34km
九月八日(土)
夏奈がボーリングをしてみたいというので午前中の練習が終わってボーリングにやってきた。教えてと言われたから教えたけど。ここの穴に指を入れて、とボディタッチ。こう投げるんだよ、とボディタッチ。心臓の鼓動が聞かれないかハラハラした。「そこからまっすぐ投げて!」とか目が見えない分、スイカ割りみたいになっていた。夏奈はほとんどガーターだったけど、一回だけストライクを取った。はしゃぐ音葉が見れただけで本当によかった。それにしても、なぜ音葉は夏奈とほぼ同じスコアだったんだ?
九月九日(日)
夏奈の願いを叶えちゃおう第二弾。カラオケ。音葉と夏奈が店のレンタルでコスプレした。
音葉(巫女服)
→ロリといったら巫女服。巫女服といったらロリ。くっ……音葉……自分の活かし方をわかっているぜ……。幼馴染相手にちょっとだけキュンときたじゃねえか。
夏奈
→青髪が似合う人間がいるとは思わなかった。現実離れしていた。あと夏奈はビビるぐらい歌が上手かった。録音したかった。毎日聞くわ。ミク様になりきった夏奈へ「サンキュー!」ってガチで叫んでいたら喉がやられた。
ひとつ残念なのは、カラオケのリモコンが夏奈じゃ扱えなかったこと。どうにかならないものかと思った。夏奈曰く、歌詞が見えないから完コピできる歌じゃないと入れられないそうだ。そういう曲は探す必要はなく、タイトルまでわかるから、だれか入力してくれたら大丈夫とのこと。
◎
夏奈のことをもっと良く知りたい。
この前カラオケに行って、そう思った。
スマホは操作できる。けどカラオケのデンモクは操作できない。他に出来ることはなんだろう。出来ないことはなんだろう。走っているときはどう思っているんだろう。俺の伴走は走りやすいんだろうか。
そんなことを考えていると、体が勝手に動いていた。
次の練習日、トレーニングメニューを終えた俺は、夏奈と別れた後、短澤さんと竹川さんのところに向かっていた。
「伴走を教えてください」
竹川さんは静かにうなずいて、短澤さんはホクホク顔して「待ってたよ!」と言った。
そして……。
今、俺の目の前は真っ暗である。周りからは老人の声が聞こえる。長老会の方々に囲まれているのだろうか。
「兄ちゃんそんなんしてどうしたんかね」「よお見えんやろ」「まあわしらも白内障でよおみえんけどな」「お前この前手術したっていっとったやろ」「目なんか見えたってお先真っ暗は変わらん」「そりゃ変わらんのお!」
うぇっへっへ、うぇっへっへ、とご老人方の笑い声に包まれる。
目隠しされていても、ウメさんツヨシさんタエコさんシゲルさんヨシオさんがどんな表情しているか予測はできる。みんないたって平常運転だ。
「そんなこと言っちゃダメですよ~。次は冬休みになったらお孫さん来るんでしょ~」
この数ヵ月でご老人ブラックジョークをいなすテクニックを得た俺。
それより、なぜ俺は目隠しされて老人の真ん中で放置プレイを食らっているかだ。
短澤さんからはアイマスクを渡されて、ちょっと飲み物を買ってくると、グラウンドの真ん中で放置された。絶対取っちゃダメだよ、と念押しされているから取りたくても取れない。
早く短澤さん……帰ってきて……。
真っ暗だと孤独だなあ……。目が見えない不安に打ちひしがれていると、短澤さんの声がした。
「ごめんごめーん。取っていいよ」
アイマスクを外す。一〇分ぐらいだろうか。急激に眩しくなって視界がくらんだ。
脂汗が首筋に浮かんでいる。
目の前には竹川さんが立っていた。
全盲のこの人の世界はこんなのなのかな。直立するだけで恐怖する、そんな世界。
「真っ暗で、恐怖しかなかったです。全盲ってこういう見え方なんですか?」
