2004年4月1日~桜~
2004年4月1日。
美しい花を一斉に咲かせる「生命の息吹」。
桜が満開に咲き誇る4月1日、僕は同級生の中で、一番最後に満12歳となった。
憂鬱だ。憂鬱だ。憂鬱だ。
心が叫んでいる。
誕生日だというのに、ちっとも明るい気分になれない。
4日後に中学入学を控えた僕は、憂鬱という真っ黒でもやもやしたものに心を食い潰されそうになっていた。
昨夜、そんな僕の憂鬱をあざ笑うかのような明るい声で、
「明日、中学校まで歩いてどのくらいの時間がかかるのか調べよう。」と、同級生の遠藤光から電話があった。
「登校の予行練習だよ。」とはしゃぐ光の声を聞いて、正直、一人でやってくれと思ったが、
その思いとは裏腹に、僕は「いいよ。」と返事をし、午前10時に僕の家の前で待ち合わせをすることにした。
「晃にも電話して話しておくね!」と、最後まで明るい声で光は言って電話を切った。
当たり前のように石井晃を誘うと光は言ったが、晃は僕と光とは同じ中学には通わない。
公立に進学する僕と光とは違い、晃は私立入学が決まっている。
それでも、晃を誘うことは当たり前。
「光と晃。それからチホちゃん。ずっと一緒にいなきゃいけないの。神様が決めたことだから。」
幼かった光は、いつの日にかそう言った。
憂鬱を抱える僕の胸で、その言葉がやけにこだまする。
次の日、家の前で二人を待ちながら、僕は思わず「憂鬱だなぁ。」と声に出して言っていた。
黒いもやもやは完全に僕の心を食い潰したようだ。
午前10時を過ぎたが光も晃もやってこない。
光はいつものことだが、晃が遅れるのはめずらしい。
小学生時代、毎朝晃は待ち合わせ時間より早く来たが、光は必ず遅れてきた。
同じ地区に住む僕達は、登校班も同じだった。
光は、10分位の遅刻は遅刻とは言わないと思っている。
いや、実際にそう言っていたことがあった。
「なんだ、それ。人を待たせている自覚がないのは良くないよ。」と10分前行動を心掛ける正しき僕に言われても、それでも光は時間を守らない。呆れた奴だ。
そんな呆れた奴である光が僕の家に近づいてくるのが見えてきた。
晃も一緒のようだ。
僕に気が付いた二人は手を振って、小走りでやってきた。
「チホちゃん、誕生日おめでとう!」
少し息を切らした光が、にっこり笑って僕にお祝いの言葉を言った。
「チホ、誕生日おめでとう。遅れてごめん!」
光の何歩か後ろについて小走りしてきた晃も、少し息を切らしながら僕に言った。
「ありがとう。」と素直にお礼を言おうとした瞬間、
「やっと私達と同い年になれて嬉しい?」
と、光がニヤニヤしながら、余計な一言を言った。
僕は言いかけたありがとうという言葉を閉まって、
「晃、行こうぜ。」と言って光を無視し、晃と一緒に中学校を目指して歩き出した。
「ちょっと、チホちゃんひどいよ。」と言いながら光が後を追いかけてくる。
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四月一日生まれで、同級生で一番歳をとるのが遅く、それとは関係ないけれど、三人の中で最も背の小さい僕を、いつも光は年下扱いしている。
やけに世話を焼いてみたり、まるで弟かのように僕をみている。
例えばこんな感じだ。
クッキーが4枚あるとして、僕達3人で分けることになったとする。
そうしたら光は、自分と晃には1枚ずつ配り、僕に2枚くれるだろう。
「どうして僕に2枚くれるの?」と聞いたら、必ずこう言うはずだ。
「チホちゃんは私達の中で一番年下だから。私達の中で一番赤ちゃんに近いからね。優しくしてあげるの。」
小憎たらしいこのセリフは、4歳で光に出会ってから今まで、あらゆる場面で聞いてきた。
光が僕をからかう時のお決まりのセリフだ。
「光がチホちゃんをからかうのは、可愛がってるってことなんだよ。」と光は言うが、僕は可愛がってほしくなどない。
だから僕もお決まりのセリフを言い返す。
「赤ちゃんに近い?何言ってんの?」
「本当は僕、13歳だよ。」
