こーんぽたぁじゅ
べたべた恋愛同好会第一回企画『テーマ・出逢い』参加作品です。
詳細は『小説家になろう〜秘密基地〜』内に展開中のスレッド、もしくはべたべた恋愛同好会のページまでどうぞ。
──『始まりはいつも雨』……って、誰が言ってたんだっけか。
とにかく雨の降る日には、何か予期もしない出来事が待っているものらしい。
雨音が連れて来るのか、雨にぼやけた景色の向こうに隠れているのか。
誰が知らなくても、そこに何かがあるのは確かなんだ。
「……なっ……何見てんの」
……今夜も雨だったけど、こんなことを言われたのは今までどんな雨の日にもなかったな。
七時頃……夜になりかけた辺り、俺は窓から外を覗いた訳だ。雨でも降ってんのかな、天気予報で降水確率高かったしな、と。
渋々宿題をやっていた机を離れて、錆び付いた窓を軋ませて開ける。
「……!?……」
……外は、案の定雨で薄闇に景色がぼやけていた。
ただ、これは予想外だったな……。
丁度、このアパートの一階東側に開けている俺の部屋の窓。吹き込む雨露で濡れたそこに、一人の女の子が立っていたんだから。
「……何?」
とりあえず。
数秒くらい時間が停止した後で、俺はポツリとそう言うしかなかった。
返事は、さっきの台詞に加えて、たった一言。
「雨宿りっ」
何つーぶっきらぼうな。
急にうつむいてそう言うけれども、元は俺の部屋の真ん前で雨宿りしてるそっちの方が原因なんだぞ。機嫌悪くされても……。
何はともあれ、俺は窓枠に寄り掛かって言う。
「……どしたの?」
「……雨宿りっ」
こっちをはね付けるような雰囲気満々の、この子。走って来たのか何なのか、ペタンと濡れて貼り付いたショートカットに隠れて、うつむき加減の顔が赤らんでいるのが見える。
会話が続かない窓の前で、どうしようもなく雨音ばかりがざんざと響いていた。
「何……コレっ」
「分かんないか? タオル」
数分後、家の中。
「……拭けよ。濡れてんだろ」
「言わなくたって分かりますっ」
ヤケ……それに完璧むつけてるな。
その子は俺からタオルをひったくると、雨に濡れ切った学生服が体に貼り付いてるのも気にせずに髪をワシャワシャと拭き始めた。短い髪を更にグジャグジャにする。
ウン、ヤケだ。
俺はあれから、その子を中に入れてやることに決めた。
だってそうだろう、誰とは分からなくてもずぶ濡れの、ましてや女の子、じゃなぁ。中で介抱してやらないと……いや、真面目にだよ。俺にはやましい趣味なんてないからな。
当人はいいですっ、なんて散々拒んでたけど。目の前で、ふぇっくしゅっ! なんて思いっ切りくしゃみされたら。結局それで押し負けて、今、赤い顔のまま俺の家のダイニングまで上がって来た訳だ。
ここまで来ると流石に大人しくなるか。ちょこんと椅子に腰掛けて黙りこくっている。
俺の脳も少しは落ち着いたらしい、改めてその子を見る余裕もあった。
まずはセーラー服……紺生地に赤スカーフの。この町の中学校のヤツか。母校だからな、それは分かる。
それはよしとしても、服や体は随分と濡れているようだった。余程長い間外にいたんだろう。中ででも雨の勢いが激しくなっているのは嫌な程よく分かっている。
濡れたのがたたって冷えたのか、本人は小さくなりながら髪をワシャワシャとやっている。
「……何見てんですかっ」
「あ、いやっ、何でも!?」
……いけない。見過ぎたか。俺は即行で目を背ける。それでなくても、俺は目を背ける方がよかった。
重ね重ね言う、俺にはその手の趣味はない。けれどもこんな風に服が、うっすら透けてるのは……目に毒だな。明るい部屋の中で見るから余計、模様まで……ハッキリ。
見るんじゃなかった。
そこは視線をそらすとして。
目のやり場に困った俺は窓の外、空の具合を確かめていた。
……まだ降ってるな。音がヒドい。カーテンをよけて見てみると、外は真っ暗だけれどもそこから響く音は連射銃のように聞こえる。
