6km
「気に入ったのありました?」
店長の運転する車に揺られて、夏奈とスポーツショップに来ていた。
夏奈と出会って二週間。ランニングサークルの活動日は火・木・土。なんだかんだ毎回夏奈と走った。
だって敬虔なる美少女教徒の俺からすると、神が走りたそうにしてたら走るよね?
うん走る。
超走る。
メロスだって美少女の妹のために走ったもん。
……そういう話だったか定かでないけど。
それにしてもこれほどランニングが続くとは思わなかった。夏奈がいなければ絶対三日坊主で終わっているはずだ。おかげ様で俺の体重は一キロ減った。
音葉からは、目ざとく「友くん痩せた?」と言われた。最近、音葉が脈略なく、チョコ食べる? とか、おにぎり握ろうか? そんな感じで何かしら食べさせようとしてくる。いつか寝ている間に高カロリー食品を口にねじ込まれるかもしれない。
それよりなぜ俺が夏奈とこんなところに来ているかだ。
それは簡単にいうと、デートだった。気合い入れて朝シャワー浴びちゃったぐらい、俺氏ちょっと緊張している。
夏奈たんはひらひらのワンピース姿である。私服センス◎である。見えない目でどう選んでいるのか気になるどころではあるが、今はこの可愛さにすべてがどうでもよくなっている。
「着地するとき、踵には体重の三倍の重さがかかるんですよ。だから踵のクッション性は大事です。靴によっては反発力で足を踏み出しやすくしているものもあるんですよ」
だだっ広い郊外店のランニングシューズ売り場の前で、夏奈たんはお熱くなっている。
なぜこのようなラッキーシチュエーションになっているかというと、俺がいつまでもスニーカーで走っているもんだから、ちゃんとしたランニングシューズを買った方がいいと夏奈が言いだし、いやいいよ、買った方がいいです、いやいいよ、と押し問答のすえ、店長が車を出すという流れになった。
ちなみに店長は夏奈をスポーツショップのランニングシューズコーナーへ送った後、併設された大型スーパーへ店の仕入れに向かった。今日は鶏もも肉が安いらしい。
夏奈がずらりと並んだ靴の前でペラペラと喋り続けている。すると周りに集中していないせいか足元にある試着用の椅子にぶつかりそうになった。咄嗟に夏奈の腕を掴む。
「あ、ありがとうございます」
細いかわいい礼儀正しいかわいいイイ匂い。一瞬でいろんな情報が脳内に流れ込んでくるが、俺はいたって平静をキープした。抱きしめたりしなかった俺を褒めて欲しい。
夏奈を椅子に座らせると、
「ふう。スネを強打して悶絶するところでした」
はにかむ夏奈さんである。見蕩れるからそんな顔しないでほしい。
「早淵さんは何色が好きなんですか?」
「まあ、派手じゃない方がいいな」
そう言って目の前にあるナイキを手に取った。グラデーションカラーの派手派手なやつ。ランニングシューズはなぜかビビットカラーや派手なものが多い気がする。
「例えばこの靴がずらりと並んだこの壁って、夏奈にはどう見えてんの?」
「うーん」と考える夏奈に「あ、ごめん。こういう質問嫌だった?」と訊く。
「全然嫌じゃないですよ。知ってもらうことは重要なんです」
……そうなのか。
「そうですね。ここは照明が強いので、白い光の中に、ぽつぽつ、と色の玉が浮いているというのでしょうか。磨りガラスごしにビー玉を見ている感じです」
「案外、見えてないんだな」
「見えてないんですよ~。視野角も狭いですし」
「視野角?」
「見えている範囲です。端っこが見えなくなったり、中心が見えなくなったり。私なんか中心しか見えませんから。ちょうど壁に開いた穴を見ている感じです」
要約すると、壁に開いた穴から磨りガラスごしに見ている感じか。しかも左目は完全に見えないってことだろ……。
「全然、見えてないんだな」
「まあ慣れですよ~」
慣れですむレベルなのだろうか……。
「そういえば俺が送るLINEのメッセージとかってどうやって読んでるの?」
それはですね~と、夏奈はスマホと取り出して、
「大体のスマホにはスクリーンリーダーっていう読み上げ機能がついているんです」
そう言って、夏奈は画面の一番右上にある緑色のアイコンを起動させた。
「いつも使うアイコンは場所を覚えていますから、こうやって起動までは余裕です」
そうやってLINEのトーク画面を開いた。
「画面で一度タップすると、選択したところを読み上げてくれます。選ぶときはダブルタップで選ぶんですよ」
夏奈が画面を上から複数回タップした。すると何やらすっごい早口の機械音が聞こえた。
「×××、×××」
「ちょ、早い早い」