ちなみにこれは今年版。
去年は、「本当は僕、12歳だよ。」
一昨年は、「本当は僕、11歳だよ。」
その前の年は、「本当は僕、10歳だよ。」
このように、光に年下扱いされてからかわれる度に、僕は自分の本当の歳を言い返してきた。
僕と光のこのやり取りを毎回黙って聞いている晃は、きっと耳にタコが出来ているだろう。
“本当は、13歳。”
言葉通り、僕は本当に13歳なのだ。
光にからかわれたからでもなんでもなく、僕は本気で言っている。
どういうことか説明すると、僕は自分の年齢を数え年で数えている。
日本では年齢を満年齢で数えるが、僕の生まれた韓国では、数え年で年齢を数える。
生まれた時が1歳、そして正月がくると誰もが1つ歳を取る。
1992年4月1日生まれの僕は、2004年の今、13歳だ。
だから、本当は13歳。
僕は韓国で生まれた韓国人で、4歳の時に日本に引っ越してくるまで、ソウルで暮らしていた。
パク・チホという名前。
苗字がパクで、名前がチホ。
中学校進学が憂鬱なのは、この名前のせいだ。
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「チホちゃん待ってよ。ごめんね?」
光の余計な一言がやけにむかつき、中学校を目指して早歩きをしていた僕に光が言った。
僕は立ち止まって、「何が?」とぶっきらぼうに返した。
「だから、誕生日なのにからかってごめんね。」
まゆげをおもいっきり下げて申し訳なさそうな顔をする光。
だが、今日の僕はこの顔にほだされることはなく、立ち止まっていた足を動かして、また早歩きで中学校を目指した。
許してもらえなくてふてくされた光は、僕とは反対にゆっくり歩きはじめ、気が付けばだいぶ後ろの方にいた。
「光とずいぶん離れちゃったね。」
僕の早歩きに付き合っていた晃が、後ろを振り向きそう言った。
「光のこと許してあげないの?悪気はないってわかってるでしょ?。」
晃は僕を心配そうな顔で見て、言った。
意地を張る僕に、「光がチホをからかうことなんていつものことなんだからそんなに怒るなよ。」などと、責めたりはしなかった。
光がぼくをいくらからかっても、僕が光に何度言い返しても、そのやり取りを耳にタコが出来るほど聞いていても、晃はいつも中立の立場を守り、僕と光が喧嘩にならないように気をつかったりするような奴だ。
そして今回のように喧嘩になったとしても、仲直りさせるのはいつも晃の役目。
人一倍気を使う晃に申し訳なく思ってしまう時もあったが、そんな晃についつい甘えてしまう僕だった。
僕は早歩きをやめて、ゆっくり歩きながら晃に話した。
「光に対して怒ってるわけじゃないんだ。」
「光が僕をからかうのはいつものことだし、気にしてない。」
うん、うん。晃が相づちを打つ。晃の相づちはいつも僕のことを素直にさせた。
「・・・。中学校に行くのが嫌なんだ。」
「今日のこの登校の予行練習が嫌ってわけじゃなくて・・・。」
「入学するのが?」と晃が僕に聞いた。
晃のその問いかけに、「うん。」と僕は素直に言った。
「小学校に入学した時みたいにまた嫌な思いをするのかと思うとすごく憂鬱で・・・。」
4歳の時に父親の仕事の都合で引っ越してきたこの霞町は小さな町で、外国人は僕たち家族以外におらず、とても珍しがられた。
小学校入学当時も、日本人とは違う変わった名前の僕はみんなの好奇心の対象であった。
それは悪気のないものだったが、好奇心とは時にやっかいなものへと変わるときがある。
霞町の人はみんないい人だったが、僕は好奇心の目に勝手に傷つけられていたことがあった。
そして僕は、好奇心の目から逃れるために殻に閉じこもり、一時期他人を拒絶していた。
そんな時に僕を助けてくれたのは、近所に住む幼馴染の晃と光だった。
殻に閉じこもる僕に光は、「そういうのって、自意識過剰だと思う。」と言った。
自意識過剰の意味を知らなかった僕は、辞書で調べて、その意味に悲しくなった。