本降りだな。
しばらく止みそうにない。
「……拭き終わったか?」
途切れがちな会話にも困った俺は、とりあえずそう声をかける。窓の方を向いたまま。
「まだですっ」
「……そっち向いていいか」
「……べ……、別にいいですけど」
ん、大方拭き終わったっていうとこかな。
実を言えばこの体勢が結構疲れるんだ、やれやれ……と振り返った所が。
「……!!!???」
「な、何……なんですかっ」
のけ反ったのも無理はない……まだスケスケじゃんか。髪は拭いたにしても。
強気そうな目がこっちにキッと視線を向ける。逆に俺は……鼻血でも出るんじゃないか。
「な、な、何だよっ、まだ濡れっ放しじゃんか」
そう言うなり、咄嗟にそっぽ向くのも俺は忘れない。
「そ、それはぁ! あれだけ、雨の中立ってたんですから……っ」
相手も相手で。それこそ、うわずり切った声が飛んで来る。
「あー、んだったらやっぱりシャワー使った方がいいか? ガスは点けっ放しだから、」
「えっ、あっ!? はい! そうさせていただきますっ」
何て慌ただしい会話だろうか。
女の子はタオルを握り締めたまま、ダイニングから見える風呂場にパタパタ駆けて行った。
後に残されたのは、棒のように立ち尽くしたまま頭をねじってそっぽ向いている、という変な格好の俺。
「……き、着替えは準備しとくぞー」
間の抜けた声でそう言い終わる前に、返事とばかり脱衣所間仕切りのカーテンがピシャリと閉められる。
それから数秒、ダイニングが元の静けさを取り戻す。やっとのことだ。
十数秒して、立ちんぼだった俺の全身の力が抜ける。これもやっと、のことだ。
「……はぁー……何なんだか」
思えば。
学生、特に俺のような高校生にとって、夜七時八時台っていうのは毎日の授業だ部活だ何だからやっとこさ帰って来て、その疲れをノンビリと癒す安息の時間じゃないだろうか。ま、そういう時に勉強するヤツラもいるが俺はそうじゃないからいいとして。
それをこういう……なぁ。雨の中軒先で雨宿りしていた、名前も分かんない中学生の少女を家に上げて介抱する羽目になるとは。あ……そういえば名前も聞いてないな。
俺は何となく、頭をガリガリと掻いた。
何かな。モヤモヤした感じだ。
どうにも全ては雨のせいらしい。昔から雨は何かしら、よくないものを呼び込むだとか何とか言われている。
今日のもそうか。
無理矢理でも、俺はそう思うことにした。いや、そうなんだ。雨のせいさ、ウン。
悩んだ所で仕方がない。
俺は、そう諦めを付けつつ椅子へと目をやる。
さっきまで女の子が座っていた椅子だ。
その背もたれには……何か分からんがパンパンにものが詰められたリュックサックが一つ、雫を滴らせてかけられている。
「……通学用鞄じゃない……よな」
あそこはきちんと鞄まで指定のはずだ、と思い起こしつつ、そしてまた頭をボリボリ掻きつつ、俺は洋服箪笥の所へ行った。
ややこしいことになったな、と思っていない訳じゃない。
でも内心どこか嬉しくなっていない訳でもない。
……これやったら、何か温かいものでも作ってやるか。
────────
あ〜、もうヤンなっちゃう!!
何でこんな時に雨降るのぉっ、わたしが出かけるといつもこう……!
「あ゛〜!! 何なんだよっ!」
思いっ切り地団駄を踏むわたし。けれども足が……家出てからずっと走って来たから。もうヘトヘトだよぅ……。
それで、わたしはすぐに暴れるのをやめて浴室椅子にストンと座り込んじゃう。
「……ツイてないなァ」
独り言も自然と多くなるみたい。
ま、騒いだり何だりしたって変化がある訳じゃないし。
口を尖らせたまま、わたしはシャワーを頭から浴びていた。
何だかんだあって今、わたしは家を出ている。
出たは出たけど、あいにく雨……そういう所を拾われて、見知らぬ人の家でシャワーを使わせてもらっている。
何でっ!?
