004 涙紗那の流緒/回復魔法
CPがなんの略であるかはやはり誰も知らないらしい。
だがこれを獲得する方法は存在している。それは当然で、そうでなければレベル30超えの人間は存在できない。そして周知されている獲得経路は三つ。
一つ目は他者からの譲渡。
これは取引や仲間内での調整用に使われているらしい。CPは結晶化を行うことができ、この状態にした場合に限り他者への譲渡が可能となる。ただし、結晶化したいCPの一割が消費コストとして必要になるらしい。つまり、百CPの結晶を作りたいのなら百十CP必要になる計算だ。
二つ目は怪物退治による報酬。
この「夜の街」に存在する怪物を倒した時点で、自動的にストレージへ加算される現象が確認されているらしい。とてもゲーム的でシンプルな話だ。加えて、CPに変えられる雑多な品が手に入る場合もあるということだった。
三つ目は詳細不明。
いつの間にかストレージ内のCPが増えているという現象があるのだとか。誰かから結晶CPを受け取ったわけでもなく怪物を倒したわけでもないのに、不自然な量の加算が行われる場合があるらしい。毎日微増を繰り返している者もいれば、一切増えない者、一度だけ大量のCPを得た者とさまざまだ。自己申告なために詳細な真偽は不明だが、そうした現象が存在すること事態は共通の認識となっているらしい。正直これは当てにできない話で、検証をするにしても余裕がもっと必要だ。
以上のことから、現状でCPを安定確保する方法は一つ。
それは、ただひたすらに怪物を狩り続けることだけだ。その実情は非現実的だが、適応しなければここでは弱者になる。逆に言えば適応することで強者になれる。
つまり目の前の「お嬢様と下僕」はそれを体現した存在で。
「気は変わった?」
俺の頭を踏み付けにするレベル35のお嬢様――涙紗那の流緒に逆らうのは馬鹿げた話、だったのだが。とりあえず頭から足が離れた瞬間を見計らって彼女を見上げた。
汚れがないことだけが救いの硬い靴底は恨めしく。黒スカートへと伸びる細い脚が忌々しい。白コートの肩を流れる長い栗色髪は照明を受けて無駄に煌びやか。顔を見れば、――随分と自信の乗った笑みがそこに在る。
俺と変わらない年代に見えるのに、見知った学校の連中とはまるで違っていた。
「スカートの中、見えて――ぅぐ」
最後まで言うよりも前に、俺の頭は再び床板に押し付けられた。ただし今度は俺の手足を押さえて拘束する下僕連中に、だ。彼らの圧力が増したので、怒っているのがありありと伝わってくる。
「もう一度言ってあげるけど? 私の騎士にしてあげるって言ってるのよ?」
流緒は俺のことを随分と気に入ったらしい。
さらに増した痛みから逃避したくて俺は状況を反芻する。
――まず初めに高圧的な態度で名を問われた。
漆寝に聞いた通りの人物像だったので、別段うろたえることなく平静に返した。それがまずかった。奴が目を細めた理由がいまなら分かる。
続けて、ご機嫌を取っておこうと奴の名前をこちらから出したのが混迷行きに拍車をかけた。流緒はちょっと想像していたよりも二、三段すっ飛ばしたくらい、――おだてに弱かったのだ。
有名な実力者の名が耳に入るのは当然のことだという旨を暗に含めただけで、動揺し始めたのが手に取るように分かった。これはチャンスかと思い、友好的なのだと示そうといくらか褒めそやしたのが確定的に致命的。
俺としては敵視されない程度に中立的な立ち位置を目指していたのだが、思いのほか気に入られてしまっていた。以後はすげなく振舞ったのが余計に彼女の所有欲を刺激したのか、気付けば仲間に誘われていた。まあ、事前に漆寝から聞いた限りでは、騎士という名の奴隷になれという条件なのだが。
「私さ、不思議なんだけど? あなたは塔の連中と同じになりたいの?」
CPを稼げずに弱者へと落ちた末路はぼろ布の彼らだ。塔の汚れみたいにうずくまる存在になる気はない。ゆえに、流緒の騎士は安定収入が得られる道として魅力的ではあるのだが――。
無言で応じる俺の頭は、下僕の手によって再度床へと叩き付けられた。
抵抗できる力もない以上、興味をなくしてくれるのを待つしか術がない。だが、適度にうざがられておくことも必要だ。敵対しない程度に嫌われていくことが俺のいまの課題なのだから。
それにしても、痛い。普通に痛い。
