第6話 レビューの低いダンジョン
放課後。
僕は、スマートフォンの画面をじっと見つめながら歩いていた。
開いているのは、探索者専用のレイヤーが重なった地図アプリだ。
見た目は普通の地図だが、表示される情報はこの世界特有のものに書き換わっている。
コンビニ。
駅。
病院。
それらの日常的なランドマークに混ざって、禍々しくもどこか惹きつけられるアイコンが点在している。
ダンジョン。
アプリ上では鮮やかな青いアイコンで表示されている。
その中の一つをタップすると、詳細なデータがポップアップした。
出現モンスター情報、危険度、推奨ランク……。
そして一番下に、SNSのような『探索者レビュー』の項目がある。
「便利すぎるよな、今の時代は……」
僕は昨日、ボランティア清掃同然の結果に終わった場所を表示してみた。
【スライムダンジョン】
【危険度:★☆☆☆☆】
レビュー欄には、安心感の漂う言葉が並んでいる。
『初心者向け。死ぬ要素がない』
『初めてのダンジョンアタックにおすすめ!』
『散歩コースに最適』
平均評価は、驚異の【★4.6】。
「まあ、そうだよね。平和そのものだったし」
安全なのは間違いない。
初心者が見習い期間を過ごすには、これ以上ない環境だ。
でも。
サイドの刈り上げを指先でなぞりながら、僕は小さくため息をついた。
「成長、遅そうなんだよな……。あそこだけじゃ」
昨日スライムを吸い込んだ時、確かに奇妙な感覚があった。
モンスターが消滅した瞬間ではない。
しばらく歩き、受付に戻る頃になってようやく、体の奥底がほんの少しだけ熱を帯びるような、あのアフターエフェクト。
吸い込んでから効果が出るまでの【タイムラグ】。
あの熱が引いた後、僕の掌の穴は確実に「以前より強く」なっていた。
たぶん、あれが『強くなる』という現象の正体なんだと思う。
でも、その感覚はスライム相手だとあまりにも微かだった。
十体くらい連続で吸い込んでも、ようやく数分後に『お湯が少し温まったかな?』という程度の変化。
だから僕は、自分の頭の中で勝手にそれを【経験値】と呼んでいる。
完全にゲーム脳だとは自分でも思うけれど、そう呼ぶのが一番しっくりくる。
「もうちょっと、効率よく強くなりたいな……」
僕は地図をスワイプし、近隣のエリアをスクロールした。
その時。
家からも学校からもそう遠くない場所に、一つだけ浮いた評価のアイコンが目に入った。
【墓場ダンジョン(仮称:北の林)】
名前のインパクトがすごい。
気になって、詳細をタップした。
出現モンスター:
・ゴースト
・レイス
・スピリット
「幽霊系か……。物理攻撃、通らなそうだな」
さらにレビュー欄を開いて、僕は絶句した。
平均評価:【★2.1】
低い。
あまりにも低すぎる。
不人気の理由は、口コミを読めばすぐに分かった。
『物理が効かない。剣士殺し。めんどい』
『武器に金をかけられない初心者にはだるいだけ』
『ゴーストが無駄に多すぎて視界が悪い』
『体力吸い取られるから死ににくいけど、倒しにくい』
なるほど。
不人気の理由は、あまりにも明確だった。
ゴースト系モンスターは、剣や拳といった物理的な干渉を無効化、あるいは大幅に減衰させる。
まともに戦うには高価な魔法武器が必要になる。
だから、駆け出しの探索者たちからは忌み嫌われているのだ。
「でも……これ、僕には関係ないよな」
黒縁眼鏡をクイッと指で押し上げ、僕は独り言を呟いた。
「吸えば、いいだけだし」
むしろ、不定形なスライムよりも、霧のような霊体の方が吸い込みやすいんじゃないか?
僕は所在地を確認した。
市内北部に広がる、手つかずの林の中だ。
✳✳✳✳✳
三十分後。
僕は目的の林の前に立っていた。
実際に見てみると、本当にどこにでもある、手入れの行き届いていない普通の林だった。
林の入り口付近には、古びた山小屋のような受付がある。
『……入場か?』
日焼けしたおじさんが、小屋の窓から退屈そうに顔を出した。
「はい。お願いします」
事前登録済みのスマホを見せ、入場承認を受ける。
おじさんは僕を不憫そうな目で見ながら、端末に電子スタンプを押し、小屋の奥にある重厚な扉を指さした。
『新人か。巡回員が回るのは三時間後だ。それまでは何があっても自己責任だぞ。死んでも恨むなよ、坊主』
「はい。肝に銘じておきます」
突き放すようなその言葉に、かえって緊張感が引き締まる。
扉を開けると、そこには空間が陽炎のように歪んだダンジョンゲートがあった。
小屋に隠されているおかげで、外からは全く見えないようになっている。
僕はゲートの前に立ち、一つ、深く深呼吸をした。
「……よし。お掃除の時間だ」
一歩、踏み出す。
ゲートを抜けた瞬間、周囲の風景が一変した。
先ほどまでの林ではなく、そこはどこまでも続く「墓場」だった。
欠け落ちた墓石。
立ち並ぶ卒塔婆のような木。
そして、足元を這い回る薄い霧。
林の奥に、こんな異空間が広がっているなんて。
薄暗い通路の奥、不意に青白い影がぼんやりと浮かび上がった。
「……あれか」
半透明の人影。
ゴースト。
本物を見るのは、初めてだ。
普通の探索者なら、ここで銀の武器を構えるのだろう。
でも、僕は。
ゆっくりと、右手を前に出した。
「……吸えるかな。霧みたいなもんだろうし」
掌の先に、漆黒の小さな穴を作るイメージ。
昨日よりも鋭く、より深く、空間を削り取るような意識を注ぎ込む。
その瞬間。
【シュルルルルルルルッ!!】
耳障りな風切り音と共に、ゴーストが一瞬で引き絞られ、針の穴を通る糸のように消えていった。
「…………」
僕は、しばらくその場に固まった。
まだ何も起きない。
体の内側には、何の熱も宿っていない。
でも、これがいいんだ。
数分後。
次の墓石の角を曲がろうとした時。
ドクン、と心臓が跳ねた。
「……来た」
体の奥底から、じわりと、けれど確実に温かい何かが滲み出してきた。
スライムの時とは違う。
もっと濃密で、もっと熱いエネルギーが、タイムラグを経て全身を駆け巡る。
「あ……」
思わず、声が漏れた。
ツーブロックの刈り上げ部分を冷や汗が伝う。
「これ……。スライムより、明らかに……」
心臓の鼓動に合わせて、熱が波打つ。
一拍遅れてやってくる、確かな進化の予感。
「【経験値】、多い気がする」
不人気ダンジョンの理由は、僕にとっては最高のメリットでしかなかった。
物理が効かない? 剣士に不向き?
そんなの関係ない。
吸ってしまえば、幽霊だってただの「ゴミ」と同じだ。
僕は眼鏡の傾きを直し、暗い墓場の奥を見つめた。
そこにはまだ、たくさんの青白い影が蠢いている。
僕の掌の穴が、歓喜に震えているような気がした。
不人気な墓場で、独り静かに「効率」を追い求める少年。
その名は、宮村洸。