折角、一人になりたいって出て来たのにっ?!
結局誰かの世話になんなきゃなんないってこと?!
それはずぶ濡れだったけど……おっきなお世話なんだってば。入れて下さい、っても言ってないのにぃ。
ブンブンッ、と頭を振る。そして立って髪をかき上げると、一気に顔からシャワーを浴び直す。
もう、このシャワーも全然熱くなんない。
わたしが好きなのは少し熱め。皮膚に少しピリピリと来て、しばらくすると体の芯の芯からあっためてくれるような。体の奥からボーッと熱くなるのが好きなのに。
表面ばかりで熱さが増して、一番奥の辺りがぬるいまま……気持ち悪い。
シャワーだって、何だかお湯が出て来たり来なかったりだしっ。何コレ? 故障?
「……もういいや」
こんなの浴びてたら、逆に風邪ひいちゃうよ。
少し頬を膨らましただけで、結局わたしはシャワーをやめにした。
「……あ、上がったんだ」
「上がりましたよ……あ、ありがとうございますっ」
「あ、いえ。どうも」
……薄いリアクション。
何なの、こっちが謝ってあげてるんだから感謝してよ。
「……着替えも。ありがとうございます」
「あ、置いといたの分かった?」
「そ、それは……っ! 分っかります……よ……っと」
床に落ちている洗濯物やら雑誌やらを飛び越えて言うのは、紺のジャージ姿のわたし。
あれだけ堂々と、脱衣所の籃に置いてあったら分かるよっ。
「……あ、ドライヤーはその棚の上から三番目だから」
それはどうでもいいけど、部屋片付けてよ……他人に散らかってる部屋見せても何とも思わないのかな。それよりわたしが迷惑っ!
「お、大丈夫か? そこ色々散らばってるから」
……遅いよ。そう言ったのだって、今わたしがコケそうになったからでしょ。
今わたしと話してる人……中林さん、だっけ。表札で見たけど。わたしのこと完ッ璧にどうでもいいって思ってるでしょ!?
さっきからずっと台所に向かったまんまこっち見ようともしないもん。
返事だってぶっきらぼう過ぎ!
どうせ自分の夕飯でも作ってる所なんだ。いいもんいいもん、わたしは家からたんまりおやつ持って来てあるもんね。
黒ジャージに背高の後ろ姿を睨みながら、わたしはドライヤーを取ってリビングのソファーにボソンと座り込む。
「あんま……埃立てないでほしいんだけど」
……うるさいよっ。
もう顔が風船みたいになったわたしは、ドライヤーを風力最強にしてかけ始めた。
────────
「……なぁ」
「な、な、何ですかっ」
しばらく後。
「そのジャージさ。キツくない? 逆にブカブカだとか」
「……いいえっ。何ともないですけど」
……そんなにツンツンしなくてもいいんじゃないか。
「それ、随分前に家出てった姉貴のだからなぁ……箪笥の中に入れといてはあったけど」
「……けど?」
「匂い、さ。防虫剤の匂いとか」
「!? い、い、えっ! 何ともありませんっ!!」
だからさ。そんなツンケンしなくても。つーかすんなよ。
ボスン、って向こう向いて座り直す音まで聞こえる。
何か知らんが。
未だに、例の子は機嫌が悪い。ソファーの上で、ドライヤーを出力最大にして喋っている。
あ〜、電力削減の為にいつも微風なのに……ま、それはまだいい。
問題は強いて言えば……この空気、って所か。
刺々し過ぎるだろ?
