第13話(仮)
兵舎の治療室。負傷者を診察するためのベッドと、治療者を収容するためのベッドが並ぶ部屋。
数十分前までの戦闘で傷ついた警備兵が数人横たえられており、周囲に治療を施す人間が慌しく行き交っている。
その中で、簡素なベッドの一つに横たえられた青年。その顔は血の気を失い、服には吐血した痕が残り、全身が冷えかたまっている。
僅かに肩が上下していることが、彼が辛うじて生きていることを示していた。
そんな彼を先ほどから魔法で観察していた治療士が、対面の椅子に座りその様子を静かに見つめていた男へと振り向く。
触診だけでなく魔法での診察を終えた治療士は、険しい表情から一転して困惑の表情を浮かべていた。
「…どうやら臓器が腐食しているようです。フリギア様、彼は一体何をしたのですか?」
「腐食? 何をしでかしたのかなど、俺が聞きたいところだが」
「そうですか……しかしこれほど…ううむ…」
唐突に『臓器の腐食』言われても、全く心当たりがない。
彼に関して分かっていることと言えば、ドラゴンゾンビに止めを刺し、ほぼ同時に吐血して倒れたこと。その時点で回復魔法が効かなかったこと。
…そして、彼が造り上げたナイフと大剣が、彼の命を救ったように見えたこと。
「治せるか?」
ただ、彼が聞きたいことは一つ。青年が死ぬか否か。
自然と硬くなる声で問いかければ、医師は大きく頷き…意外なことを言う。
「ええ。回復魔法も効きますからね。はて、そちらにはエルフのドゥール様がいたような…」
「魔法が効く、だと?」
「はい。何か不都合でも?」
「いや…」
あまりにも呆気なく言われ、思わず身じろぎして首を振る。
あの場でドゥールとミノアの二人が手を抜くなど、考えられない。
何か治療できない事情でもありましたか? と心配そうに目を向けてくる治療士へと手を振り、なんでもないと応える。
そのまま立ち上がり、治療士へと頭を下げる。
「効くならばいい。すまない、時間をとらせた」
「いいえ。先の戦闘で他にも負傷者が出ているので、ドゥール様が治療していただければ助かります。ああ、その方は丁寧に運んで下さい」
「分かった。失礼した」
言われた通り、力ない体に衝撃を与えないよう慎重に持ち上げる。応急処置を受けた青年は、未だ固く目を閉ざしたまま。
そのまま治療室を出て、この町で自身にあてがわれた部屋へと向かう。
途中、すれ違い様に物言いたげな視線を向けてくる警備兵たちを無視し、似たような扉を幾つか通り過ぎ。
とある扉の前で声を上げる。
「ドゥール、俺だ」
「おっかえりフリギア! どう? どうだった?」
間髪入れず開かれた扉から、すぐさまエルフの少年が飛び出る。
待て、と今にも飛びかかりそうなエルフを顎で制し、部屋へ足を踏み入れる。
そのまま持ち運んでいた青年を空のベッドに横たえる。近寄ってきたドゥールと共に蒼白い肌を見せるシアムを見下ろす。
「で? どうだったの?」
「内臓が腐食しているらしいが、回復魔法は効くそうだ。ドゥールよ、これは一体どういうことだ」
「はあっ? でも、魔法効かなかっ……あれ? あんれぇっ?」
そんなわけがない、とドゥールがかざした手。そこから発せられた治療の光は、青年の身体を淡く包み込んで効力を発揮していた。
腫れ上がり、場所によっては爛れていた皮膚の腐食が収まり、時を巻き戻すかのように回復していく。
「なにこれ効いてるんだけど! どゆこと?」
陽気なエルフには珍しく、表情なくその様子を観察している。
「俺は魔法の専門家ではない。ドゥールの方が詳しかろう」
「そうだけどさぁ…人間は専門じゃないからなあ。おっかしいなあ、何で効いてんの?」
納得いく理由が見つからないまでも、その顔は真剣そのもの。
次々元の姿を取り戻す青年を前に、安堵の息をつく。
「シアムの方は何とかなった、か」
「なんでだろう……わっかんないなあ……でも治ってるし…」
「しかし、この剣」
気が緩めば壁際に立てかけられた漆黒の大剣と、その横に置かれた小さなナイフが目に入る。
それらに視線を向けて眉を寄せる。
「お前たちが使っても、何一つ切断できなかったそうだな」
「ん? そだけど……あっ、ミノアもバッチリ確認したからね!」
疑ってるな、とドゥールが口を尖らせる。手を振りつつも、言われた方は壁際へと向かい、その漆黒の柄を握りしめる。
自らが持つ剣、それの二倍程度の重量が片手にかかる。大剣にしては軽すぎる重さ。
「ふむ…」
何度か軽く振り、空いている手で紙を手繰り寄せて、漆黒の刃に滑らせる。
紙に切れ込みが入らないことを確認して、頷く。
