008 境界/戦利品/肩下げ鞄
三日目。目覚めてから横になって眠っていたことに気付く。座ったまま睡眠を取っているつもりだったので、これで自分が疲れていることを自覚した。
「よく平気で眠れるね。信じられない」
ぼさ髪が寝起きの俺にそんなことを言っていた。目付きの悪さが増していて、ほとんど眠れていないのだろうことは予想が付いた。
昨日よりは遅くなったが無銘亭へと足を運んで食事を済ませる。対応してくれたのは漆寝だった。曰く、深夜から朝は彼女の担当で、昼から夜がカネイさんの担当らしい。俺に付きまとうぼさ髪を見て目を伏せていたが特に言葉はなかった。昼食と水を確保し、女神広場へ向かう。三十分ほど大通りを進むと、横に見える路地から蛍火が消えた。
「ここから先は怪物が出るぞ」
「光があるから平気でしょ」
横道を指してやる。ぼさ髪は理解してない顔で不審そうに俺を見た。
「そっちいかないじゃん」
「勘違いしてるようだから教えてやるけど、この光はバリアってわけじゃない。普通に怪物は入ってこれる。ただ苦手だから普段は近寄らないだけだ。路地に怪物を見かけることはあるし、たぶん弱そうだと思われたら襲われるぞ」
「……マジ?」
真剣な顔で頷き返してやる。
まあ、大通りを全力で逃げれば怪物はすぐに諦めるだろうという推測はできる。ただ何事にも例外はあるわけで、わざわざ危険を冒す必要はない。
「俺も死ぬかもしれないから、ここで待ってても無駄だぞ」
慎重に事を運ぶつもりではあるが、それでも死んだら浮遊石の間行きだ。
「あの……えーっと、あのさ」
ぼさ髪は視線を落としたまま、手指を組んだりあわせたり忙しない。
「あたしにできることとか、なんかない、かな?」
「ない」
「――っ。ひど、ひどくない!?」
本気で足手まといなので即答しておく。脅しも済ませたことだし、俺はとっとと女神広場へ向かうことにした。まだなにかぼさ髪が言っているが、付いてくる気配がないので振り返ることはしない。
「さて――……」
残りCPが五万を切ったので、今日は少しでも狩りの目処を付けたいところだ。
◆
三日目の初戦は小剣持ちのゴブリンだった。
投石することで大通りへ誘導しての対峙。緊張はあったが、確実に昨日よりも余裕があった。影絵のようなゴブリンの動きが鈍く見える。動き出そうとする初動を「観察」できることが、俺を優位に立ちまわらせた。
飛び込んでくるような小剣の一撃を、槍の柄で払う。
「ギィ――!」
牙を剥いて怒りをあらわにするゴブリンにかまわず、引き戻しながら弧を描かせた穂先を使って撫で薙いだ。膨れ出た影色の腹を裂く感触。動きの止まった胸を突けば、ゴブリンはうつ伏せに倒れた。
小剣を持つ腕を踏みながら鉈を抜いて叩き付ける。細い首を狙った。肉を裂くような手応え。骨を折るような音。ゼリーのような見た目のどこにそんなものがあるのだろうか。答えは出ないが、気にするだけのゆとりがあるのは確かだった。
「スキル凄いな……」
消滅するゴブリンを見下ろしながら、我ながら随分と間抜けな顔を晒している自覚があった。〈槍技〉によって思ったように得物を振るえることと、〈観察眼〉によって冷静に対処できるようになったことが飛躍的に戦闘能力を上げている。ロボゲーで高スペックの機体でも操っているかのような錯覚を感じた。
調子に乗った俺は一体で現れた怪物はすべて相手にし始める。牛には決定打がなく戦いが長引き、狼には動きに翻弄され攻勢に出られず、スライムには再生する触手に手間取らされた。言ってみればすべて苦戦はしたのだが、それでも勝ちを拾うことができた。二度、三度と戦う内に苦戦の原因も解消されていく。
牛の動きを誘導して隙を作れば、火力不足を補えた。
狼は避けるのではなくいなしていくことで、主導権を奪えた。
スライムは触手を再生限界まで切り落とし続けることで、容易に狩れた。
一体だけの出現を待つ時間を小休憩として、三時間ほど狩り続けたあたりで違和感を覚えた。体が重い。疲れかと思ったが、息を整えても変化がない。
「ああ――……ドロップアイテムか」
GUIのアイコンリングを探ったことで正解にたどり着く。原因は所持量オーバーだ。怪物を倒したことで得られる品があるとは聞いていたが、知らない間に所持量の限界を超えていたらしい。袋が描かれたアイコンの中は雑多な品で溢れていた。ぼろ布でできた衣類に簡素な武器や防具が何点か。使い道の分からない結晶が色とりどりに複数ある。あとは雑貨の類が種々数多。