こうして背中を向けると分かるけど、何か言ったら噛み付いてきそうな……単純に言えば、気まずい。
そもそも俺は年下なんていう存在は苦手だ。今日は仕方がないにしても、今こうして態度に困った俺がいる。
あの子が風呂から上がってから、ずっと台所に立っているのもそのせいだ。
元々、粗暴でだらしない姉ぐらいしか身近に女がいない俺に年下を世話するっていう作業自体無理なもんだ。
今は自立して家を出て行ったが、何かある度に俺をからかって喧嘩を吹っ掛けた姉貴。それで妹がほしいな、なんて思った覚えもあるが所詮は錯覚。それの表れが後ろのヤツじゃないか。
そういえば後ろの女の子、ツンケンした態度が姉貴に似て……いや、考えるのはよそう。イヤな想い出だ。
俺は幾度目かの溜め息をついた。そしておたまを取る。
そもそも何で俺、あの子を中に入れようと思ったんだ? 雨に濡れて一人で立っていたとは言え。まずは警察に連絡か何かじゃないのか。
あ〜……自己嫌悪。
そういうイヤな雰囲気を全身に感じながら、俺は鍋に向かう。
まず、入れてしまったからには仕方がない。やけに前向きだったんだ、さっきの俺は。
体があったまる料理、かつすぐできるのは……スープだな。
そう思い付いて探ってみると、丁度いいのか悪いのか冷蔵庫にはコーンポタージュがやっと作れるぐらいの材料しかなかった。
「……ったく……母さん、何か買い溜めしとけよ……」
そう思いながらもまた、俺はおたまを手に取る。料理好きでよかったよ、俺。
「……なぁ」
「え、な、何ですかっ?」
そんなオーバーリアクションしなくても。
「腹、減らないか」
俺は鍋の火加減を見ながら、背中越しに聞く。
「えっ、おなか、ですか」
「……そうだよ。他に聞く人いないっしょ」
「えっ、わた、し……ですか」
何をそんなに驚くんだ?
詰まった声が返って来るのを、俺はまだ背中に聞いている。
コトコトと、鍋の中でスープの出来上がって行く音だけが聞こえている。
「わ、わたし……! それはおなか空いてますけど……持ってますからっ」
「何を?」
鍋を覗きながら返事を返す。煮え具合は……まだまだだ。
「……そ、それはぁ……食べもの」
「……何でまた、」
「だ、だからっ、それは……! その……、あの……」
「あの?」
「……いえ、何でも……ないです」
次第に声の勢いがなくなって行く。
最後にはしおれて、申し訳なさそうな声音になったのを背中にでも俺は聞き逃さなかった。
俺は、そこまで言葉を塞がす程言うつもりはなかった。これは言っておこう、一応食欲がないっていうことも考えられる。
それが、返って来た所でこうなった。
やっぱりな。
家、出て来たか。
俺は言い過ぎたような気分になって何とはなしに口をつぐんだ。
鍋の中では、クリーム色のスープが甘ったるい匂いを漂わせてゆっくりとろみを帯びて行く。
コトコトという音はまだ絶え間なくしていて、それと雨の騒がしさだけが部屋の音の全てになっていた。
いつの間にか、乱暴なドライヤーの音は消えている。
これ以上何も言えない気がする。
沈黙に気圧されているのと、理由はもう一つ。
また違った意味で、俺は息をつく。
あれ、俺何でこの子気遣ってるんだ。
そんな疑問が、どうでもいいなんて思い始めてもいる俺だった。
静かな時間が過ぎて行く。
────────
……何にも、言えない。
わたし、何にも言えない。言えなかった。
ただ、ソファーの上でちっちゃくなってるだけ。
「……何、なの……」
心に、そうつぶやく。
もしかして……分かってるの?
