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最序章:聖剣を抜いたからって勇者ではないと思う

最悪のロクデナシが、聖剣を引き抜いてしまった。



そのあり得ない事実を受け止めるのに、一体どれだけの時間を要したのだろうか。魔法にでもかかったかのように、その場の時間が凍り付いてしまう。


しかし、聖剣を引き抜いた本人、次代の勇者として認められた青年『ヨハンネ・ブルース』だけは、違っていた。


ヨハンネは、自分が引き抜いた聖剣を暫し見つめ、そして腰のベルトに突き刺すと、手始めにこう宣言した。


「勇者、辞めます。それじゃ」


その日、勇者は逃げ出した。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

テルモワール王国の首都『ワッケーロ』では、人々は数十年に一度の大盛況を見せていた。


それはまるで首都一つを丸ごとお祭りの舞台にしたような熱狂ぶりであれ、大人子供老若男女分け隔てなく、皆が今日という日を祝って祝杯を挙げ、こぞってどんちゃん騒ぎをおっぱじめるほどである。


それほどまでにテルモワールにとっても、そこに住まう民衆にとっても重大な日であることが分かる。


なにせ、今日は次代の勇者が選定される『聖剣の儀』が始まる日であるからだ。


ワッケーロの丁度中央に位置する、小高い丘に堅牢に聳え立つ白レンガ造りの巨大な城『テルモワ城』、その中でも『勇者の間』と呼ばれる玉座が置かれた広い部屋で、その儀式は行われる。


聖剣の儀の内容は至極単純なものである。


現代の勇者が自ら自分の玉座に聖剣を突き刺し、それを一人ずつ引き抜けるのかを試すだけだ。引き抜ければ、次の世代の勇者として認められるという仕組みである。


その為、玉座に集まった勇者候補となる貴族の子息子女達は、自分こそが勇者に相応しい、皆一様に目の色を変えて、煌びやかな宝石が散りばめられた豪華絢爛の玉座を見つめている。


「これより、聖剣の儀を始める」


貴族の子息や子女達が集まる広間より数段昇った先、勇者のみが上がる事が許される玉座の床に、荘厳に装飾された儀衣を着た老人が、白銀に輝く聖剣を掲げて、高らかに声を上げた。


「魔の物から人々を守る剣となり、民を安寧に導くための王にならんとする勇ある者は、我が聖剣を引き抜くが良い。見事引き抜いた証には、その者を次代の勇者と認める」


代々決められた開幕の宣言をすると共に、老人―――現勇者である国王オルガノ・オルゴットはとは王城自体を揺るがす膂力を持って、力強く聖剣を玉座に突き刺した。


「さぁ、最初に引き抜かんとする者は名乗りを上げよ」


その問いに、先ほどまで自信に満ちていた子息、子女たちは、火を消したかのように、一斉に静かに口を噤んだ。


聖剣は、単純に力が強い者が引き抜けるという単純な仕組みではない。これまで、多くの力自慢が試したが、聖剣がまるで意志を持つかのように、後に勇者となる者以外は引き抜く事が出来ずにいた。


自身が無いと言った事ではないが、もしもの事を考えれば、抜くことには躊躇いが出てしまう。一瞬にして、場に停滞の流れが生じる。


「はいはーい、そんじゃ俺がやります」


だが、そんな空気を能天気に手を上げて、ぶち壊す馬鹿が居た。


その馬鹿は女受けを気にしてバサバサと整えた茶色の癖毛に、やる気が一切感じられない垂れ下がった目つきは死んだ魚どころか、死んでから真夏に一か月放置した魚のように腐りきっていた。


「そなた、名前は何と申す?」


こうも簡単に志願するとは思っていなかったのか、狼狽え気味にオルガノ王が、手を上げる青年に名前を聞いた。


きっと金の刺繍が施された高級タキシードセットさえなければ、質の悪いヒモ男にしか見えないようであろう、その青年は素直にこう答える。


「『ヨハンネ・ブルース』と申します。どうぞお見知りおきを」


かつて初代勇者であった『アクリア・ブルース』の直系の一族からなる由緒正しきブルース伯爵家の三男坊である。


それと同時に貴族史上類を見ないほどの阿呆、または貴族どころか人間失格と名高い稀代のロクデナシでもあった。


「良かろう、では壇上へ」

「分かりましたー」


オルガノ王から許可が下りると、今すぐステップでも踏みそうなんじゃないかと思うくらい、軽い歩調でヨハンネは壇上を昇る。


「これ、本当に抜いても良いんですよね?」

「う、うむ。抜けるのであれば、是非に」


仮にも一国王に対して、このような軽口を叩くヨハンネに、貴族の子息子女達から敵意と軽蔑が満載の目線を送られるが、当の本人は大して気にしていなかった。


「そんじゃ、行きます」


そして確認が済んだヨハンネは、擦り切れた布が持ち手代わりになった、聖剣の柄を握り、まるで酒場で一気飲みでもするかのようなノリで、宣言をした。


どうせコイツが引き抜けるはずが無い、精々最初に挑んだことを後悔すると言い。そんな声が聞こえなくとも、空気に流れてヨハンネに伝わってくる。


だが、そんなプレッシャーに押し潰されることなく、寧ろ心地よいとまで感じるヨハンネは、一切の躊躇いも無く、勢い任せに聖剣を持ち上げた。




そして、スポッと抜けた。




「………」

「「「………」」」

「……」


暫しの静寂、目が飛び出そうなほど見開くオルガノ王、夢でも見ているんじゃないかと自分の正気を疑う貴族の子息子女たち。それ以上に呆然と聖剣を持つヨハンネ。


これは一体どういう事なのか、それはヨハンネが一番聞きたかった。


なにせ、本当に抜けるとは思わなかったのだから。


(どうなってんだぁぁぁぁぁ!!)


自他ともに認める世界一のロクデナシである俺が、引き抜ける筈がない。そうタカを括っていた筈なのに、どうして聖剣が引き抜けてしまうのか。まるで意味が分からない。


こんなことになるのなら、『聖剣の儀に出ぬのなら、この家から出て行ってもらう』という親父の脅しに屈さず、家でゴロゴロとしていれば良かった。どうにもならない後悔がヨハンネの中でグルグルと回り出す。


こうなってしまった以上、国はヨハンネを何が何でも祭り上げて来るだろう。帝王学に経済学、王国の歴史に社交界マナー、それと夜遊び禁止に性格矯正……とにかく、次代の勇者に相応しくなるように、ありとあらゆる面倒毎を押し付けてくる事には間違いなかった。


そして、ヨハンネは重い女と面倒毎、それに責任は大嫌いである。


だからこそ、自称大陸最高の頭脳を持つヨハンネの脳は、即座に最適解を見出した。


「勇者、辞めます。それじゃ」


そう言い残すと、ヨハンネは何事も無かったのように聖剣を腰に携えて、未だ呆気に取られる目撃者達を残して、逃げ出すようにして要り口の扉の向こうへと走り去って行った。


これが今から半年前、後に貴族達の間で一大事件として騒がれた『ヨハネス・ブルース聖剣持ち逃げ事件』の概要であった。



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