1km
店じまいの掃除をあらかた終えた俺と音葉は店のカウンターに並んで座る。
「おつかれちゃん。はい、今日のまかない」
店長がゴトと目の前にどんぶりを置いた。
「おー今日もうまそうっすね!」
ご飯を覆いつくすほどの豚のバラ肉が生姜焼きとなって大量に盛られている。
店長が大食漢だけあって、ここのまかないは毎日美味い。
この店で働き始めて、俺はひとつわかったことがある。
デブが作る料理は美味い。
そういう見方で見ると、どこの飲食店でも店主が太っている店は大抵美味い。自分が太るほど食にこだわりを持って料理を作っている人間の飯がまずいわけがないのだ。
「今日も大盛りっすね!」
器を持つとずしりと重かった。
豚肉から立ち上がる湯気からしょうがの香りと豚バラ肉の脂の甘い香りがした。この匂いだけで飯が食える。ペロリですわ。
はい友くんマヨネーズ、と音葉が赤色キャップのマヨネーズボトルを渡してきた。俺はコレコレ、とボトルの細い先端から格子状にマヨネーズを何重にもかけた。そこゴマ、唐辛子を少々。うわ、めっちゃ旨そう。
「いただきます!」
手を合わせた瞬間、何かが脳裏をかすめた。
「うわっ!」
立ち上がった拍子に椅子がバンと倒れる。
「へ?」と音葉。
「どうした?」と店長。
「今何時です!?」
「深夜一時だな」と店長。
「これ何キロカロリー!?」
「うーん。友くんのは二〇〇〇キロカロリーぐらいじゃないかな?」と音葉。
「昨日のまかないは?」
「「チーズコロッケカレー」」
ふたりの声が被る。
「おとといのまかないは?」
「「とんかつ&から揚げ丼」」
ふたりの声が被る。
謎は……すべて解けた。
椅子を起こしてカウンターに座ってうな垂れる。
……これじゃん。
俺は今日の今日までどんだけデブに励んでんだよ俺。
「どう考えてもこのまかないじゃん。俺が太る理由って。こんな深夜に肉とか揚げ物とかそりゃ太るよ……なんだよとんかつとから揚げのどんぶりって。ぺろりだったよ美味かったよ……」
「そんなわけないじゃ~ん。音葉は全然太らないよ?」
「いや音葉は昔からそういう体質じゃん」
「俺だって毎晩早淵より食ってるけど、そんなに体重変わんないぜ」
「いやいやもう体重の上限に達しているんですよ」
店長がどんぶりをかきこんだ。ちなみにそのどんぶりは俺の倍ほどある。店長の腹ははち切れんばかりに膨らんでいる。その膨らんだ腹がTシャツをまくり上げ、店長の腹毛を露出させた。
……やばい。このまま店長のデブエットに付き合い続けると、いずれ店長化してしまう。そうなったら人間として終わりだ。ちやほやされたいとか、モテたいとか、そんなことまで望んではいないが、一般的な恋愛をあきらめるつもりもない。
「……痩せねば」
ぼそりと漏れた瞬間――
ガタッ!
今度は音葉が椅子をひっくり返して急に立ち上がった。
目をひん剥いて俺を見ている。
「今……なんて言ったの?」
「え……いや……痩せねば……って」
「だれが?」
「いや……俺が」
すると……「ダメだよ」と音葉がぼそり。
目に大粒の涙を蓄えて、音葉が早口に続けた。
「ダメだよダメだよダメだよダメだよッ! 友くんは痩せちゃダメなんだよ! もしも友くん痩せたら、音葉、食欲がなくなってみるみる心が擦れて気付けば悪い人たちと知り合いになってお薬打たれて無理やり犯されて生きてる意味わかんなくなって、『私の人生、早淵友弥さんに狂わされました』って遺書に書いてやるんだから!」
「ちょ、落ち着けってッ」
「落ち着いていられないよ! だって友くんが『痩せる』って言うんだよッ! ふつうじゃないよ! 痩せるって意味わかんないよ! ねえ、そんなに思い悩んでいたならなんで相談してくれなかったのッ!」
「なんで自殺を止めるようなテンションッ!?」
「わかった! 音葉の! 音葉の初めてあげるからさぁ……ね? お願いだから……痩せないでよぉ」
最終的には俺に縋りついて泣いてくる音葉さん。
勘弁してくれよ……。
自由に痩せさせてくれよぅ。
すると店長が真剣な顔して厳かに問いてきた。
「痩せたいのか?」
「え?」
「だから痩せたいのかって」
ここまで太った人間に、「痩せたいのか?」と尋ねられると……何を訊きたいのかわからなくなる。何コレある種の禅問答だろうか。暗殺者に「なぜ人を殺さないのか?」と問われ、答えようによっては命を奪われるのじゃないかとそんな感じの妙な緊張感を覚える。
「……ま、まあ」
恐る恐る答えてみると、「じゃあ明日、俺に付き合え」と含みを持たせたようにニヤリ笑った。
「いいとこ、紹介してやるよ」
なんだろう。めちゃめちゃ美味い食べ放題の店でも紹介されるのだろうか。
逆に太らされてしまうんじゃないかと……不安でしかない。