わたしが、家出……して来たこと。
ドライヤーも消して、静かなリビングでわたしは首をすくめている。
中林さんは、さっきからずっと台所にいる。何か作ってるみたい。
そのジャージ姿の大きな背中を、わたしはまじまじと見ていた。
わたしが、今感じているもの。
それは、胸の内まで見透かされてしまったようになって、込み上げる怖さ。不安。
何より、それでわたしは、この広いとは言えない部屋の中で……自分が揺らいでいる気がする。
わたしはソファーの上にダランと体を投げていたけど、いつの間にか膝を折って抱えていた。背もたれには寄り掛かったまま。
首筋の辺りに、乾き切った髪がパサリと当たっている。その後ろには、相変わらずの雨音が聞こえる。
「……よっしゃ、できた」
その言葉に、ハッと夢が覚めたようになってわたしは我に返った。
見ると……温かそうな湯気が、台所の鍋から立っている。
あれ……何だろう? 美味しそうな匂い……甘く鼻をくすぐる匂い。わたしがそれを嗅ぎ付けると、おなかの辺りは反応してキュッと鳴っちゃう。ハッとしてまた小さくなる、わたし。
そういえば……おなか、空いたな。
「スープ。一応、作ったぞ」
え、わたしに……なの?
わたしが目をこすっていると、中林さんが台所から、何かをお盆に乗せてやって来るのが見える。
突然のことでどうしたらいいか分からないわたしは、とりあえずモゾモゾと抱えていた膝を解いて、少し体を前に出す。
「体。冷えてるだろ? だから」
その言葉で、目の前のテーブルに置かれたのは、コーンスープ……かな。それでいっぱいの、口の広いスープカップ。
「……え、ど、どうして」
「だってさ。この雨ん中ずっと外にいてずぶ濡れだったんだろ? だったら冷えてるに決まってる」
中林さんはそれだけ言うとカップにスプーンを添えて、テーブルの向かい側によっこらしょ、と腰を下ろした。
わたしはそれを見て思う。
もしかして……さっきからずっと台所で作ってたの、このスープ……わたしの為だったの?
「飲めよ」
その言葉にビクついて、わたしはすぐスプーンを手に取る。
あの甘い匂い……コーンの匂いだったんだ。スープの表面から美味しそうに立つ湯気に、わたしは思わず顔を近付けてもみる。
「……変なものは入ってないよ。犬じゃないんだからさ……飲めって」
また、ビクッ。
だって、美味しそうなんだもん……それぐらいいいじゃない。
わたしは、そっぽ向く中林さんをチラチラ見ながら、スープを一口、そっとすくって口に運ぶ。
「……あ」
……美味しい。
「どうだよ」
「……あ、お、美味しい……です」
わたしは、うつむいてでしか言えない。
「……体があったまればいいんだけどさ」
わたしは、すぐ二口目を飲む。
わたし、本当におなか空いてたみたい。勝手に手が動いて、スプーンを口に運んじゃう。
その度に、口の中に甘い匂いと味が満たされる……とっても優しい、優しい味。
わたしは、夢中でスープを口にしていた。
「……随分腹減ってたみたいだな」
そんな言葉にも、わたしはきちんと返事を返せない程だった。気付けば、スープカップの半分は空になっている。
何でこんなに手が動くんだろ?
わたしはスープを飲んでる途中それがずっと不思議だった。
多分、空腹のせいだけじゃない……と思う。
だって。
スープ飲んでるだけなのに、目の辺りが熱くなって来るなんて。
普通、ない……よね。
────────
「……あの」
「ん、何だよ」
「……わたし、のこと……聞かないんですね」
今まで忙しそうにスプーンの手を動かしていたその子は、ふとスプーンを置いて言い出す。
「……あぁ……あんたのこと。他人のことなんてとやかく聞けないだろ。プライバシーだか何だか」
俺は、さっきから音量低めに点けているテレビばかりに、目を向けている。無論本当に見たい訳じゃない。
少しの沈黙が時を断つ。
「…………。わたし、家出して来たんです」
……おいでなすったか。
俺はあくまで無表情を保つ。
「……それで……出て来て。雨が降って来たから、あそこで雨宿りしてたんです」
「……家出、ね」
俺は、その途切れそうな言葉に耳を傾ける。
それしかできないと思った。
そのそばで外の雨の音が、幾分落ち着いて来たようにも聞こえていた。
「……始めは……学校の成績のことで。お母さんと喧嘩になって、それから何だか……訳分からなくなっちゃって、気付いた時には……飛び出してました」
胸の内を吐き出すように、その子は言葉を続ける。
「もう誰にも文句言われたくない、って……。わたしのこと、嫌ってるんじゃないかってくらいに……言って来た、から……」
