23km
「何はともあれ、みんなおつかれ~! 乾杯しましょ~」
あけみちゃんが乾杯の音頭を取る。俺たちのブースの周りでは、別チーム方々がBBQをスタートさせていて、そこかしこから肉の焼ける匂いが漂っていた。
「仮装賞一位おめでどう! かんぱーい!」
「「「かんぱーい!」」」
俺たちのチームは、フルマラソンを三時間半で完走した。個人で走れば三時間半って優秀な成績だが、結果は一〇〇チーム中、九八位。一位のチームはフルマラソンを二時間三分。男子世界記録を狙えるスピードだった。交代できる分、他のチームは短距離走のようなペースで走っていた。みんなが鬼木さんレベルで、ガチ走りしているって感じ。
その代わりと言ってはなんだけど、俺たちは圧倒的な大差をつけて仮装賞一位を取っていた。仮装賞は参加者の投票で決まる。主に音葉と夏奈の力である。
なんたって走りきったあとで撮影会が開かれたレベルだからね。あれはビビったわ。
一方のあけみちゃんは……周りから『快速の妖怪』と呼ばれていた。スカートを貴族のように両手で持って、キロ三分のスピードで走るスピードBBA。キロ三分って自転車のスピードだからね。ママチャリじゃ追いつかれるスピードだかんね。いやー形相がやばかったな……恐すぎだよな……。ときたま悲鳴が聞こえたもんな。
「楽しめた?」
ブロンド姿の妖怪が声を掛けてきた。
「はい! 楽しかったです。みんないろんな格好して、応援して、タスキをつないで」
「よかったわ~♡ 今日早淵くん結構走っていたわよね」
「なんだかんだで二〇キロ走りましたから。自分でもよく走れたと思いますよ」
結局、音葉も店長と同様一周でダウンした。それから俺は、夏奈との伴走も加え四キロ×五周ほど走った。
「それだけ走力が上がってるのよ♪」
「もうヘトヘトですよ」
「……ね、早淵くん」
「なんです?」
「これだけは覚えていて欲しいんだけど……走るってことは楽しいことなんだって」
少し寂しそうに微笑んであけみちゃんは続けた。
「ほら、私、厳しくしちゃうけど、それは早淵くんが頑張ってるからなんだよ」
「あけみちゃん……」
だから今日誘ってくれたんだ。
マラソン大会っていっても、こんな感じでラフに走って、最後BBQして、こんな楽しい大会もある。何もタイムや距離を競うものが、マラソンってだけでもない。そういうことを忘れないでほしい。そう伝えたかったんだろう。
なんだろう……少しあけみちゃんが好きになりそうだ。
あけみちゃんと見つめ合う。
……無いか。無いな。
「よーし。炭の調子は抜群! そろそろ肉乗せるぞ!」と店長の声がした。
瀕死にまで陥った店長だったが二時間の昼寝によって完全復活を果たしたようだ。
炭をおこして、BBQの準備をひたすらひとりで行っていたようだ。ありがたい! プロが作る炭焼き料理……じゅるり。
「お肉食べなきゃね」
「はい!」
みんな各自の紙皿を取り出して焼肉のタレを入れる。
「楽しみですね、早淵さん!」
うきうきしている夏奈。火の近くはさすがに危ないので、コンロのそばに設置されたテーブル前のキャンピングチェアに夏奈はちょこんと座っている。夏奈の代わりに俺がテーブルの上に置いている紙皿に焼肉のたれを入れた。そして左手を紙皿のところまでもっていってあげる。右手は割り箸を持たせて、準備OKだ。
「肉、取ったら持っていくからな!」
じゅううううううううう! コンロの網に肉が投下された!
戦争が始まるッ!
「おら、良い肉なんだから焼き過ぎんなよ! 取れ! 取れ!」と店長。
網からは脂が下たる甘い匂いの煙が立ち込める。肉汁したたるお肉を、一枚、二枚、三枚、と自分の紙皿にいれていく。なんだこのお肉……肉汁ぱねぇえええ! うまそぉおおおお!
空腹は最大の調味料なり! 今日も食べ物に感謝して!
いただきます!
そう思った瞬間、自分の紙皿を見ると……無い。無かったのだ。
肉が……無くなっている。知らぬ間に食べたのかなあ。
もう一回、肉を取りに行く。
じゅううううううううう! コンロの網に肉が投下された!
網からは脂が下たる甘い匂いの煙が立ち込める。肉汁したたるお肉を、一枚、二枚、三枚、と自分の紙皿にいれていく。やっぱりこのお肉……肉汁ぱねぇえええ! うまそぉおおおお!
いただきます!
そう思った瞬間、自分の紙皿を見ると……やはり、無い。肉が……無くなっている。
…………おかしい!
絶対おかしい!
口の中を確かめても肉の味なんかしない。
「夏奈ちゃーん。友くんがお肉取ってくれたよ~」
「……オトハサン? ナニシテンノ?」
固まった。
「音葉さん! これすごい! 美味しい……! 早淵さんも食べてますか? 溶けますよ! 口の中で溶けますよ!」
「美味しいよねー! こんなお肉もう一生食べられないかもだよ!」
キャッキャウフフと女子ふたりが肉を美味い美味いと食べている。
俺の紙皿には脂の浮いた焼肉のタレだけ。
ちくしょう! もう一回!
じゅううううううううう! と肉が焼ける!
俺はほぼ生の肉を箸で掴んでそのまま口に放り込もうとした!
すると!
ガシッ! 音葉に右手を掴まれて、お肉さまを口に入れることが叶わない……。
「友くん……なにしているのかな?」
「肉食うよ! 超食うよ! 牛一頭分食うよ!」
「ほら、まだ焼けてないから、網に戻しなさい」
そう言って、ニコニコ微笑む音葉さんは、女の細腕ひとつでぎちぎちと俺の右手を網のところに戻していく。……どんな怪力してやがんだッ!
「あけみちゃんに聞いたんだけど、友くんってマラソン走るなら太りすぎなんだよね? 二〇キロ痩せなきゃなんだよね?」
嫌な予感しかしない。
「……え。お前……まさかッ!」
「はい」
そう言って、音葉は何かを渡してきた。
白くて丸くて手のひらに収まるこの形……どう見ても鶏卵である。
「ゆでたまご♪ 低脂質高たんぱくを心がけて摂取していくよ! あとで鶏のササミ焼いてあげるね♪ 今日から、友くんのダイエットに全力で協力する~ふふ」
ニコッと音葉さん。まさか、この肉を目の前にして、食うなってことか!?
正気の沙汰じゃない……しかし、冗談言っている顔じゃない。
「せめて! せめて今日の肉だけでも! 今日の肉だけでも食べさせてくれ!」
「…………」
無言で感情を殺した顔してこっちみる音葉。これマジなやつだ。
「お前の血の色は何色だ! 俺が痩せてもいいのかよ! ガリガリになるんだぜ!」
「知らないの? デブエットにはリバウンドっていう最終奥義があるんだよ?」
「知らないよッ! 俺、マラソン終わったらまた太らされんの?」
「リバウンドを制する者は、脂肪を制す!」
「だから知らねえって!」
「焼肉は匂うだけ……」
「殺せ! いっそのこと殺してくれ!」
この後、俺は鳥のササミを食べた。鳥五羽分は食ってやった。唯一許されたことは、牛の肉汁が混ざった焼肉のタレを付けてササミを食べることだった。肉汁が甘かった。めっちゃ旨いんだろうなって思った。会場の公衆トイレの個室でひとり泣いた。
俺はこの日のことを一生忘れない。末代まで呪ってやる。肉の恨み。肉の恨みである。