当時小学二年生だった光が、なぜそんな難しい言葉を知っていたのかは謎だが、僕は自意識過剰の意味を知り、自分が勝手に傷つけられていた気になっていたことに気が付いて気恥ずかしくなった。
光のその言葉は僕に何かを吹っ切れさせた。
厳しい光とは反対に、晃は、「人と違うって特別ってことだよ。チホは特別なんだ。僕は友達のチホが特別で誇らしいよ。」とにっこり笑って優しい言葉を僕にかけてくれた。
晃のその言葉は魔法のようだった。
“自意識過剰”も“特別”も、僕の心を軽くしてくれた。
言ってくれたのが光と晃だったからなのか。それはわからないけれど、僕はしっかり心に刻んだはずだった。
だが、中学入学を目の前にして、殻に閉じこもった当時の気持ちが蘇り、僕を憂鬱な気持ちにさせていた。
「あの思いをまたすると思うと嫌なんだ。」という僕の気持ちを聞いた晃は、僕に歩調を合わせて静かに僕の話を聞いていた。
僕は不安な気持ちを打ち明け始めたら止まらなくなった。
「韓国で暮らしてたのは4歳までだし、父さんも仕事が忙しくて里帰りするのは年に一回くらいだし・・・。正直僕はもう日本のことのほうがよく知っているのに、やっぱり名前は韓国人だから、みんなとは違うって目で見られるんだろうか。」
そう言った僕の顔を見て晃は、「きっとそうだろうね。」と言った。
それを聞いて僕はため息をつく。そんな僕に晃は、
「チホがそう思って、中学校に行くことを心配してるんじゃないかって光と話してたんだ。」と言った。
「光も?」と僕は聞いた。
「うん。僕よりも光のほうが心配してたよ。またチホちゃんの自意識が爆発してるんじゃないかって。」
「あいつ・・・。」
「あはは。光なりの心配の仕方だから許してあげて。」
「やっぱり僕って自意識過剰なんだろうか。」
「誰だってそうさ。」
「誰だって?」
「うん。誰だって、人にどう思われているのか、どう見られているのかを考えながら生きてる。その気持ちが大きいか小さいかの違いだけど、そんなこと考えながら生きてること自体、みんな自意識過剰だと思う。」
なんか話が難しくなってきたなと僕は思ったが、黙って晃の話を聞く。
「“ゆとり教育”とか、“個性を育てる教育”とか、最近テレビでよく偉そうな教育者気取りが言っているけど、あんなの嘘さ。」
「単純に考えて、個性を育てるなら、みんな同じ制服を同じように着るのっておかしくないか。」と晃が僕に聞く。
僕が黙っていると、晃はこう続けた。
「個性を発揮して人と違うことをしたら、おかしいと言われる。だけどみんなと同じだと、個性を育てろなんて言われる。だいたい個性ってなんだ?生まれた時からみんな違う人間なんだから、今更個性とか言われてもさ・・・。」
そこまで言って晃は僕のきょとんとした顔を見て「話がそれてごめん。」と言った。
「晃、お前本当に小学6年生?」と僕が聞くと、
晃は笑って、「もう中学生だよ。大人、大人。」と言った。
「とにかく僕が言いたいのは、チホが周りと違うと思われることが嫌だって気持ちもわかるけど、違ったっていいじゃないか。それがチホの個性でもあるんだから。みんなと国籍が違ったって、名前が日本人みたいじゃなくたって、チホは僕と光の自慢出来るいい友達だよ。だから、自信もって中学校に通ってほしい。そして、好奇心の目に押し潰されそうになったら、またあの言葉を叫ぼう。」
「あの言葉?」
「うん。覚えてるだろ?二年生の時、上級生にチホが韓国人だってからかわれた時に光が言った言葉。」
「「私達、みんな地球人だよ!」」
晃と僕は同時に言って、笑いあった。
そして、光がそう言って僕を守ってくれたことを思い出した。
僕たちは足を止め、光を待った。
追いついた光に僕は「置いて行ってごめんね。」と素直に言った。
光は目を赤くして、「光もごめんね。」と言い、僕たち三人は仲良く中学校を目指した。
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結局中学校までは徒歩二十分ほどかかり、僕と光は待ち合わせの時間を決めた。
晃は、「喧嘩しないで行くんだよ。」と僕たちに言った。