声が詰まり出す。
それでふと顔を向けてみると、うなだれて表情は見えなかった。
うっ……、うっ……なんていう押し殺した声が聞こえる辺り……。やっぱり、いくら意地張ってても結局はただの家出っ子、か。
俺は、ふう、と息を洩らす。
静けさとしゃくり上げる声とが耳に痛い。
俺は眉を顰めた。
「……言ってもらえるだけいいんじゃないの」
そして、視線をテレビに戻す。
「……え……っ?」
「……言ってもらえるだけいいって。俺ん家は、両親共働きだから。姉貴も家出たから……今日もそうだし」
「……で……でも」
「それにだ。嫌ってるんだったら声なんてかけやしない」
……流石に。
『俺もそうだしな』とは言えなかったか。
その代わり、なるべく遠い目をして淡々と話したつもりだった。
それぐらいしか俺にできることはないんだろうからな。
俺に言い込められると、その子はしゃくり上げるのもやめた。
ただただ、失語症のように口を開いたり閉じたりしている。
俺は、整理の付いた心持ちでテレビに顔を向けていた。
「……あの」
「ん」
「……おかわり……。いいですか」
それから、何十分かした後になる。
「……帰るのか」
「ええ、もう、遅いんでっ」
スープを終いには三杯も飲んだその子は、まだ少し湿り気味に見える制服に袖を通していた。
リビングの時計がそばで、静かに九時を指そうとしている。
「それ湿ってるだろ。一応シャワー浴びてる間にドライヤーかけてハンガーで吊るしてたけど」
「防虫剤臭いよりはましですっ」
言うなよな、それ。
というかやっぱり気にしてたのか。
湿り気で布地がくっつくんだろう、つっかえつっかえ服を着た後で玄関に向かおうとする。
どうやら、すねた態度は最後まで直らなかったらしい。
「……そういや。まだ名前聞いてなかったな」
鞄を引っかける、その子の背中に問いかける。
「……えっ?」
「名前だよ。名前」
と。
「名前……ですか」
「そうだよ」
「……サワ……モカっ」
「ん? モカ?」
「……み、三澤朋香っ」
声をどもらす果てに、いきなり声を荒くする所。
やっぱりまだむつけてんのか。
ん?
待てよ、『三澤』って……。
「……もしかして……、三澤ってあの二丁目の三澤か?」
「えっ? そ、そう……ですけど……っ!」
「やっぱりか! するとあんた、三澤悠花の妹か」
え、ユウ姉えのこと知ってるんですかっ!? なんて俺に驚いた表情を見せるこの子。
俺はそれを見てまた、口元に笑みをこぼす。
「ん、あぁ……三澤とは小学校時代から何度も同じクラスになってるんだ。確か、隣りの席になったこともあったからな……。そーかそーか、三澤の妹か」
俺は、その短い髪の上に手を置いてクシャクシャと撫でてやる。
「……道理で。よく分かんないことをしでかすタチな訳だ」
思わず、顔や口元がニヤリとほころぶ。
撫でられて、ぽかんとした俺を見上げているその子の顔を見ると、妹なんてのもいいな……なんて思ってもみる俺だった。
────────
なぁんだ……ユウ姉えの知り合いだったんだ。後で聞いてみよっかな。
……ってそれはどうでもいいけど。
頭を撫でられるの。ヤだな、わたし子供じゃないもん。
「……それじゃ」
「ん?」
「中林さんの名前……何、ですか」
それで、わざとすねた声を出してみる。
「え、俺? あぁ、苗字は玄関で見たのか……ま、いいか。圭。中林圭って言うンだ、帰ったら聞いてみろよ」
そう言うと、また髪をワシャワシャ。撫でないでよぉ、もう。
でも、本当にイヤ……っていう感じじゃ、ないかも。
何だろ。
こうして向かい合っていると。
心の辺りが、ポワーンとあったかくなる……ような。
始めに浴びたシャワーみたいなのじゃなくて……作ってもらった、コーンポタージュのような。
何……コレ。
「あ……あのっ」
「ん」
「……スープ……、ごちそうさま……でした」
頭を手に置かれたまま、うつむいて、わたしは。
「……あ、コーンポタージュね。ま、イヤなことがまたあったり、飲みたくなったりしたら来ればいいさ」
そして。
その言葉が、口に出しかけていたわたしの一言を少し引っ込めさせてしまう。
「……そ。そ、それ、からっ」
「?」
「あ、あの……。あ、あり、ありが、ありが、とう……ご……ざ……」
もう。
言えないよ。
こういう言葉。
「えっ!? あ、ちょ、ちょっと……!」
わたしは、乗せられた手を振り払って一気に玄関の外へと駆け出した。
どうでもいいから、その場を離れたくて。
もう雨もやんで、澄んだ紺藍が広がる夜空の下に飛び出した。
わたし、何でこんなに走ってるの……?
