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(3)大切な物の価値

「指も関節も、問題なさそうですね」

「いやぁ、本当に助かった! あまり持ち合わせはないが、さっきの薬香と義手の礼を――」


 彼が懐に手を入れた、その時――バンッと大きな音を立てて戸が開いた。驚いて振り返った直後、十数名の見知らぬ男達が次から次へと店内へと流れ込んできた。彼らが纏っている紫色の羽織りの背には、猪と椿の家紋が入っている。この家紋、どこかで見たような……。


「お前達はそっちを。お前はあっちから運び出せ」

「ちょっと、何なんですか!」


 いきなり押し入ってきたかと思えば、男達は何の説明もなく棚や椅子、その場にある物を手当たり次第に外へ運び始めた。一体、何がどうなっているのか、状況がさっぱりわからなかった。


「あのっ、どういうことなんですか! ちゃんと説明してください!」

「お前の養父が借金返済のために店を売ったんだ。店内にある物も全て売り、返済にあてるとのことだ」

「えっ⁉ そんなっ!」

「文句があるなら、養父に言うことだな。ほら、さっさとここから出ろっ」


 邪魔だと怒鳴られた挙句、院瀬見さんと共に外へ追い出されてしまった。私は男達が忙しなく出入りする様を茫然と見ているしかなかった。

 10年程前、〈紅炎(グエン)の大戦〉と呼ばれる大きな戦争があった。その時に両親を失い、孤児となった私を養女として迎えてくれたのが養父母であり、この〈菫青堂(きんせいどう)〉を営んでいた神代夫妻。数年前に亡くなったお義母さんに代わって店を引き継ぎ、店の経営もようやく軌道に乗り始めていたというのに……。

 お義父さんは昔から自由奔放で、金使いの荒い人だった。借金があることは知っていたけれど、まさかこの店を売り飛ばすなんて思いもしなかった。亡くなったお義母さんが大切にしていた店だとわかっていて売ったのだろうか。そんなまさか――いや、お義父さんならやりかねない。


「おい、いいのか? お前の店だろう?」


 院瀬見さんは困惑した様子でこちらを見下ろした。


「よくはないんですけど……あの人達を納得させられるだけの理由が見つからないんです!」


 このままでは家を失うから勘弁して、なんて理由で手を引いてくれるわけがない。

 それにしても、お義父さんにはしてやられた。自分の作った借金返済のために、大切な店を売り飛ばすなんて。しかもお義母さんが大切にしていたこのお店を、こんなにもあっさりと……どこまでも最低な男だ。

 これからどうやって生活していこう……家も仕事場も失い、まさにお先真っ暗。先行きが見えずにあたふたしているそこへ、一人の男が慌てた様子でこちらに駆け寄ってきた。


「よかった、まだいたか! 危うくお前を連れて行くのを忘れるところだった」

「私を、連れて行く……?」

「養父は店と一緒にお前も飛鳥馬(あすま)様に売り渡したんだ」

「ちょっと待って! 飛鳥馬(あすま)って……お義父さんがこの店を売った相手って、まさか!」

「領主の飛鳥馬(あすま)様だ。なんでも、ご子息が嫁に欲しいと申し出たらしくてな。連れてくるよう、飛鳥馬(あすま)様に言われていたんだ」

「ホ、ホウリ……!」


 その名前を口にしただけで背筋がゾッとした。鳥肌が立つ感覚を、寒気がするほどに気持ちが悪いと感じたことはなかった。

 領主の息子ホウリは、町でも有名な馬鹿息子。この町に住み始めた頃から〝親なし〟とか〝おれの家来になれ〟と、何かと嫌がらせを受けてきた。

 そんな彼が最近になって「おれと結婚しないと店を潰してやる」なんて妙なことを言っていたけれど、それも私が嫌がる姿を見て面白がっているのだと思い、相手にもしていなかった。それがまさか本気だったなんて信じられない。いや、信じたくない!