静かに、竹川さんは口を開いた。
「別に真っ暗というわけじゃない。よく誤解される。僕は薄い灰色。人による。人によっては白だって答える人もいる。何も見えないことは共通しているけど」
「そうなん……ですか」
どういうことか良くわからなかった。白? 灰色? イメージがわかない。
「怖かったでしょ?」
短澤さんが笑う。
そう。見え方がわからなったけど、はっきりと恐怖の真ん中にいた気がした。
「全盲と弱視じゃ全然世界も違うからね。とりあえず早淵くんには今の感覚を忘れないうちに、次はこれをかけて」
手渡されたもの……それは紙で出来たメガネだった。輪ゴムで耳に引っかけるタイプのもの。メガネのレンズ代わりに三角錐が付いていた。ちょうど目ん玉出しているようなフォルム。
「これは?」
「ロービジョン体験キッドっていうんだ。いつか早淵くんが俺んとこくると思って……用意してたんだよっ」
キラッと短澤さんが笑う。
さっそくかけてみると、メガネの三角錐の先に穴があいていることがわかった。しかしすっごい小さな穴でほどんど見えない。
「これは視野狭窄って言って、視野が限りなく無くなった状態を再現しているんだ。どうかな?」
「光は見えるんですけど、ほとんど見えないです」
さっきの『真っ暗』よりは、光を感じられる分ましだ。しかしほどんど見えないことには変わりない。
「これが夏奈ちゃんの視界に近いのかな。これ付けたまま俺と走ってみようよ」
「これで走るんですか!?」
まあまあ、と短澤さんに促されるままトラックへ向かう。短澤さんが俺の左について走り出す。
「じゃあ最初はいちに、いちに、で合わせようか」
「いやいや無理ですって。超怖いですけど」
「大丈夫大丈夫。目標は一周、四〇〇メートル走ってみるよ!」
最初はよちよち歩きの子どもみたいに歩き始めた俺だったが、次第にジョグぐらいのペースなら足を踏み出せるようになった。しかし超怖い。すっごい高い吊り橋を走っているようだ。足がすくんで、踏み外したら死ぬんじゃないかっていう気すらする。
「次、曲がるよ~」
「え。え! 右ですか左ですか」
教えてくれないまま短澤さんは左に曲がった。ぐいぐいキズナで引っ張られる。曲がりきったことも教えられず、曲がりきったら短澤さんの肩にぶつかった。
そして(たぶん)直線に差し掛かったとき、短澤さんは少しだけスピードアップした。
「ちょ、ちょ、怖いですって!」
まるでジェットコースターに乗っているような気分だった。
叫ぶと短澤さんは大声で笑った。
「ごめんごめん。いじわるした。次から真面目にやるね」
その後の伴走は凄かった。
――もうちょっと走れるんじゃない?
――そのペース。これでいこう。
――足が上がってないよ。
――じゃあそろそろ左カーブが始まるよ。時計イメージして。カウントダウンしたら十一時の方向にゆるく曲がっていくから。三、二、一、ハイ、曲がりまーす。
――またカウントダウンしたら直線にもどるよ~三、二、一、ハイ。
すべてが的確で、イメージしやすい。不安はありつつも、なんとか走れる。
こういうことか。本当の伴走って。
ふたりがひとつになる。それにはこういう伝える力って言うのが絶体的に必要なんだ。
「最初、俺が言うことがざっくりしすぎてて、正直恐かったでしょ? 予想していないペースアップをさせられても、怖い。そうなると足がすくむよね? 俺たちはその足がすくむっていうのを取っ払ってあげるのが腕の見せ所なんだ」
そして、にかっと笑った短澤さんは最後にこう付け加えた。
「パートナーを知ることも重要だよ。夏奈ちゃんのこと、もっと知ってあげてね」
はい、と力強く答えて、またひとつレベルアップできた気になった。