第4話 初めてのダンジョン
「……また来たのか、君。熱心なのはいいが、ここは放課後の遊び場じゃないんだぞ」
ダンジョンの受付カウンター。
ラミネート加工された案内図を苛立たしげに指で叩きながら、眉間に深い皺を寄せた係員が、僕を値踏みするように見つめてくる。
昨日も放課後ギリギリにここを訪れ、門前払いを食らったばかりの僕だ。
サイドを短く刈り上げたツーブロックの髪を無意識にいじりながら、僕はカウンター越しに身を乗り出した。
眼鏡の奥の瞳には、昨日までにはなかった微かな熱が宿っているはずだ。
「違うんです! 昨日の……その……あの、僕、吸い込んだんです。スライムを、本当なんです!」
必死に説明するも、受付の係員は首を傾げ、困惑の表情を浮かべるばかりだ。
鏡張りの柱に映る僕の黒縁眼鏡は、焦りのせいか、いつも通り少し斜めに傾いていた。
周囲を通る本格的な装備を固めた探索者たちは、僕のような軽装の学生を、まるで見飽きた風景の一部であるかのように鼻で笑って通り過ぎていく。
『……で? それで何ができるんだ? スライムを吸い込んで、そのあとどうするんだ。手品でも見せてくれるのか?』
「いや、だから……僕の能力は、本来は清掃用なんですけど、モンスター相手でも通用することがわかったんです。ただゴミを消すだけじゃない、もっと……別の可能性があるんです」
『うんうん、わかったから。でもね、ボランティアの清掃員を募集してるわけじゃないんだよ、ここは。君のような子供が怪我でもしたら、僕の始末書が何枚あっても足りないんだ』
コミカルな押し問答が延々と続く。
僕は少し肩を落としつつも、右の掌をギュッと握りしめた。
昨日のあの【シュゴォッ!】という、世界の一部を削り取ったような異質な快感を、もう一度味わいたい。
いや、あれがただの白昼夢や勘違いじゃなかったことを公的な場所で、自分の目で確認したいんだ。
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『……はぁ、わかったよ。そこまで言うなら、お試しだ。ただし条件がある』
あまりにしつこく食い下がる僕に、係員が観念したように大きなため息をつき、苦笑いを浮かべた。
突然の許可に、僕は思わず目を見開いた。
『ちょうどこれから、低層の安全確認に回るベテランがいる。その複数人の見守り付きなら、特別に許可してやる。ただし、見学の延長だと思え』
どうやら、僕の【掃除能力でモンスター吸引】という突拍子もない主張は、完全には信じてもらえていないようだ。
あまりに僕が熱心なものだから、単なる『物珍しい見学希望者』として、一度現実を見せて諦めさせてやろうという親切心……あるいは、ちょっとした意地悪なのかもしれない。
「ありがとうございます! 必ず……自分の力が通用することを証明してみせます!」
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僕は気合を入れ直し、ダンジョンの入口へと続くゲートに足を踏み入れた。
一歩進むごとに、背後の街の喧騒が遠ざかり、代わりに湿った冷気と、土の匂いが鼻をくすぐる。
背後には、暇を持て余したベテランの探索者たちが二、三人、冷やかし半分で付いてきている。
彼らにとって、僕のような「掃除能力者」がダンジョンに来ることは、退屈な日常における最高の発掘物……いや、見世物なのだろう。
『おいおい、本当にやるのかよ、掃除屋の坊主』
『スライム相手に強力な吸引力でも起動するつもりか? 傑作だな』
そんな揶揄を背中に受けながらも、僕は慎重に歩を進めた。
洞窟の奥、薄暗い岩陰でぼんやりとした青い影が蠢いた。
「え、あれ……スライム?」
見つけた瞬間、後ろに控えていた係員の一人が、面白がるように声をかける。
『ほら、お掃除くん。試しにあの「ゴミ」を片付けてみろよ』
僕は意気揚々と一歩を踏み出した。
掌を突き出し、その先に意識を集中させる。
掌の先に、漆黒の小さな穴が形成されるイメージを膨らませる。
心臓の鼓動が早まり、指先が微かに熱を帯びていく。
しかし、運悪く足元の湿った岩に転がっていた、なんの変哲もない石につまずいた。
「あっ……!」
そのまま派手に前のめりに倒れ込む僕。
視界が上下に激しく揺れ、目の前には驚いた表情――そんなものがあるかはわからないが――に見えるスライムが迫ってくる。
シュルシュルッ。
気づいた時には、スライムは僕の掌の先に作った穴に、掃除機に吸われる糸屑のように、あっけなく消えていた。
「……あれ?