「ふふ。慣れれば聞こえますって。あきほ、友弥、って言ったので、二番目が早淵さんのトーク画面です」
ダブルタップして、俺とのトーク履歴を開く。そして一回、タップ。
「××××××××××」
また何言っているかわかんない。
「練習お疲れ~」
昨日練習後に送ったメッセージを夏奈が読み上げて、「こうやってます」と微笑んだ。
「すげえな。こんな機能あるって知らなかった。これからも助けが必要なら言いなよ」
「こう見えて私素直じゃないんです~」
「伴走用のロープ、ここでも持つか?」
「もうっ」と夏奈は少し怒って、「貸してもらえます?」と手を差し出してきた。俺が持っている靴を貸してくれとのこと。靴を夏奈に手渡すと、夏奈はその靴のつま先を曲げたり伸ばしたりして、鼻頭につくんじゃないかってくらい至近距離から見たりした。
「これなんかいいんじゃないですか? 試着してみます?」
「けど青のグラデーションとか派手だぜ」
「すみませーん!」
俺の躊躇なんか気にもせず、夏奈は店員を呼んだ。店員が近くにいるのに大声を上げるものだから店員も少し驚いていた。
「……軽い」
試着してみると裸足かと思うくらい軽かった。それに踵全体が包み込まれている感じ。
「すげー。走りやすそう」
でしょーと夏奈は自分のことでもないのに嬉しそう。
「早淵さん、終盤、足首痛いとか足が疲れたって言いますよね? あれ、靴のせいもあると思うんですよー」
「そうなのか」
値札を確認すると……うん? え、一万超すの? 超高いんすけど。
どうしようかな~。さすがに高いな~。どうしようかな~。
「ちなみにそれだと、私と色違いになっちゃいますね」
「買いましょう!」
即決。いやぁ、こりゃ買いだわ。
「ええ~! いいんですか? お揃いで」
「だって走りやすそうだからね。それにすでに使用している人からの信頼できる口コミがあるんだから買わないわけにはいかないよね。勘違いしないで欲しいんだけど、俺は夏奈とお揃いってところに魅力を感じたわけじゃなく、あくまで性能を重視したいわけ」
そう答えると、夏奈は「そんなに真剣でしたら……」とすくっと立ち上がる。
「じゃあ、次はウェアですね」
む?
「それに、ソックスも重要なんですよ。たくさん走ると靴ずれやマメが出来ます。予防・防止のための必需品です。買いましょう。あと、これからの季節はランニングキャップが必要ですね。熱中症対策です。買いましょう。余裕があればウェストバックも揃えたいところです」
むむ?
……オレ、オカネモチジャナイ。
そんなことはカッコ悪くて言えず、夏奈は女の子特有のショッピング欲求に火が付いたといった感じだ。夏奈は数歩すたすたと進み、はたと止まった。
「あれ? おじさんは?」
夏奈がきょろきょろしてあの巨漢を探す。どうやら腕を貸してくれる人がいなくて戸惑っているようだ。
「隣のスーパーに仕入れに行くって。気づかなかった?」
あー……と夏奈の呆けた声。そして恥ずかしそうに、
「……すみません……腕を貸してもらえませんか?」
「そうだな」
夏奈の左に立つと、夏奈は俺の腕にそっと触れ、ちょこんと洋服を摘んだ。
「これで、お願いします」
超恥ずかしそうにしているわけ。
――このとき、どんなことを考えていたんですか?
早淵:そうですね。ひと言で言うと「やばい!」ですかね。女の子にされたいシチュエーション第三位に入る「裾掴み」を恥ずかしそうに繰り出してきたわけですよ。それをあの夏奈たんがやってくるわけですから。一千万人にひとりの「裾掴み」って言っても過言じゃないですからね。もうキュン死するかと思いましたよ、ハハ。よく抱きしめたりせず自制したなと、自分をほめたいです。
ああああああああ夏奈たああああああああああああああああああああああん!
俺テンションMAXでもはや変なテンションになっていた。
「よしっ! 今日は道具一式揃えよう!」
「ええええ! そんなに買っちゃうんですか?」
ニコッと笑った夏奈はもはや神。イエス! マイゴットネス! 超かわうぃイエェエエス!!
……まあ、そんな感じでこの日、夏奈に勧められるままなんでもかんでも購入していった俺は、全財産残り四九二円という事態に陥り、音葉にお金を借りた。トイチ(一〇日で一割体重増やす)の約束で貸してくれた。
昔、親父がキャバクラにハマって、母さんとガチ喧嘩しているときに言った台詞がある。
当時、子の俺が聞いて「あ、こいつ馬鹿だ」って思った台詞だ。
『だってアケミちゃんが買ってって言うんだもんっ!』
親父……家を出た俺は、今ならその気持ちがわかる気がするんだ。
これを成長っていうのかな。………違うか。