ぶつかれば苦痛が発生するし、切れれば血が出た。怪我の痛みに耐えながらこいつらは怪物と戦い続けているのだろうか。下僕連中は単眼装飾の仮面頭巾によって顔をうかがえないが、歴戦の猛者と呼ぶには抵抗があった。凶器を手にして気が大きくなっているだけの人間――そんな言葉がしっくりくる。威圧感は無視できなかったが、考えてみればそれは人数によるところが大きい。
「あーあ、つまんない。もういい」
さらに数回踏んだあたりで、流緒がそう言った。
拘束は解かれたが動けそうにない。俺は転がったまま痛みが引くの待つことにした。
奴らが談笑しながら食事を始めた店内は、たぶんここの日常で。俺が起き上がると、馬鹿にするような笑い声が響いた。
このまま店から消えてしまいたい衝動が湧く。打ち付けられた頭がじくじくと痛む。
開いたままの扉を見た。
外へ出るのは簡単で、たぶんとても楽だ。奴らの視線から容易に解放される。ただそれは、いろいろなこと投げ出すということだ。俺は塔の連中とは違う。違うはずだ。仲間入りするつもりはない。
俺が隅の席に座ると、また奴らは笑いに沸いた。好きにすればいい。そう振舞って平気なだけの力を持っているのだから。
奴らは強者の側で、俺は弱者の側だ。
じっと、耳障りな騒ぎが終わるのを待つ。
店内に静寂が訪れるまで、俺はその場に座り続けた。
◆
アプリで時間を確認すると、深夜零時をまわっていた。
逆算すると、俺は昼間目覚めたことになる。ずっと外が暗いので実感はなかったが、基準時間に感覚をあわせたほうが都合がいいだろう。同期が取られているこの初期設定の基準時間を軸に店をまわしているという話だったからだ。
無銘亭の一席で俺は息を吐く。お嬢様たちが部屋へと引っ込んだので、ようやく少し気が楽になった。今後の計画を立てるため、空中に浮かぶ画面窓を眺める。厚みのないタブレットPCにも見えるが、GUIはどこかサイバーパンク色を感じさせるエレクトロニカ風味のデザインだった。なにかのゲームっぽいなというのが率直な感想だ。ともあれ、必要だと感じた基本アプリはいくつか購入し、テキストファイルに見聞きしたことをまとめておいた。これで数千CP失ったが、必要な支出だろう。
奴らの馬鹿騒ぎは有益で、面白いように情報が拾えた。漆寝から聞いていた話と総合しつつ、俺にもやれそうな狩りについて思案し続ける。
「あの、狂璃さん。大丈夫、ですか?」
諸々の作業が終わったのか、顔を上げるとそこには漆寝が立っていた。
「平気――、と言いたいところだけど、正直まだ痛むかも」
「そうですよね……」
目を伏せる彼女に、俺は笑って見せた。
「傷はすぐに塞がるんだから向こうよりはずっといいよ」
現実世界は「向こう」で、夜の街が「こっち」だ。俺はもうそう飲み込めた。自分の体が見知らぬなにかに変貌していることを示す材料が揃いすぎた。視力が上がっていることは誤魔化しようもあるが、傷口が異常な速度で塞がっていくことはどう説明できるというのだろう。
「あの」
手指を組みながら、視線を落としたままの彼女が言う。
「全部は無理かもしれませんけど、その、痛みを消せる魔法があって、ですね」
「それは凄いな」
「あ、でもあんなにされた怪我には使ったことなくて。だからその、効果はあるのは確かなんですけど、全部は無理かも、です」
「和らぐなら、それでも凄いよ」
「えと、使ってもいいですか……?」
「むしろ、漆寝さんどうかお願いしますって感じ」
「いやいやいや、すみませんすみません」
痛む場所を触る必要があるからとか、笑わないでくださいとかさらに前置きがありはしたものの、とにかく魔法を使ってもらうことになった。ゲームでよくあるキラキラした回復魔法のようなものを想像しながら、おとなしく椅子に座って彼女の手を眺めた。
「あの、本当に、なにかの冗談とかではないですからね?」
それを最後の言葉として心を決めたのか、漆寝は手をそっと俺の頭に触れさせた。
「い、痛いの痛いの飛んでけー……」
「…………」
さすられるままになりながら、彼女の震える声を聞き流す。
確かに、効果はあった。それも抜群で、すっかり痛みも消えた。
ただ問題が浮上する。
「あ、あの……」
「あ、ああ。痛くなくなったよ、ありがとう」
お互い気恥ずかしさで顔をあわせられない。なんだこれ。なんだこのプレイ。
気まずい沈黙が支配する店内は最悪な居心地だった。
ちらりと見た漆寝の顔は真っ赤で、再び組んだ手指は震えている。なにか言って空気を変えてやるべきだと考え、考え、考え抜いた末に、俺は強引に口を開く。