………こんな感じで?」
地面に這いつくばったまま、僕はマヌケな声を漏らした。
掌の先から穴が消え、静寂が洞窟内を支配する。
後ろで見守っていた係員たちは少し肩をすくめ、堪えきれずに大きな苦笑をもらした。
『……なぁ、今のって「倒した」って言うより、「勝手に吸い込まれた」だけだよな?』
『期待してた英雄像とは……程遠いな。むしろ掃除機の事故映像だぞ、今の。ネットに上げたらバズるんじゃないか?』
カッコよく決めるはずが、ただのコントになってしまった。
鼻の頭についた土を払いながら、僕は情けなさと羞恥心で顔を真っ赤にする。
それでも、僕の中では確かな「答え」が出ていた。
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形はどうあれ、結果は結果だ。
スライムは確かに、僕の掌の先の穴へ、抵抗することもなく消えた。
あの一瞬の感覚。何かが世界から欠落するような、あの独特の静かな衝撃は本物だ。
「……これで、正式な立ち入りの許可、出ますか?」
僕は服についた砂を払いながら、切実な目で係員を見上げた。
係員は呆れたように僕を見下ろしながらも、手元のタブレットにいくつかのチェックを入れ、何かを書き込んだ。
『……威力は認めるよ。偶然とはいえ、一瞬で消したのは事実だ。清掃能力なんてバカにしてたが、使い方によっちゃあ、案外バケるのかもな』
係員の言葉に、胸が少しだけ熱くなった。
『だが、君はまだ未成年だ。ルールはルール。親の承諾書が必要だけどな。それさえあれば、正式な初級ライセンスを発行してやるよ』
「承諾書……。すぐにもらってきます!」
そう答え、僕は初日のアタックを終えることにした。
ダンジョンの外へ出ると、夕陽が街を濃いオレンジ色に染め上げていた。
影が長く伸びる帰り道、僕は自分の影を見つめながら歩く。
これまでは『ゴミを吸うだけ』と自分でも諦めていたこの力が、公式な場所で、確かにモンスターをデリートした。
その事実が、僕の足取りを、雲の上を歩いているかのように軽くさせていた。
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家に着くと、カレーの香ばしい匂いが漂ってきた。
リビングで待っていた両親に、僕は今日の出来事を恐る恐る、しかし精一杯の熱意を込めて説明した。
夕食のテーブルを囲みながら、僕は掌の穴の話をした。
自分にしかわからない感覚だけど、これがあれば自分を守れること、そして自分を少しでも変えられるかもしれないことを。
意外にも、父さんは少し考え込んだ後、ゆっくりと頷いてくれた。
スライム限定の初級ダンジョンなら、むしろモンスターの発生が管理されており、迷子や事故のリスクも野外より低い。
理論的な父さんらしい判断で、危険性が低いと判断されたのだ。
母さんは最後まで、心配そうに僕の顔を覗き込んでいたけれど。
僕の、今まで見たこともないような真剣な目を見て、小さいため息をつきながら、用意されていた書類にペンを走らせてくれた。
『怪我だけはしないでよ? 無茶をしないって約束できるなら、お母さんも応援します。でも、夜更かしは厳禁よ』
その言葉と共に、ようやく、僕の【掃除能力でモンスター吸引】初挑戦が正式に許可された。
手に取った承諾書の、少しざらついた紙の感触が、僕にはどんな勲章よりも価値のあるものに思えた。
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夜。
自室に戻った僕は、窓の外に広がる星空を見上げながら、ベッドに横たわった。
部屋の明かりを消すと、闇の中で自分の掌がぼんやりと浮き上がって見える。
明日。
僕は、いよいよ正式に、一人の探索者としてスライムダンジョンへ挑むことになる。
足元の石ころには、今日以上の、いや、これまでの人生で一番の細心の注意を払いながら。
掌の先に作る、あの漆黒の穴。
それだけが、僕を『普通』という名の透明な背景から、新しい物語の主人公へと変えてくれる唯一の鍵なんだ。
「……行くしかないか」
そう呟き、僕は眼鏡を外してサイドテーブルに置いた。
目を閉じると、眠りに落ちる直前まで、掌の先に開く無限の暗黒と、そこに吸い込まれていく青い影が、鮮明な残像として脳裏に浮かんでいた。
史上最高に地味な掃除能力を持つ少年、宮村洸。
彼の本格的な、そして少しだけおマヌケな挑戦の物語は、いま静かに、けれど確実に幕を開ける――。




