花の声
花の声が聴こえる、と類は言った。
いつも類はそうだ。
突拍子もないことを言って、僕を当惑させる。彼女は出会いしなから僕を見るなり、貴方は雲だねと言ってのけたのだ。
類はそういう、人の魂の核心を突く、一種の天賦の才があった。
放浪を重ねる僕を雲と評したことは、その例の一つだろう。類に言い当てられた途端、僕は魂が小さな欠片となって、ほろほろと崩れていく気がした。
そんな類が、花の声を聴いたと言うのは、僕たちが付き合い始めるようになってからしばらくのことだった。
国は戦禍に呑まれようとしていた。
その頃になると類は、夜中に飛び起きて、子供のように泣きじゃくるようになった。僕は彼女を宥めすかし、内心の動揺を悟られまいとした。
赤紙が僕に来たことを、彼女が知るのは時間の問題だと言うのに。
僕から見れば日本の敗北は明瞭だった。
なぜ、国の中枢にいるお偉方がそれに気づかないのか、それが不思議でならなかった。
或いは、気づくまいと目を背けていたのかもしれない。
国の手綱を執る立場として、その姿勢は如何なものか。
友人たちは次々、招聘された。それは花びらがむしり取られる様に似ている。
僕もまた、むしり取られるのだと、類には到底、言えなかった。
なのに類は言うのだ。
花の声が聴こえる、と。
まるで全てを見通しているかのように。
やがて戦地に旅立つ僕を、親類縁者、近所の人たちまでもが見送りに来た。
その中に、類の姿はなかった。
僕は南方の島に送られた。
戦地での日々は地獄だった。
類が恋しかった。
青に透き通るくらい白い肌も、それに反して熟した果実のような赤い唇も、黒檀のような髪も。
彼女の姿を思い描きながら、僕は重い銃を手にしていた。
暑くて、咽喉は乾き、飢えは極限状態にまで達していた。
敵兵の撃った銃弾が、僕の身体を真っ直ぐに目掛けて来た時。
それで終わるのだと僕は思った。
けれど。
ふんわりとした、花びらが銃弾を包み込んだ。
類の微笑が脳裏をよぎった。
僕は、九死に一生を得た。
同時に悟った。
類がもう、この世の人でないことを。
最愛の女性を喪ったことを。
類は、自らの命と引き換えに、僕を救ったのだ。
僕は蹲り、呻いた。獣のように。
彼女の声が聴こえたように思った。
ずっと、愛していたと。これからも愛していると。
敗残兵となり、国に戻った僕を、母は何も言わず抱き締めた。
それから、赤ん坊を抱いて来た。
お前と類さんの子だよと言って。
類はその女の子を花、と名付けたそうだ。
僕がその桃のような頬に触れると、花はくすぐったそうに笑った。
花の声。
ああ、類。
僕にもやっと届いたよ。
花の声が。