「ホウリの妻なんて死んでも嫌っ。お願い、見逃して!」


 頼んで状況が変わるなら、いくらでも頼んでみせる。お願いだから、と役人にすがりついたものの、もちろんそんな願いを聞き入れてくれるわけもない。腕にしがみついて懇願したけれど、力いっぱい払い退けられてしまった。


「ば、馬鹿言うなっ! そんなことが通用すると思っているのか!」

「馬鹿も何も、こっちは大真面目よ! 私の一生がかかってるんだから!」

「あー、わかったから。そんなに嫌なら、飛鳥馬(あすま)様に直接言うんだな」


 とにかく一緒に来いと、役人は私の腕を掴んだ。一庶民が文句を言ったところで何も解決などしない。逆に「うちの息子の妻になれることを誇りに思え」と言われるのが落ちだ。

 このままホウリの妻になる道しか、私には残されていないの?――半ば諦めて肩を落とした直後、院瀬見さんが役人の手から軽々と私を奪い取り、ふわりと肩を抱き寄せた。役人は慌てて振り返るが、待ち構えていた彼の鋭い睨みに一瞬で顔は青褪あおざめた。


「お、おい、何をする!」

「こいつは俺の女だ。連れて行くというなら相手になるぞ」

「お、女だ!? そんな話は聞いてない!」

「聞いていないも何も、これが事実だからな。まぁ、好きな女に男がいるなんて事実は、その坊ちゃんも認めたくないだろう」


 いつ、私が彼の女になったのだろうか。あまりにも唐突な言葉に、戸惑いながらも一瞬だけ冷静になってしまった。そんな私を、院瀬見さんは瞬きもせずに見つめている。小首をかしげれば小さく頷き返し、また傾げれば二度頷いて見せた。おそらく〝話を合わせろ〟といいたいのだろう。そう、ここは彼に合わせるのが得策だ。


「そ、そうなんですっ。私にはこんなに素敵な彼がいるんです。だから、ホウリとの結婚なんて絶対に無理!」

「そう言われても……」

「あっ、そうだ! ちょっと、待っていて下さいっ」


 院瀬見さんと役人をその場に残し、出入りする人達を掻き分けて店の中へ駆け込んだ。

 作業台の下に潜り込むと、そこに隠していた大きな招き猫の置物を引っ張り出し、それを手に外で待たせている役人のもとへと戻った。


「これ、受け取って下さい!」

「陶器の猫……? な、何だ、これは?」

「中に私のへそくりが入っています。お受け取りください! そして飛鳥馬様には、姿を消したお養父さんを捜す旅に出たとでも伝えて下さい!」

「いや、待て。この金で俺に見逃せと言うんじゃ――」

「その通りです! それでは、お願いしますね!」

「おっ、おい!」


 断わる隙を与えないよう強引に押し付け、院瀬見さんを連れてその場から逃げ去った。

 走って、走って、走って。店から二つほど通りを越えた先にある橋の上で、私はようやく足を止めた。

 しばらく息が上がって声すら出せなかったけれど、なんとか呼吸が落ち着いたところで、彼に向かって深々と頭を下げた。


「ありがとうございました! おかげで、馬鹿息子と結婚せずに済みます」

「いや、それはいいんだが、これからどうするんだ?」


 私の身を案じてくれたのか、院瀬見さんは様子を窺いながら訊ねた。

 結婚せずに済んだと安心したものの、帰る家も大切な店も失った。生活費を稼ぎたくても道具はすべて返済にあてられるだろうし、すでに家財道具と一緒に売られてしまったはず。

 それにしても、お義父さんはどこへ行ってしまったのだろう。あの人のことだもの。「金が入った! 好きなことするぞ!」とか言って逃げたに決まっている。お義父さんはそういう人だ。

 お義母さんが店を大切にしていたことや、私がどんな思いで引き継いだとか、そういう〝人の想い〟なんて大切にしない人だから。

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