第35代勇者の実力、見てみるか?
稀代のロクデナシとして貴族界隈で有名であったリュクシスだが、貴族として必要となる2つの才覚には恵まれていた。
一つは、物の価値を見定める審美眼。貴族の子息として、庶民なら目が飛び出るほど高価な調度品や、名工が惜しみなく意匠を凝らした芸術品に囲まれた幼少期を過ごしたリュクシスは、特に本物を見抜くことに関しては、比類なき才能を有していた。
リュクシスはその審美眼を発揮し、聖剣を売った金を元手に、闇市で流れ着いた三本の剣を手に入れた。いずれも貴族の家宝として祀られてもおかしくはない業物であり、価値も分からない商人もどきの素人から格安で買い叩いた代物である。
その三本から、リュクシスは曲刀『フランザッパ』を選んで抜き出す。半円を描くようなやけに反り返った刃と、握れば丸ごと隠れてしまうほど短い柄が特徴の小さい曲刀である。それを逆手に持つと、背中に隠すようにして胴体を引き絞った。
「行くわよドラゴン!あの男の頭を噛み千切りなさい!!」
「グオォォォォォォォォ!!」
ラキの命令に触発され、ワイバーンが翼を大きく真横に広げ、その巨体に似合わない速さで急降下する。咢をさながらドラゴンがブレスを放つ寸前のように限界まで開き、唾液と殺意に塗れた鋭い牙をリュクシスの頭を目掛け、獰猛に剝かせていた。
「―――付与」
リュクシスは、口の中で詠唱を反復させる。そうすると体の内側から、血液とは別に生きる為に流動している見えないオーラのような、生命力や活力、気力とも言える何か、即ち魔力が掌を伝ってフランザッパに流れていく感覚が襲う。
―――リュクシスが恵まれた最後の才覚、それは魔力操作である。これは、審美眼とは違って後天的に手に入れた訳ではなく、産まれた時から身に着けた真の才能でもあった。
生まれつき、リュクシスは全身に流れる魔力の流れを感知することが出来ていた。それは魔法使いが数年の修練の末に会得する技であり、魔法を行使する上で必要な極致に既に辿り着いていたのだ。
もし、名の通った魔法使いに師事していたのならば、さぞ優秀な魔法使いとして大成していただろうリュクシスだが、残念ながらそうはならなかった。
リュクシスが選んだ道は魔法使いではなく、付与術師であった。それもただの付与術師ではなく、第三代勇者の如きが前に付くぐらいの凄腕にだ。
勇者の伝説によると、第三代勇者は魔法の五代元素である炎、雷、地、氷、風を自由自在に操り、この世のありとあらゆる自然を司ったと言われているが、どうやらリュクシスは、流石にそこまでの才気はないらしい。
「風」
たかが3つの属性しか操れないようでは、到底及ばないのだから。
魔力に、風の属性を付与する。その魔力はフランザッパにも伝播し、刀身が淡い緑色に発光し始めた。
「『燕・飛行』」
フランザッパを斜め上へと横一閃に切り結ぶと、空中に風の軌跡が崩れることなく真っ直ぐ飛翔した。
飛ぶ斬撃は駆け昇る毎に、風の軌跡は姿を変えていく。その両端はまるで翼の如く、その中央はまるで嘴の如く、その全容は鳥の如く、上空を自在に走り抜ける様は、燕が自由に空を羽ばたいているようであった。
燕の翼とワイバーンの翼が衝突する。そして、引き裂かれたのは、大きい翼の方であった。
「ギャォァァァアァアァアァア!!?」
片翼を削がれては、急降下していく巨大な体を支えることはできず、リュクシスにたどり着くまでもなく、錐揉み回転をしながら、不格好にも粉塵を巻き立て地面へと撃墜した。
「キャァァ!落ちるぅぅうぅ!?グエッ!?」
回転し始めた時点から振り落とされていたラキが遅れて、運良くワイバーンの背中へと再び着陸した。股間を裂く形だったので、代償として下半身が終わってしまっていたが。
「お、おごぉご、おごぉぉ……股が……」
「痛そぉ、ご愁傷さん」
口ではそう言うが、リュクシスは全く憐れむつもりがなく、細剣『ヴィオーネ』を抜き取り、次の攻撃へと備えていた。
「許さない……!私の股間を終わらせるなんて!!あんたの股間も引き裂いてやるわぁぁぁぁ!!行けドラゴォォォォォォォォン!!」
「ギャガゴゴゴォォォオォォ!!」
「残念だが、俺の股間は特注なんでな。そう簡単に折れたりはしないぜ」
痛みを怒りに変換したのか、ワイバーンは狂ったように暴れ狂いながら走り出した。片翼を失って飛べなくとも、地を這って突撃することは出来る。ドラゴンに及ばずともワイバーンほどの巨体であれば、並みの人間は歯が立たずに挽肉にされるだろう。
と、並みの人間であればだが。
「付与・氷」
