38km
大会の閉会式で表彰されたあと、俺たちは走っているときに余裕がなくて見れなった灯台のところまで車を出してもらった。
すでに一七時。ちょうど夕焼けが綺麗な時間帯だった。
「白い灯台だったんだけどさ、夕日で赤く染まっているな」
「綺麗ですか?」
「ああ……」
灯台の麓には灯台公園という公園があった。波の音が聞こえる。目の前には赤く染まった水平線が見えた。
「海が真っ赤に染まってるぞ。見えるか?」
「……今日は目の調子が悪いんですかね。見づらいです」
――見づらいので手を、お願いできますか?
その言葉に胸が高鳴った。夏奈の手にそっと触れると、夏奈はきゅっと握り返してきた。なぜだろう少し震えている。
「水面が波打つ鏡みたいだ。西の空にはオレンジの丸がぽつんと浮かんでいるぞ。空が濃い青とオレンジでグラデーションを作っている」
「残念です。今日は本当に見えないです」
黄昏の水平線を目の前にして、どこか違う世界との境界を目の前にした気持ちだ。
「優勝、おめでとう」
「一〇キロの、小さい大会ですけど。……うれしいです。九割は早淵さんのおかげです」
「夏奈の頑張りだよ」
「まさか、私が一番になれるとは思いませんでした。またひとつ夢を叶えてもらえました」
「他にもやりたいことあるの?」
訊いてみると、夏奈の口からどんどん溢れてきた。
「フルマラソン走りたい。スキューバダイビングってしてみたい。キャンプとか外で寝泊まりしてみたい。温泉旅行にもいきたいです。あ、旅行っていったら、海外旅行にもいってみたいですね! 私の目が、悪くなる前に出来たこと全部、あきらめたくないです」
うん、うん、と頷いて聞いていると、夏奈はこう続けたのだ。
「就職して、結婚して、子育てして、案外、これが一番難しそうですけど」
「…………」
俺がいるじゃん――と、簡単に口にするほど俺は軽薄でもなかった。
「なんでそれが一番難しいのさ」
「……大変なんですよ? 家に目が見えない人がいるって。お母さん、お父さん、お姉ちゃん、ずいぶん迷惑をかけたし、助けてもらいました。私といっしょになったら、その人の人生壊しちゃいます」
珍しく、夏奈は自虐的だった。
なんて声が掛けられるだろう。そんなことない、と簡単に言っていいものだろうか。
ふっと潮の匂いに混じって甘い匂いがした。
「甘い匂いがしますね」
夏奈も気が付いたらしく、辺りを探すと白い花が咲いていた。すでに時期が終わりかけなのだろうか、枯れかけている。
「白い、大きな彼岸花みたいな花だ。ラッパみたいに花びらが開いている」
「はまゆうっていう花ですよ」
「ああ、これが。ずいぶん甘い匂いがするんだな」
ずっと前にテレビで見たような気がする。
「この花の花言葉、知ってる?」
思い返してみると、ずいぶん遠くまできた。
東京から上京して、何にもない毎日から、夏奈と出会って、今じゃ本州最西端で夏奈と手をつないでいる。
「どこか遠くへ――が、この花の花言葉。夏奈もまだまだ遠くに行けるんじゃないか? まずはフルマラソンっていう目標を越えようよ。次はスキューバか? 付き合うよ」
夏奈が俺の手をぎゅっと握り直した。
それに対して、俺は一度手を離して、指と指を絡めるように握り直す。
「はまゆうの花言葉、もうひとつあるんですけど、知ってますか?」
俺の方へ向いて、夏奈は柔らかく微笑んだ。夕日を浴びて赤く染まっていた。
「あなたを信じます、なんですよ」
その笑顔は、俺の脳裏に一生刻まれるぐらい、輝かしいものだった。
◎
その翌週。本番前にもうひとつ大会にエントリーしていた。練習試合だ。その練習試合前日のこと。秋穂さんからメールが届いた。
そこには短い言葉でこう書いてあった。
――夏奈が入院しました。