「大丈夫。光、お姉さんだもん。」と、懲りずに年上ぶる光に、もう僕は腹が立たなかった。
「はいはい。光お姉さん、大好きな桜がきれいに咲いてるよ。」
中学校の校門前に咲く桜を指さして僕が言うと、光は桜を見ずに自分のスカートのポケットの中から桜色の封筒を二枚出した。
そしてそれを僕に差し出す。
「何?」と聞く僕を、晃と光がニコニコしながら見ていた。
そして、光がこう言った。
「チホちゃんに、私と晃から誕生日プレゼント。チホちゃんとの待ち合わせ前に二人でこれを書いてたの。それで遅れちゃった。ごめんね。」
それで今日は晃も遅刻だったのかと妙に納得しながら僕は手紙を受け取った。
「ありがとう。目の前で読むのは恥ずかしいから、家に帰ったら読むよ。」と僕が言うと、
光は僕から手紙を奪い取り、「だめ!」と言った。
「はぁ?」手紙をよこしたくせいに奪い取って、読んだら駄目とはどういう了見なんだと思っていると、
「これは、チホが中学校で辛い事とかがあって、どうしようもない時に読んでほしい手紙なんだ。」と晃が言った。
「だから、チホちゃんが辛くてこれを読みたくなったら光に言って。それまで光が預かっておくから。」と光が続けていった。
「それまで読めないってこと?」と僕が聞くと、
「「うん。」」と二人同時に返事が返ってきた。
「だから、嫌な事とか、辛い事とかあったら、隠さないですぐ光か晃に言うんだよ?」
長い付き合いのこの二人には僕の憂鬱な気持ちも、不安な気持ちもばれていたのだろう。
中身は読めないけれど、きっとあの手紙の中には晃と光の僕を想う優しさが込められた言葉が綴られている。
僕はあんなに憂鬱だった気持ちが晴れていくのを感じた。あんなに不安がっていた僕を馬鹿だとさえ思った。
僕には、晃と光がいるのに。
「わかった。本当に二人ともありがとう。」と僕が素直にお礼を言うと、
二人とも安心した顔をして「どういたしまして。」と言った。
僕は涙が出そうになり、それをごまかすために校門前で咲き誇る桜を見上げた。
「すごくきれいなのに、すぐ散っちゃうと思うと寂しいね。」僕につられて桜を見上げた光がそう言った。
そんな光に、「ほんとに光は桜が好きだね。」と晃が言うと、
「だって桜って、晃みたいだから。」と光は晃を見て言った。
「僕みたい?」
「うん。勝手な光のイメージだけど、桜って、優しくて、穏やかで、強くて、見るとほっとするっていうか・・・とにかく晃みたい。」
「ふーん。」と晃は嬉しそうに桜を見上げて言った。
「晃と一緒にこの中学校に通えないのが寂しい。」と光はポツリと言って、瞳いっぱいに涙を集めはじめた。
それを見た僕もつられて涙が出そうになったが、光の涙がこぼれないように努めて明るくこう言った。
「明日の晃の誕生日、何する?」
光は急いでこぼれ落ちそうな涙をぬぐって、
「光はちゃんとプレゼント用意してあるよ。チホちゃん大丈夫?」と笑顔で言った。
「やべ!」と言う僕に、「僕、自分の部屋にテレビが欲しいんだ。」と晃がふざけて言った。
明日、4月2日、晃は同級生の中で一番最初に満13歳を迎える。
同級生の中で一番最後に誕生日を迎える僕を年下扱いしたりして光がからかうのは、そんな僕とは反対に、晃が一番最初に誕生日を迎えるという皮肉を交えたものだった。
何をプレゼントしようか全然考えていなかった僕は次の日、晃の満13歳を祝してまだ使っていなかった鉛筆を5本あげた。
「何それ。使ったらなくなるじゃん。」と光は嫌味を言ったが、
「使わなければなくならないよ。僕、使わないで大事にとっておくよ。」と晃は笑いながら言った。
その晃の優しさに僕は心が痛くなり、
「いや、使ってくれ。来年はもっとちゃんといいもの用意するから。」
「中学校行ったら、シャーペン使うでしょ。鉛筆いつ使うのよ。」と光に言われ、シャーペンにすればよかったと後悔した。
だが、その後悔をはるかに超える後悔を2年後にすることになるとは、この時は想像出来なかった。
そう、想像出来なかったんだ。




