黒薔薇の王妃の横顔
「夫に恋をしなさい」
母や叔母、大叔母たちにそう言われて私は育った。
「夫に恋をしたら幸せになれるわ」
そう言う彼女らの表情は幸せとは思えないけれど、それを口に出せるような雰囲気ではなかった。私はそれにただただ頷くだけだった。
夫を賢王に導き、夫の国に安定を与えることが使命だと、教育係を務めていた一族の男は言った。
私は、一族と一族に庇護を与える国を守る為に結婚しなければならないそうだ。その為だけに母は王の側妃となった。
だから私は、一族の住む国の為に嫁に行き、そこで夫に恋をし、彼が道を誤らないように導かねばならない。
黒い巻き毛の人々は私に義務を教える。
そう。だから、これも大切なこと。夫の耳に届かなかったことを夫に伝えるのも妻の務めのうち。
「旦那様。昨年のムルル川の氾濫のあった地域が心配でなりませんわ。視察に参ってもよろしいでしょうか?」
「ねえ、旦那様。おかしいと思われませんか? あの予算があれば建物の修繕も充分おこなえますのに、どうしてこのような状態なのでしょう?」
「復興にお金がかかっているというのに、私たちの食卓に並んだ高級食材の数々はどうやって購入なさったのかしら?」
すべて、この国と母の一族の為。
被災地への支援金の不正流用の報告が握り潰されていたのをそれとなく夫の耳に入れるのも、私の仕事。
大切な支援金を私欲の為に着服している貴族や役人がいたというなら、私はそれを排除しよう。
私ができるのはそれくらいだから。
夫が死んで、私は前王の側妃の一人として、王宮を出る。
向かうはムルル川に近い地域。私は隠居用の家を購入し、そこで暮らすことになっている。
成人した子どもたちや近所の人々が訪れるだけの静かな生活でも、私は満足だ。
私は夫に恋をしなかった。私が恋をしたのは別の人。
その人は私の想いなど知らない。
でも、私はそれでいい。
彼にとっては私は王の側妃で、それ以上でもなく、私が恋に落ちた時のことも記憶に残っていないだろう。
それでいいのだ。
人が恋に落ちるのは些細なことで、そのおかげで私は務めを果たせたのだから。
近所のパーティーで彼とその妻と顔をあわせながら、私は彼らの笑顔に自分のしてきたことが報われたのだと微笑む。