なつおんな
夏女とは真夏に現れる妖怪だ。
比喩などではない、正真正銘の妖怪だ。
その容姿は完璧で、見た者は心奪われると言われている。
しかし、それは単なる噂にすぎなかった。
なぜなら彼女を見た者はひとりもいないからだ。
きっと、男の願望が生み出した現世の妖怪だろう。
僕はそう思っていた。
今、目の前に彼女があらわれるまでは。
「すいません、突然お邪魔してしまって」
深夜2時。
声をかけられて目を覚ました僕は、思わず眠気が吹っ飛んでしまった。
枕元に立っていたのは、本当にこの世のものかと思えるほどの絶世の美女だったからだ。
長い黒髪に浴衣を着た和風美人。
鍵をかけたこの部屋に入って来られるのは、幽霊か妖怪しかいない。
しかし、この美しさはいまだかつて見たことがなかった。
「えと……」
「あ、私、夏女です」
ニッコリと微笑む顔にドクンと胸が高鳴る。
夏女?
ほんとに?
「外が本当に暑くて……。少しここで涼ませてください」
エアコンをガンガンにかけている僕の部屋に涼みにきたという夏の妖怪。
思わず尋ねてしまった。
「夏女なのに?」
その問いかけに彼女は笑う。
「夏女って言っても、夏に強いってわけじゃないんですよ。雪女だって、南極にはいないでしょ?」
「そ、そりゃそうですけど……」
「暑すぎる夏は、さすがの私でもこたえます」
そう言ってエアコンの前に立ってパタパタと手で顔をあおぐ彼女。
こうして見ると、本当に妖怪なのだろうかと疑ってしまう。
まるで普通の人間のようだ。容姿はとてつもなく綺麗だけれども。
「ああ、それにしても都会の夜は暑いですねえ。コンクリートジャングルとはよく言ったもので」
「妖怪がエアコンかけた部屋に涼みに来るっていうのもなんだか……」
夏女はクスクス笑いながら「妖怪が文明の利器に頼っちゃおかしいですか?」と振り向いた。
その柔和な笑みに、僕の心は溶かされていく。
ああ、夏女を見た者は心を奪われるというのはこのことか。
彼女はとても美しくて、儚げで、神秘的だった。
彼女にならとり殺されてもいい。不覚にもそう思えてしまうほどに。
「ところで」
夏女は視線をさ迷わせながら僕に身体を向けた。
「初めて会う方に、こんなことお願いするのもアレなんですけど……」
そう言って、そっと近づいてくる。
その妖艶さにドキドキが止まらない。
「え? え? なんですか?」
「あの……、その……、はしたない女だなんて、思わないでくださいましね」
ち、近い。
ものすごく距離が近い。
殺される?
まさか本当に殺される?
「テレビ……」
「え?」
「テレビ、つけてもいいですか?」
「テ、テレビ?」
「はい。見たい深夜番組があるんです……」
「は、はあ……」
予想外の言葉にきょとんとなる。
とたんに彼女は「ありがとうございます!」と言いながらリモコンにバッと飛びついてテレビをつけた。
するとそこには……。
「きゃああぁぁぁ! 時間ぴったしぃ!」
いまや日本中の女性を虜にするアイドルグループの生演奏が流れていた。
「リュウくーん! いやん、カッコイイー! 切れ長の瞳、もう最高ー。やーん、ひーちゃんも可愛い~。キュートなほっぺ! ふにふにしたい~! ぎゃあああ、タッくん半裸! 軽く死ねる!」
……な、なにこれ。
妖怪・夏女が深夜テレビを見ながら奇声をあげている。
「はっ! やっぱりダントツなのはマー君! ぬおおおお、ここでカメラ目線のウインク!? はふーん」
はしたない女だ……。
はしたない女がここにいる……。
僕はそんな彼女の後ろ姿を眺めながらハッとした。
もしかしたら彼女の姿を見た者が誰もいないというのは、単純に呆れてしまったからなのではないかと。
夏女が日本のアイドルグループを見て奇声をあげてたなんて、言っても誰も信じなかったからではなかろうかと。
男性アイドルグループの歌声に絶叫をあげている夏の妖怪の姿を見て、僕はそう思った。
単純にテレビを見に来ただけでした(笑)




