スポーツ不要論
スポーツに対するマスコミや行政の対応について、日頃から思っていることを述べます。
①スター選手の高額年俸ニュースとは何か?
テレビをつけると毎日のようにスポーツ選手を礼賛しています。
スター選手はこんなにカッコいい。テレビはスター選手をこれでもかというほど褒めちぎります。
どこの国のアンケートでも、10歳以下ぐらいの男の子が将来なりたい職業の上位をプロスポーツ選手が占めています。
スター選手はカッコいいだけでなく、高給取りであることも人気の理由でしょう。
しかしながらスター選手の高額年俸がなぜ頻繁にニュースになるのでしょうか。
これはおそらくスポーツ興行主側がマスコミに働きかけて記事にしたパブリシティーと考えられます。また行政側がそれを後押しもしているでしょう。
スター選手の高額年俸がよくニュースになる理由について考えてみましょう。
第一にそのスポーツ興業自体の人気を高めるためでしょう。
第二に才能ある子供たちにもれなくスポーツ選手を目指してもらい、その中から次世代のスター選手を輩出したいという、スポーツ興行主側の長期リクルート計画のためと考えられます。
スター選手がいなくては、スポーツ興業自体の人気を維持できません。
しかしながら、高額年俸は意外と選手個人で自由に使えないようです。
怪我をしたら治療費はすべて自腹だったとか、複数の付き人の給料に自動天引きされるとか、遠征試合の旅費が自腹だったとか、スポーツ選手の愚痴がときどきマスコミに漏れることがあります。
つまりマスコミが作り出すスター選手像ほど、現実の選手はいい思いをしていないのです。
スポーツは何も生産しません。
本当に大切な仕事はものづくり、それも贅沢品や娯楽品でなく、生活必需物資のものづくりのはずです。
バブル時代、日本はものづくり大国、あるいは電子立国と呼ばれていました。
ものづくり、特にエレクトロニクス分野はすばらしく、メイドインジャパンの電子機器は世界が認める高品質ブランドだったのです。
子供たちがこぞってスポーツ選手を目指すよりは、こうした分野のエンジニアを目指すといった風潮を作り出した方が、よほど日本の国益にかなうと私は思うのです。
とは言え、エンジニアに二十代のうちからスター選手並みの高額所得を与えよとは申しません。
ただ過剰にスポーツを礼賛するマスコミの情報操作に、少しだけ敏感になるだけで十分でしょう。
それはともかく、スポーツに関して私たちが注意すべきなのが、行政側が推進する3S政策です。
②3S政策を危惧
3S政策とは国民に三つのS、すなわちスクリーン(Screen)、スポーツ(Sports)、セックス(Sex)に興味を持たせ、政治に関心を向けさせないための愚民政策です。
戦後、GHQが日本の占領政策の一環として実施しました。
詳細はググってください。
マスコミや行政がスポーツを礼賛するときは、常に愚民政策を疑うべきでしょう。
スター選手の高額年俸ニュースも、3S政策の一つと考えられます。
現在、プロ野球(NPB)やプロサッカーの多くが赤字経営と言われています。もちろん決算年度や球団によっては黒字を計上することもありますが、概して恒常的な黒字経営は難しいようです。
スター選手が高年俸を稼ぐ一方で、こうした裏事情があるのです。
ではなぜプロスポーツ興業は存続しているのでしょうか。
プロ野球の場合はスポンサー企業が広告費と称して資金を捻出しています。
確かに広告効果もありますが、それ以上の額を出しているのではないでしょうか。
おそらく行政主導による愚民政策として、スポンサーたる大企業にスポーツ興業を支援させていると思われます。
大企業や大手マスコミの経営陣は政府と癒着し、この国の支配階層を形成しています。
メセナの名目で行政が税制面でスポーツを支援する大企業を優遇する場合、目に見えない形で私たちの血税が、愚民政策たるプロスポーツ興業支援に使われていると考えることもできます。
プロサッカーの場合も同様でしょう。行政と大企業が赤字を補っているのです。
サッカーの場合、単独の企業が一つのチームのスポンサーになることはありませんが、その分、複数企業から資金を集めやすいのではないでしょうか。
ユニホームを広告掲載の媒体にしたり、スタジアムのネーミングライツで稼いだり、という具合に、試合会場の入場料やグッズ販売といった本来の興行収益に他に、企業から資金を収集できます。
テレビの放映料は直接的にはテレビ局が興行主に支払いますが、大企業がその分、CM料をテレビ局に払います。
広告費を払う大企業は、宣伝広告によって自社商品やサービスもある程度の売り上げ増を期待できますが、おそらく行政の指導でそれ以上の額を捻出して、愚民政策に加担しているのではないでしょうか。
