に知的生物が住み着く前の時代から、長き時を生きている。例え天災や不慮の事故に遭わなくとも、そこまで寿命が持つドラゴンなどは居ない、かつて共に生まれた同胞は、天へと旅立った。


おそらく、これから先の世代でも、自分以上に歳を重ねるドラゴンは、もう生まれることはないだろうと、ウルザードは確信めいたものを抱いていた。それ故に、認めがたくもある。


「これから衰えていく儂とは違い、まだ年若いお前は更に強くなる。いずれは、この世に生きる全てのドラゴンを従える身となると、儂は考えておる」


ウルザードは気づいていた。この身体は、もう衰えるのみで、今が最後の全盛期であると。


だからこそ、既に自身をも超える才覚を秘めたバルボッサには、期待せずには居られなかった。


「今一度、考え直してくれぬか。また居なくなるばかりか、脆弱な人間如きに力を貸す阿呆だと、お前を群れから追い出そうとする馬鹿がまた増えるであろう。そうなれば、お前はもう戻って来れんぞ」


未知数の才能への畏怖、自分より若く強いドラゴンへの嫉妬に、バルボッサを追い出そうとするドラゴン達が、ウルザードでさえも無視できない程にまで膨れ上がっている。


もしたかが矮小な一種族の為に旅立ってしまえば、例え血の分けた弟であろうと、ウルザードは非常な判断をせざるを得ない。


「兄さん。僕はもう決めたんです」


そして、バルボッサはそれを理解出来ない弟ではない。寧ろ聡いドラゴンであった。


聡く強いドラゴン故に、ハルボッサの視界には、いつもウルザードしか見えなかった。


「今まで、僕はこの誰も居ない空しか知りませんでした。ただ漫然と飛び続けて、疎まれ、畏怖され、僕の隣には兄さんしかいませんでした。ですが地上には僕より矮小でも、同じ空を見上げてくれる仲間達が居る。僕は、僕を孤独から救ってくれたお礼をしたいんです」


最早、これ以上の語らいは不要だろう。ウルザードは兄としての言葉を捨て、一つの群れの長として言葉を投げ捨てた。


「ならば今すぐにでも去れ。そして我らの前に二度と現れるでない。空も飛べぬ人族に加担する腑抜けは、最早ドラゴンではない」


一言でも発する度に、ウルザードの口から炎が漏れ出し、心が業火に燃やされる。胸の内で暴れ回る悲しみと遣る瀬無さを、怒りで覆い隠して吐き出す。


そうでもしなければ、ウルザードは引き留めてしまいそうであった。こうして突き放してしまわないと、未練たらしくも甘い戯言を垂れ流してしまいそうなのだ。


孤独から救われ、友を得て、自分の翼で空ではない何処かへ旅立とうとする弟を止める老いぼれなど、見っとも無いであろう。


「兄さん、貴方は優しいですね。でも、僕は兄さんと離れ離れになるつもりはありませんよ」


そんな上辺だけの怒りも、弱い心も、バルボッサはとうに見透かしている。


見透かしながらも、バルボッサは翼を縮めて、そのまま身を任せて落ちていく。


最後に、悲しみも孤独も吹き飛ばす笑顔を残しながら。


「だって、空を見上げれば、そこには何時だって兄さんが空を飛んでいるのですから」


こうして、世界に一匹のドラゴンが、地上の元へと堕天した。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「馬鹿な弟よ……ドラゴンを捨ててまで、地上に行くとは」


バルボッサが消えた大空の中で、ウルザードは太陽に代わって昇る月に、そう呟く。


周囲は群青ではなく、星屑と月光にのみ照らされる暗闇に満たされる。昼に感じた心地よい風や澄んだ空気は様変わりし、孤独を強調させるようにウルザードの身へ冷たく染みていく。


「バルボッサ、お前もこの風を感じていたのか」


いつも、夜中にバルボッサが一人で空を飛んでいたのは知っていた。だが、この孤独に蝕まれる感覚はウルザードには初めての経験である。


バルボッサは、この孤独をもう感じる事はないだろう。そして、今度は自分が、この孤独に耐える番であると、ウルザードは悟った。


「グルギャォォォ!!」


雲の下から、ドラゴン特有の低い咆哮が聞こる。どうやら余りにも帰りが遅いので、群れのドラゴンが探しに来たようであった。


「ならば……」


ウルザードは急降下して雲を突き抜け、そして群れのドラゴンの元へ向かう。


厚い雲の中に、己の覚悟を置き捨てながら。


「お前が空を見上げても孤独を感じないよう、儂は何時でも空を飛んでいよう。そして何時の日か、お前が空を羽ばたく時には、また共にこの景色を見ようではないか」


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