真冬の薄氷のように白い刀身が、更に煌めきを増していく。金色の蔓が散りばめられたグリップ部分からは、深い霧が立ち込める。
否、これは霧ではない、身の毛が凍り付くほどの冷気である。リュクシスから溢れ出した魔力が、フロヴィアを通して吐き出されているのだ。
絶対零度の白銀が、リュクシスの周囲を霞ませる。微かに感じる冷たさは、熱くなった思考を研ぎ澄まし、繊細な技の冴えをより洗礼する。
「『氷華一輪挿し』!」
たった一歩のステップが、暴れ狂うワイバーンの尾や身体、片翼を潜り抜けて距離を零にする。胴体に向かって突き出した切っ先が、針穴よりも僅かに空いた鱗同士の狭間を、縫うようにして貫通した。
時間にしても1秒どころか、その10分の1にも満たない秒数であっても、内部に冷気が廻るには充分すぎる。
水さえも凍り付いてしまう冷気は噴き出した血液をまるで華の如く咲き誇らせ、あれほど暴れ狂っていたワイバーンも、表皮に蝕むように張り付いた霜に、骨や筋肉までもが凍り付いてしまったのか、錆びて軋んだ鉄板のように動きが明らかに鈍化していた。
「ど、ドラララゴンがこ、こ、こ凍ったぁぁ!?な、な、んで、こお、ちゃうののぉぉ!!」
「そりゃあ冷えれば凍るだろうよ」
ワイバーンの背中から伝わる絶対零度の冷気に舌が回らず、ラキは無意識に体温を挙げようと激しく身震いする。それはもう激しい震え方であり、ラキの残影が無数に重なって見えるぐらいほどで、わんぱく坊主のように鼻水のブランコがだらりと垂れていた。
そんなラキにリュクシスは、極めて常識的なツッコミを入れてあげつつ、フランザッパとフロヴィアを元の鞘に納める。使い勝手は良いのだが如何せん、ワイバーンの首を切り落とすには、少しばかり威力が心許ない。
此処からは、刀『雷斬』の出番だろう。
雷斬を一度だけ抜刀し、空を二、三度だけ切り結んで振り心地を確認すると、また鞘に戻す。
縄で出来た即席の鍔と、木の板に糸を無数に巻いた柄と質素な作りだが、荒波を模して刻んだかのような刃紋は、その切れ味が如何なるものかを試すまでもなく証明する。恐らく、極東の国に居るという無双の剣豪が見れば、雷切を名刀かはたまた妖刀かのどちらかを評するであろう。
納刀の構えから深く腰を落とし、刀身に雷の魔力を充満させる。フランザッパやフロヴィアとは違い、雷斬は頑丈である。だからこそ、鞘から弾け飛ぶような火花が飛び散るほどの魔力を込めようと、決して壊れることはない。
「そんじゃあメスガキちゃんよ。最後に言い残すことは有るか?有ったら、将来書く予定の武勇伝にでも刻んでやるよ。俺史上最も最弱だった雑魚の遺言ってな」
そして、煽ることも欠かさない。絶対的な勝利と自信を確信し、心の底から人を小馬鹿にしたアホ面の笑顔を、リュクシスはこれでもかと見せびらかしてやった。
「遺言……ふざけるんじゃないわよ。ふざけるんじゃないわよぉぉぉぉぉぉぉ!!なぁにが遺言よぉぉぉ!!たかだか人間の分際でェェ!!この魔王様の部下である私に歯向かっているんじゃないわよぉぉぉぉぉぉぉ!!」
命令は無くとも、半狂乱で騒ぎ立てるラキの引っ掻くような金切り声に、ワイバーンは動き出す。それは背中に乗せた少女の為ではなく、己がプライドの為である。
これまで空を飛ぶ翼を超える敵は居なかった。これまで硬い鱗に覆われた巨体に傷を付けた敵は居なかった。
それなのに、こんな取るに足らない矮小な生物一人に翼をもがれ、あまつさえ凍らさせて貫かれるなど、最強と驕っていたワイバーンには信じられる筈が無かった。
殺さなければ、この己よりも遥かに劣る人間一匹仕留めなければ、例え生き延びようが、傷ついたプライドがワイバーンを殺してしまう。
最期の力を振り絞って、また己の全存在意義を掛けて、冷気に侵された筋肉が砕け散ろうと構わずに残った片翼を振り下ろす。全力には程遠いが、なかば雪崩落ちるような一撃でも、たかが人間の骨を粉砕するには過剰な威力だろう。
最も、威力に関しては雷斬の足元にも及ばないであろうが。
「あっそ、それなら黙って斬られてろ」
雷光に満ちた刃が、閃きを見せる。
「付与・雷」
半円の黄色い残影がワイバーンの首を囲う。初めは糸のようにか細い線であったが、次第にその線は太くなっていく。やがては首を完全に覆い隠すほどに太くなり、そして。
「『三日雷』」
斬撃に追いついた閃光と轟音が激しい稲妻と化し、空気と眼球を一瞬にして焼き焦がした。
「なっ、言ったろ?」
―――それが収まった時、そこには胴体から切り離されたワイバーンのマヌケ顔だけが残されていた。
「ワイバーン如きじゃ、俺を殺せねぇって」