もちろん、愚民政策に加担した分、大企業は何らかの見返りを行政から得ているのです。
相撲に至っては伝統文化保護の名目の下、行政から支援を得やすいはずです。
競馬、競艇、競輪など、公営ギャンブルについては、ここでは論じたくありませんが、政府がギャンブルで稼ごうなどとは「恥を知れ」というのが、私の本音です。
このように政府や大企業が意図的にプロスポーツ興業を支援しているのです。
私はプロスポーツ興業をすべてやめるべきとは言いません。
ただ愚民政策を目的とした行政や大企業の支援なしに興業して、それで採算が取れるなら問題はないと思います。
現在、プロレスのインディー団体がこうした形で興業しています。
③スポーツは何も生産しない
スポーツは何も生産しない、ということを私たちは思い出すべきです。
私たちにとって最も大事な仕事は、生活必需物資のものづくりです。
本来、行政はまず第一に生活必需物資が私たちに十分に行きわたることを考えるべきです。
そしてそれでも本当に余裕があれば、贅沢品や娯楽、文化に行政が関与し、関連産業に助成してもいいでしょう。
スポーツを含め、芸能、芸術、教養などは、娯楽や文化に含まれます。
生活保護世帯が増えている昨今、行政はまず低所得者が安心して最低限の生活が送れるよう尽力すべきです。
低所得者問題をないがしろにしたまま、行政はスポーツなど非生活必需物資分野に血税を投入すべきではありません。
④健康のための運動
健康のための運動とスポーツ競技のトレーニングはちがいます。
健康のための運動はウォーキングやラジオ体操、病院のリハビリなど、あまり激しくないものばかりです。
学校の体育では健康のための運動を明らかに超える激しいスポーツを強いています。
私はスポーツをやりたい人にスポーツを禁止すべきとは言いません。
同様にスポーツをやりたくない子供たちに強制的にスポーツを強いてはいけません。強いても許されるのはあくまで健康のための運動の範囲内です。
組体操、人間ピラミッドを子供たちに運動会で強制させ、怪我や死亡事故が起きています。
人間ピラミッドなど、一昔前ならサーカスがやるような曲芸です。
怪我の可能性がある競技はすぐに禁止すべきです。
また住宅街にある公共の運動場やスポーツ施設もあまり増やすべきではありません。
住宅街の敷地は基本的に行政が独占するのではなく、できるだけ住民に返し、自宅の庭を広くすべきです。
⑤オリンピックで平和にならない
古代ギリシアで行われていた古代オリンピックは文字通り平和の祭典でした。
都市国家間の戦争を中止して、オリンピックを開催していたからです。
ところが近代オリンピックは決して平和の祭典ではありません。
近代オリンピックが戦争の抑止力になったことがないことを過去の事例から検証してみてください。
近代オリンピックは建前では国際親善による世界平和に寄与することを目的としていますが、実際は国連や覇権国家米国、あるいはユダヤ金融資本を頂点とする現在の国際社会の秩序を強化するためのイベントなのです。
つまりオリンピックは現代版「参勤交代」なのです。
江戸時代、参勤交代の大名行列で藩は多額の費用を負担し、幕府に謀反を起こす軍事力、経済力を失いました。
一方、藩内で生活するお百姓さんは年貢という形で藩に多額の納税を負い、藩に一揆を起こす軍事力、経済力を失いました。
これにより、幕府と藩の主従関係と、藩とお百姓さんの主従関係がともに強化されたのです。
同様に、2020年開催予定の東京オリンピックでは国連や米国といった国際社会の宗主国的組織と属国日本の主従関係、日本と国民の主従関係がともに強化されます。
そして最終的にその多額の費用は私たち国民が税金という形で負担します。
つまり私たちの血税が私たちをヒエラルキーの最下層に縛り付ける目的で使われるのです。
私たちは何も革命を企てようとしているわけではないのです。
オリンピック開催を中止し、そのための費用を国民一人一人に返却すれば、私たちは少しだけ日常生活にゆとりが持てるでしょう。
国の豊かさとは何でしょうか。
オリンピックで多数の金メダリストを輩出しながら、一般国民の生活は火の車。こんな国が豊かと言えるのでしょうか。
オリンピックでメダル獲得者がいなくても、平均的な所得水準の国民が広い土地と大きい家を所有し、労働時間や通勤時間も短く、贅沢をしなければ老後は安心して貯金で暮らせる国。
どちらが本当に豊かな国と言えるのでしょうか。
みなさんも考えてみてください。
(完)
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