カラダの、一番深い所が……何かあったかいような、熱いようなものでいっぱいになっている。
ただ、分かること。
それは、わたしはあの人、中林さんが忘れられなくなっちゃった……っていうこと。
そしてそのせいで、今振り向いたらいけないっていうこと。振り返りたくない。
何だか……そう、何だか。
わたしは今、鉄砲玉のように走りながら後ろを振り返りもしない。
──『始まりはいつも雨』……って、誰が言ってたんだっけ。
とにかく、雨の日には何かあるみたい。
何か……予想も付かないような、出来事が。
まず言っておきましょう。
『始まりはいつも雨』と言っていたのはチャゲアスの飛鳥涼さんです。色々カバーもされてるみたいです。
実の所作者本人は聞いたこともありません……何だか、色々とすみません。
さて、この『こーんぽたぁじゅ』いかがだったでしょうか。
この話の由来を話しますと、思い付いた理由は単純、
『思い付いた日が雨だったから』
『"コーンポタージュ"の響きがよかったから』
これだけなんですね。何と安直な。
しかも本来なら、コーンポタージュというのは家庭で作る場合何十分とかかるのを……作中ではもっと調理時間が短いかのように描写されています。決して誤解なさらないように。あしからず。
前書きでも触れたように、こちらはべたべた恋愛同好会第一回企画参加作品となり、自分にとっても何度目かの恋愛物への挑戦でしたが、主題が『ベタ』『出逢い』ということで。雨宿りしてた子と出会う、というシチュエーションが自分ではベタのつもりだったんですが、とにもかくにも『love』に至る遥か前、『like』が始まりを告げる瞬間を重視して書きました。恋の芽生えってとこですか。でもまだ恋という形にはなっていない。そんな感じ。
そもそも、作中で『好き』というフレーズは一切出てなかった気がしますよ? ……真相は、締切り直前でパニクった作者が流れで書いたので、こんな言葉あったか? とうろ覚え状態なのです。ハイ。
ところで、読者の皆さんの中で今回作中に出て来た『三澤悠花』という名に覚えがある方いらっしゃいますか? いらっしゃったなら、ただ感謝の一言です。実は作者の『小説家になろう』デビュー作、『not to make our adieu』の登場人物なのです。その妹さんが今回の話のヒロイン、ということなんですね。
そのデビュー作、一応恋愛モノですが……内容がアレなので。読みたくないという方は、そういう姉がいた、ということだけでも頭の片隅に残していただければ。
それから今回のラストは、朋香が耐え切れず走って帰ってしまう……という先の見えないものですが、これは実は続きがまだあり、こりゃ分量オーバーだろうと全話改正した為にこういう結果になったのです。
それもこれも咄嗟の思い付き。ああ……作者の計画性のなさがここかしこに……。
失礼、致しました。
最後になりますが、同好会会長のあいぽさん、同好会会員の皆様、ここまで読んで下さった読者の皆さんに御礼申し上げます。