二十体ほどの怪物を倒した戦利品は結構な量だった。選別しながらかさばるだけのガラクタは「ストア」で売却処理してCPへと変換していく。売却した場合、初出の品は購入可能リストにも並ぶようになっていた。物にもよるが、売却値の十倍ほどでリストには並んでいたので選別は慎重に行う。
この仮称「戦利品袋」は厄介で、取り出したら戻すことはできない。戦利品袋を軽くしようとするなら、俺はストレージ内に保管場所を持っていないので、売却するか実体化(これも仮称だが)するしかない。実体化した場合、手で持つことになるのだが、はっきり言って邪魔だ。限界がある。盗難の心配もあるだろう。それに、一度実体化した品はCPに変えることができない。
「んー……」
かといって戦闘に支障が出るのは最悪だ。結晶類と値が張りそうな雑貨類は戦利品袋に残し、かさばるが使いたいものは肩下げ鞄を実体化してそれに詰め込んだ。食べていたパンを嚥下し、重くなった鞄を物陰に置く。ようやく狩りを再開できそうだ。
◆
待機中はずっと〈隠術〉を意識していたが、効果を実感することはなかった。そもそも広場に現れる怪物は周囲を気にしていない。中央の樹を狙うばかりだ。
戦闘の合間に戦利品を処理しながら、さらに二時間近く狩り続けただろうか。戦い慣れているはずなのに、際どい場面が増えていた。
「潮時かな」
引き際だと感じた。集中を欠いている。自覚は薄いが結果がそう言っていた。傷は塞がっているが、全身のあちこちに痛みが残っている。軽い怪我でこれなのだから、派手にやられたら最悪で最低だ。
肩下げ鞄を拾い上げて女神広場を離れた。〈隠術〉を意識しながら大通りの中央を歩いていく。脇道から襲撃されるリスクは下げておきたい。さすがに、不意の襲撃に対処できる自信はなかった。
幻肢痛のように思える患部をさする。
痛みを消す魔法でもあればと考え、頭を横に振った。漆寝の「アレ」がスキルに追加されていたら使うのに抵抗がありすぎる。しかし――、
「妙な話だよな……」
怪我もなく怪物とやり合っていけるはずがない。おそらく他の光の柱がある広場はもっと手強い怪物が跋扈しているのだろうし。であるならば、当然怪我をするケースも増えていくはずだ。
無銘亭で見かける「お嬢様と下僕」や「三十路協定」を思い出す。
その痛みを、その恐怖を、すべて耐えている歴戦の猛者には見えなかった。
いくら痛みを取り除けたとしても、回復するまでの間は苦痛が続く。大怪我をすれば心が怯えるようになる。それを乗り越えるほど強靭な精神を持っているとは思えない。
「だとすれば――……」
どういうスキルがあれば乗り切れるのか思案し始めたところで、思考が途切れた。
路地にも蛍火が存在するか否かの境界の先に、まだこちらに気付いていないぼさ髪が座り込んでいる。前後に体が揺れているのを見る限り、たぶん、居眠り中だ。
船を漕ぐぼさ髪は、目の前まで歩み寄っても起きる気配がない。
どうしたものかと考え、俺は肩下げ鞄の位置をずらしながらしゃがんだ。
こいつ――、涎を垂らしながら寝てやがる。
疲れの見える顔だ。こんな場所で眠ってしまうくらいには疲弊しているのだろう。
瞑目して今日の戦果を考える。少しは目処が立った。今後の展望を考えれば手駒も欲しい。鞄で肩も痛い。――、うん、痛いな。重い。
「おい、起きろ」
「ん……、にゃむん、ぬむ……」
「何語だよ」
ぺしぺし頭を叩く。寝ぼけ眼の焦点が合うのを待ってやった。
「……あ、おかえりなさい」
「おかえりじゃねーよ、お前はなんでいるんだよ」
「だって行くとこないし。それに…………って、……たし」
「聞こえねーよ」
言い淀んで煮え切らないぼさ髪に俺は鞄を投げた。
「な、なにすんの!」
「仕事だ仕事」
「い、意味わかんないんだけど!」
「荷物持ちしろって言ってんだよ。飯くらいなら奢ってやる」
「は、はぁぁ!? なんでそんなに偉そうなわけ!」
騒ぎながら立ち上がり、ぼさ髪は鞄を肩にかけた。
「嫌なら返せ」
「べ、別に嫌とは言ってないじゃん。馬鹿じゃん?!」
「う、うざ……」
「ちょ、ひどくない!?」
構うだけうるさくなりそうだったので放置した。肩をまわしてほぐし、先ほどの思案に戻る。安定した狩り効率を維持するにはどんなスキル――、
「がぁっ……!?」
背中に衝撃。振り返れば勝ち誇るぼさ髪の姿があった。
手には凶器、――肩下げ鞄。
「お前、雇い主になんてことしやがる」
「無視するほうが悪いし! それにあたしはお前じゃなくて呼白! 雇うならそれくらい覚えとけ!」
「知るかよ、うるせーよ、ホント、マジで」
「がー!」
鞄攻撃を避ける。これだからお子様は面倒だ。
落ち着いたあとも喋り続けるぼさ髪をあしらって、俺は無銘亭を目指した。