「確かに、切れんな」
「やっぱ疑ってたし!」
「悪い。気になったものでな」
「うわひっど!」
その後も様々なものへ刃を滑らせてみたものの、どれ一つ傷つくことはなかった。
試しに、シアムへ魔法を発動させ続けていたドゥールの頭を殴ってみたものの、殴られた本人は痛みすら感じていなかった。
数分して、壁に立てかけ直された漆黒の大剣を前に、腕を組む。自然と表情は険しくなる。
「ある意味、高性能な武器だな」
「あのさ! オレ殴らなくてもいいじゃん!」
「つい、試してみたくなってな」
「だからって、オレはないでしょ、オレは!」
「ははっ、すまんな」
結局はシアムの復活待ち、という結論に落ち着かざるを得ず。
さらに数分後、一通り治療は終わったとのことで、ドゥールは別の部屋をあてがわれていたミノアを呼び出して報告する。
「ってことでさ、なんか知らないけど魔法効いたんだよねえ」
「治ったの?」
「うんそう! 全快だよ!」
「そう」
ドゥールの報告を受けたミノアは、表情が変わらないものの、杖を抱きしめていた力を緩める。
嬉しそうな二人を前に、やはりどうしても引っかかっている疑問がつい口を突いて出てくる。
「しかし、何故魔法が効いたのだ? あの時点では効果がなかったのだろう?」
「それだよそれ! 本当に効かなかったから焦ったのにさ! ねえミノア、何か心当たりある?」
「知らない」
ドゥールへと即座に首を振るミノア。お手上げとばかりエルフは肩をすくめてみせる。
「じゃあダメだ。やっぱシアムの意識が戻らないと」
「そうなるか」
エルフとしてかなりの知識を蓄えているドゥールと、歴史ある魔法師の家系出身のミノア。
魔法関係でこの二人が知らないとなれば、この辺りで原因を知っている者はまずいないだろう。
そう結論付け、先ほどより幾分増しになった青年の顔を見下ろして、肩を回していたエルフへ問い掛ける。
「治療は終わったようだが、どれほどで意識が戻るか判断できるか」
「そだねえ…結構重態だったし、明日か、明後日か……そこら辺だと思うよ?」
「分かった」
「早く起きてくれないと困るね。あっ、連絡入れないとマズくない?」
シアムのことも含めてね、とイタズラめいた笑みを浮かべるドゥール。
「…そうだな」
「じゃあミノア、お願いね」
「うん」
ドゥールに言われ、ミノアが小さな詠唱と共に杖を振るう。杖の先端が輝き、虚空から現れたのは…純白の鳥。
少女は淡く輝く鳥を両手で掴んで抱きしめる。
「報告書はオレが書くよ。ちょっと待ってね」
ニシシと笑い、ドゥールは机から紙とペンを取り出し、迷いを見せることなく筆を走らせていく。
その躊躇のなさに不安を覚え、思わず言葉が零れ落ちる。
「余計な着色をするなよ」
「まっかせて!」
「おい、ドゥール」
「ほいほいっと……キャハハハハ!」
「………」
報告書を書いているはずなのに、楽しそうに笑うエルフ。
今からでも遅くない、と紙を引っ手繰ろうと手を伸ばせば、華麗に妨害される。
何度か繰り返せば、活き活きと輝く目を向けられる。
「フリギアったら心配性なんだから。オレ困っちゃうなあ」
「今のお前を見れば、十人が十人不安に思うだろうが」
「大丈夫ダイジョウブ! ほら完成!」
文字で埋め尽くされた紙を持ち上げ、インクを乾かす……こともなく、ドゥールはそれを巻き上げていく。
「ドゥール!」
「キャハハハ! 大丈夫だって! はい、ミノア、頼むよ!」
「うん」
ドゥールは無駄に素早い動きで伸ばした手を掻い潜り、ミノアへと巻かれた紙を渡す。
少女は淡々と、魔法で生み出された伝書鳩にそれを括りつけて、窓から身を乗り出して放す。
「ちゃんと届けてくれよー!」
空を舞う純白の鳥を、エルフは大笑いしながら見守る。
「…不安だ」
「今更ジャン?」
「くそっ、自分で言うな! 二人とも、シアムの意識が戻るまでこの町に滞在する。いいな!」
多大な後悔と共に吐き捨てるように言えば、すぐさまドゥールが目を輝かせる。
「うん! ミノア、お菓子だよ!」
「半分ずつ」
「りょーかい! いやあ、回りきってなかったから、丁度いいね!」
「…途端これか。変わらず好きだな」
「キライな人、いないでしょ?」
「いない」
行く先々で菓子屋を制覇している二人は、楽しそうに町の地図を広げて計画を練り始める。
危機が去ったと分かった途端、これである。何度目になるか分からないため息をつく。
「やれやれ。シアムのお守りは俺の仕事か」
まあいい。
穏やかな寝息を立てている青年を見て、思う。
コイツが意識を取り戻したら、真っ先にぶん殴る、と。