8km
伴走は二人三脚に似ている。
夏奈は左手、俺は右手に一本のロープを持つため、ふたりの腕の振りに合わせると自然に二人三脚みたいになる。これが疲れてくると、腕の振りが揃わなくなって、終盤引っ張り合いのぐだぐだになる。そんなときこそ、心の中で「いち、に、いち、に、いち、に」を呟いて二人三脚をキープする。
また、意外と伝わってくるもんなんだなと知った。
夏奈がスピード上げたいときは引っ張られる感覚がロープ越しに伝わってくるし、逆にペースを上げ過ぎると逆に俺がロープを引っ張っているような気になる。「落ち着いてください」と言われている気にすらなる。
ときたま夏奈が『自由に走れている!』って感じがする。そんなとき夏奈は楽しそうな顔をする。それが伴走っていうものの理想なのかもしれない。
からっとして日差しも強いからか、走っているとすぐに汗が出た。風が吹く度に涼しさが頬を撫でた。横から、はっ、はっ、はっ、と夏奈の息づかいが聞こえる。俺も、はっ、はっ、はっ、と同じタイミングで息を吐いた。集中すると夏奈の足音が聞こえる。もしかすると夏奈の心臓音すら聞こえてきそうだ。
「二分一〇秒!」「ちょっと早いですね。もうちょっとゆっくりにしましょうか」「二分四二秒!」「今度は遅すぎますね」
最初こそはペースがつかめずにいたが、「二分二四秒」「二分一八秒」「二分二一秒」と段々わかってきた。というより夏奈がペースを作っている感じだ。
「ど、どうですか? このペースなら、走れ、そうですか?」
一三周、五キロを過ぎた辺りで、息を上げた夏奈が聞いてきた。
「なんか、いつもよりは、楽」
少しだけ強がってそう答えた。
一四周――二分三〇秒。ペースが落ちてきた。
一五周――二分三二秒。六キロ。いつもはここで終わり。ここからは未知の領域。
一六周――二分二九秒。喉の奥から血の味。腕がだるい。
一七周――二分二五秒。足の疲労を感じる。脛あたりの筋肉が痛い。
一八周――二分四二秒。腕を振るのがきつくなってきた。足首が痛い。
一九周目の真ん中あたりでついに足が止まりそうになった。太ももから足の先までビリビリと痺れて、疲労物質が溜まりに溜まったような感覚が下半身を包んでいる。加えて上半身は腕が限界。ロープを持っていない左手はだらんと下げて走っている。横っ腹が痛くて呼吸が辛い。
はぁ、はぁ、はぁ。
はぁ、はぁ、はぁ。
ふたりの呼吸音だけが聞こえた。
夏奈をちらりと見ると、前だけを見据えて腕を振っていた。
十八周と半周。距離にして七・四キロ。人生でこんな距離走ったことがない。今日はこんなもんか。そう思って足を止めそうになったとき、横から声がした。
「あと、六〇〇メートルです! 早淵さんっ!」
その声が俺の足を先に進める。
「後ちょっとで、最後の一周です! がんばりましょう!」
夏奈は上がっている息の中、俺を励ましてくれた。
そうだよな。今日は二〇周、走るって決めたもんな。
最後の二〇周目に差し掛かった。酸欠なのか頭がぼうっとする。一歩一歩、命を燃やして走っているみたいだ。体がふわふわして、喉の奥には血痰の味。鼓膜には自分の心臓の鼓動しか伝わってこない。ただただ気力で走っている。
「最後の直線、ラストスパートです! 早淵さん」
最終カーブを曲がるとき、夏奈の弾んだ声が聞こえた。
はぁ、はぁ、はぁ。
最後の直線――夏奈が歩幅を大きくする。それについていく。それでも夏奈は歩幅を大きくして、まるで競争みたいになってゴールまで駆け込んだ。最後の最後の力を絞り付くしてゴールした。
ド、ド、ド、と心臓が大きく脈打っている。肩で息している。汗がつうっと粒を成してぽたぽたと地面へ落ちていく。全身が火照って、特に太ももが燃えるように熱い。
「あ――――――ッ!」
気が付くと咆哮していた。
走りきった俺は、伴走用ロープを持ったままその場に倒れてしまう。
「きゃっ」
短い声と同時、夏奈がよろめいた。
「だ、大丈夫ですか?」
「ごめん。ちょっとこのまま寝かして」
風が吹いて頬を撫でる。
はぁ、はぁ、とまだ息が荒い。まだ微熱が残っている。
「早淵さん」
「ん?」
夏奈が嬉しそうに言う。
「走っちゃいましたね。目標の二〇周、八キロメートルですよ。八キロ! おめでとうございます!」
「夏奈はもっと走れそうなの?」
「そうですね……私はまだいけます」
「スタミナお化けが」
夏奈は足を止めそうになった俺を励ましてゴールさせてくれた。
今回走りきれたのは夏奈のおかげ。
ふたりで走るって、いいこともあるんだな。
心が折れそうになったとき夏奈が励ましてくれた。
紛れもなく夏奈のおかげなんだ。
「早淵さん、ハイタッチしませんか?」
この子となら、俺はどこまでも行けるかもしれない。
そんなことを強く感じずにはいられなかった。
「楽しかったですか?」
「もちろんッ! ありがとう」
起き上がって夏奈の手のひらと手を合わせた。
パチン!
手の平がじんとして、それは走りきった微熱に似ていた。