「す、凄い魔法だね」
「…………っ」
結果、漆寝はスカートを握り締めたまま硬直してしまった。
ナニ言ッテンダ俺ハ。
まるで「(こんな恥ずかしい行為と呪文がいるなんて)す、凄い魔法だね」――と言っているみたいじゃないか。申し訳なさで顔が上げられない。
「し……」
「し……?」
不意に漆寝が呟き、そしてそのままの姿勢でうわ言のように繰り返す。
「発声による呪文詠唱が指定されているだけだし? 私が好き好んでやっているわけじゃないですし? そもそも魔法って言っても最初から『回復魔法』って書いてあったからからですし? 凄いのは私じゃなくてストレージなわけですし?」
心を守るための言い訳が止まらない。分かなくもないその気持ち。
だが、さすがに見ていられない。
「落ち着け、マジ落ち着け。それより、ほら、食事だ食事。外でも食べられる簡単なものを頼みたい。なにかあるかな。ああ、それと飲み物も」
「……――あ、はい。できますよ。お持ち帰りですね? 袋に入れてご用意します。なんかえっとああもう、すみません」
ぱたぱたと奥の厨房へと消える漆寝を見送って、脱力。落ち着くのは俺もだとひとりごち、浅く座った椅子の背もたれに腕をかけた。
この世界において特殊な力――仮称「スキル」は曖昧な存在だ。使えるようになる方法もさまざまなようだし、効果も多様すぎてまとめづらい。いつの間にか使えるようになるらしいが、いまのところ俺には発現していなかった。ただどのスキルにも共通しているのが、CPによって力の錬度を上げていくことが可能だということだろう。なにをするにもとにかくCPCPだ。
一応、怪物と戦うことで戦闘向きのスキルが手に入る傾向があるらしい。つまり、CPを稼ぐための怪物退治をするためのスキルを手に入れるための怪物退治をする必要があるということだ。もうなにがなんだかという感じだが、やはり初動が厳しいのは目に見えていた。
二階へと続く階段に目を向ける。
お嬢様の騎士になれば、その初動は楽になる。寄生プレイだろうとなんだろうと、力を手に入れたものが強い世界なのだから。だが、この世界に六人縛りが存在することも確かだ。
アプリには「パーティプレイ」などというものが存在し、説明文は簡素に「自分を含む指定した六人までの間で一時的に協力体制を結ぶ」とあった。つまり、七人目は別腹だ。
漆寝に聞いた話によれば、「お嬢様と下僕」の総数が七を超えると、しばらくして六に戻っているらしい。当然、いなくなった者の末路は知れている。七人目は、使い捨ての玩具というわけだ。
痛みの消えた顔に触れ、苦笑する。
あの扱いに耐え続けられるほど、俺の心は強くない。
それでも、誰かと協力するのは無難な選択だ。候補は一応存在した。「お嬢様と下僕」以外にもCPを稼いでいる者はいる。
一つは男三人のグループで、三十路前後の暗い雰囲気を纏った連中だった。レベルは20前後らしいが、この街で目覚めてから一ヶ月ほどらしい。充分に勝ち組だろう。ただその分なにか協定があるのか排他的だった。無銘亭へ入ってきたときも、俺に気付いたはずなのだが、一瞥する以上の反応はなかった。「お嬢様と下僕」とも距離を取って座り、俺とは随分遠い席になった。声も小さく、なにを話していたかも聞き取れていない。こちらから接触するのは「お嬢様と下僕」の目が合ったので控えた。仮称「三十路協定」は食事を終えるとすぐに上階へと消えた。
もう一つは俺よりも少し年上だろうか。これも暗い雰囲気の男で、一人だった。漆寝に聞いた話では、彼も一月ほど前からいるらしい。レベルは不明。その他詳細も不明。ただ食事と宿を毎日取っていることは確かで、それが行えるということは狩りに成功しているということを示していた。食事を頼むときも漆寝が喋るだけで無言だったので仮称「無言男」。これもすぐに部屋へと消えたので接触はできず。おそらく、話しかけても無駄だろうという気はした。
他に候補はいない。CPを連日稼いでいる者は他に存在せず、時折食料だけ買いにくる人間がいるだけらしい。この街には数日ごとに新顔が現れるという話なのに、だ。無銘亭の宿暮らしに必要なCPが一日六千強。それを稼ぎ続けることがそれだけ難しいということになる。
「お待たせしました」
小さな紙袋と革水筒を手に、黒髪を揺らした漆寝が言った。支払いを済ませてそれらを受け取り、挨拶をして無銘亭をあとにする。部屋を取るつもりはなく、向かう先はすでに決めていた。