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バンソー!  作者: 志馬なにがし
32/43

31km

 秋穂さんは俺へ一瞥もしないまま長い石畳の階段を降りて、すいすい人波を縫うように歩いて行った。野良犬のようについていく俺。ついていくことに一生懸命だ。


「あ、あの!」


 たまらず声を掛ける。

 秋穂さんはチラッと後ろを向いて、「何?」と訊いてくる。


「すみません。ちょっとコンビニに寄っていいですか?」


 関門汽船の桟橋前にあるファミマで音葉用に絆創膏と飲み物を買う。秋穂さんと夏奈分を買いますよ! と申し出たところ、いいと短い言葉で拒否されて、秋穂さんはすたすたとレジにひとりで並んでいた。ったく、ツンデレのデレ抜きだぜ。


 ファミマを出ると、「早く買って帰るわよ」とまたすたすた歩き出した秋穂さん。持ちますよと申し出ても無視される。ったく、ツンドラのドラ増しだぜ。


 すると、いきなりのことだった。

 ドンッ! ドンッドンッ! と空砲が空に響いたのだ。

 そのときだった。


「ひゃっ!」

 秋穂さんが耳を塞いで小さく丸まったのだ。


 ……まさかとは思った。


「花火の音、嫌いなんですか?」


 ぷるぷる震えながら秋穂さんが見上げてくる。


「そ、そんなわけないじゃない。ばかぁ」

 くっ。かわいいぞこの人。

「じゃあ、立ってくださいよ。通行の邪魔になっていますよ」


 手を差し出して腕を貸そうとする。ペチッと叩かれる。叩かれても、このまま丸まらせておくわけにもいかず無理やり立ち上がらせる。

 歩き出そうとしても秋穂さんはその場で立ちすくんでいる。


「どうしたんですか?」


 一向に歩こうとしない秋穂さんの足元を見ると、右の下駄の鼻緒が切れていた。どうしたらいいのかわからないといった感じだ。


「もう。仕方ないですね。背中に乗ってください」

「まさかおぶるつもり?」

「みんなの邪魔になるでしょ。早く乗ってくださいよ」


 すっごい不貞腐れた顔してしぶしぶ乗ってくる秋穂さん。


 ひと言よろしいか。

 胸がすごい。クッションでも挟んでる? って思わせるぐらい弾力がある。

 そんなことを考えていると、ぽかっと叩かれた。


「海響マラソンのエントリー忘れたんだって?」

「なんで知っているんですか?」

「ザマミロ」


 この弱みを見られたら、相手の弱みを突いてくる性格ってなんだろう。対等以上の関係じゃないと悔しいのかな。


「だれか出走権ゆずってくんないですかね」

「私が持ってたとしても、絶対君なんかにゆずんないけど」

「持ってるんですか!?」

「……冗談よ。就活のとき、スポンサー会社に媚び売ろうかとエントリーするか迷ったけど」


 エントリーしておいてくださいよー、そういうと背中でくすくす笑い声が聞こえた。


 人混みを避けて座れそうな縁石を見つけた。さっきコンビニでもらったビニール袋を空にして、縁石に引いた。


「座ってください」

「……お気遣い、ありがとう」


 ぼそりと言って、秋穂さんは座る。

 それから鼻緒の切れた下駄を貸してもらった。


「直せるの?」

「見てみないとわかんないですけど……」


 確認すると、二本の鼻緒を下駄の先で止める細い紐のところが切れていた。親指で挟むところだ。


「履き心地は文句言わないでくださいよ」


 そう言って、秋穂さんが持っていたビニール袋を裂いてねじって一本の紐にした。


 それを切れた紐代わりにしたら直せるんじゃないかな。穴に通して下駄の裏で抜けないように固結びして……。

 俺の手元をまじまじと見ながら秋穂さんは呟くように言った。


「……君って器用なの?」

「昔から、友達の壊れた虫取り網とか直していましたから」


 ふーんと自分で訊いておいて薄い反応の秋穂さんだった。


「ひとつ訊いていいですか?」

「なに?」


 走る秋穂さんを見ていて不思議に思っていたこと。


「なんで走るのやめちゃったんですか?」

「なんで君なんかに話さないといけないの?」

「いや、本当に走っている秋穂さん楽しそうだから」


 ぶっちゃけ夏奈も楽しくて、秋穂さんが本気なら、姉妹でマラソン挑戦でもいいんじゃないかって思っている。俺が走りたくなくなったって意味じゃなく、本当に意味で、夏奈も秋穂さんも楽しいならそれがいいと思うからだ。


 秋穂さんは少し考えてから仕方ないって顔をした。


「君さ、私を見ててわかんない?」

「何をです?」


 ?? 急にそんなこと訊かれても何を問いているかすらわかんない。


「女の子ってね、…………まあ、男の子じゃわかんないと思うけど。走るとき痛いのよ?」

「痛い? 痛いってどこがですか?」


 察しが悪い……とため息をつく秋穂さん。


「胸よ」

「胸? 胸……? 胸?」


 もう! と痺れを切らして秋穂さんは大きな声を出した。


「だから、おっぱいよ! おっぱいが痛いの! もう揺れて痛いのよ!」


 おっぱい、おっぱい、秋穂さんは大きな声で言う。あまりにおっぱい、おっぱい言うものだから周りがガヤガヤしだす始末。


 がやがや。おっぱいって? がやがや。痛いって……。がやがや。あの人外で何しているのかしら。がやがや。警察呼ぶ?


「ちょ、ちょ~と声を小さくしましょうか」

「走ったら揺れて痛いのよ! 私、中学入ってからどんどん大きくなって今やGよ! G! こんなにあったら、おっぱいの根元から千切れそうになるのよ!」


 ……なに言ってんだこの人。


「わかりました! わかりましたから!」

「いーえ。わかるわけないわよ! 男が巨根すぎて走ったら千切れそうになるって聞いたことないでしょ! そんくらいきっと痛いわ! 走るのやめざる負えなかったの!」


 がやがや。巨根? がやがや。千切れるって……。がやがや。おいおい女の方も痴女かよ。がやがや。俺ムービー撮ろう。


 やばいやばい! ネットにアップされて炎上されちゃう。


「わかりました。わかりましたよ! 下駄治りましたよ! ほ、ほら行きましょう!」


 秋穂さんの手をひっぱってふたりで走った。

 人混みの中、ふたりが通れそうな間を縫って走った。


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