第3話 スライムだけなら、いけるかも
「……スライムだけなら、僕でもいけるのかも」
昨日のあの衝撃的な「バキューム事件」を思い返すたび、僕の胸は未だにドラムを叩いているような高鳴りを刻んでいる。
掌をじっと見つめ、そこに開く漆黒の深淵をイメージする。
あの、ぷるんとしたゼリー状の感触。
抵抗虚しく、僕の穴へとシュルシュルと吸い込まれていったスライムの断末魔(といっても無音だけど)。
それを思い浮かべるだけで、掌にじわじわと力が宿るのを感じた。
でも、気持ちだけで世界が救えるなら、今頃ダンジョンなんて絶滅している。
スライムを一体デリートしただけで、満足している場合じゃない。
僕にはまだ、敵のランクも、この能力の限界も、ましてやダンジョンの構造なんて、テレビのワイドショーで流れる知識程度しか分かっていないのだ。
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帰宅後、僕は速攻で自室にこもり、パソコンを起動した。
いつもなら動画サイトで犬の動画や好きなアニメをダラダラ見るところだけど、今日は違う。
「スライム 弱点」「モンスター 最弱 倒し方」……。
検索バーに、必死な指先でキーワードを叩き込む。
ネットの海には、現役探索者たちのブログや、攻略wikiの情報が溢れていた。
『スライム:最弱の部類。核を壊せば終わり。ただし物理攻撃は効きにくい。初心者は魔法か属性武器推奨』
『ゴースト系:実体がないため物理攻撃は100%カット。普通の新人冒険者には詰みゲーレベルの厄介者。ただし魔力的な力や浄化には弱い』
「なるほど……。物理が効かない相手には、この穴が文字通りの『天敵』になるのか」
一人つぶやきながら、脳内のシミュレーターをフル稼働させる。
スライムをシュッ! と一瞬でバキュームして。
剣士たちが泣いて逃げ出すゴーストを、シュルシュル~! っとホコリ感覚で片付ける。
「ははっ、これ……
僕、実は隠れチートなんじゃないか?」
誰もいない部屋で、思わず笑いが漏れた。
妄想の中の僕は、もはや世界の「ゴミ」を掃除して回る孤高のクリーナーだ。
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次の日。学校の授業中、僕の意識は完全に「別次元」へとログアウトしていた。
黒板に書かれる歴史の年号も、教師の眠気を誘う子守唄のような喋り声も、今の僕にとってはただの環境音。
意識を集中させているのは、手元のノートだ。
そこには、僕独自の「妄想ダンジョン攻略メモ」が、シュールなイラストと共にびっしりと書き込まれていた。
「フェーズ1:スライムで吸引力のウォームアップ。
フェーズ2:ゴースト系。こいつらは質量がないから、もっと効率よく吸えるはず。
フェーズ3:小型動物系……。毛が詰まらないように注意が必要か?」
掃除機のフィルター掃除を気にする主婦のような心配をしながら、一人で作戦を練る。
この『穴』を実戦で使い続ければ、もっと穴が大きくなったり、吸い込むパワーが上がったりするんじゃないか。
そう思うと、いつもは退屈で地獄みたいだった学校生活も、攻略前の長いロード時間のように思えて、少しだけ色鮮やかに見えた。
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放課後。
僕は昨日と同じ、人通りの少ない帰り道を選んだ。
右手をポケットに入れ、いつでも「起動」できる準備を整える。
昨日よりも少しだけ、胸を張って歩けている気がする。
たとえ誰かに「掃除くん」と呼ばれても、今の僕には『世界のゴミを消去できる』という最強の精神的優位性があるのだ。
「……よし、ちょっとだけテストしてみるか」
住宅街の一角、空き地の影。
ふと足元に視線を落とすと、まるで僕を待っていたかのように、小さなスライムが地面からふにゅっと湧き出した。
地上湧きする場所が、まだ特定されてないのだろう。
スライムは、ダンジョンの小さな割れ目、隙間から這い出してくる。
だから、たまに現れる野良スライム。
本来なら不衛生な害獣扱いだけど、今の僕には経験値稼ぎのボーナスキャラにしか見えない。
僕は深く息を吐き、掌を静かに突き出した。
「……ごめんね。
でも、僕の栄養(仮)になってよ」
スライムは警戒心ゼロで、むしろ僕の掌の穴を『同類』か何かと勘違いしたのか、ぬるぬると自分から滑り込んできた。
シュゴォッ!!
空気を切り裂く快音。
抵抗も、痛みも、出血も伴わない完璧な「消失」。
スライムは一瞬でこの世からデリートされた。
「……できた。やっぱり、これはいけるぞ」
掌の中の穴が、昨日よりも心なしか重みを増し、密度を濃くしたような気がする。
快感だ。
部屋を隅々まで掃除して、最後に一気にゴミを吸い上げた時の、あのゾクゾクするような達成感。
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家に着くと、僕は自分の掌を何度も開いたり閉じたりして、その残照を確かめた。
鏡の中の自分は、相変わらず冴えない眼鏡の男子高校生だけど、瞳の奥にだけは小さな火が灯っていた。
ヒーローみたいに鏡に掌をかざしたりして、ポーズを決めたりしてしまった。
「……いける。僕の力は、掃除なんかじゃない」
希望が、胸の奥で風船のように膨らんでいく。
次はスライムだけじゃなく、もう少し手強いゴースト系。
タイミングを見計らって、一気に引き寄せて――。
この小さな穴こそが、僕を「背景」から「主人公」へと押し上げる、唯一のエンジンになるのだ。
夜、ベッドに潜り込むと、僕は天井を見つめながら明日の予定を立てた。
明日はもう少し森の近くまで行ってみよう。
もっと吸って、もっと鍛えて、穴を大きくすれば……。
いつかは、向こう側で笑っている奴らを見返せるかもしれない。
「……僕でも、戦えるんだ」
掌に広がる未知の暗黒。
怖さがないと言えば嘘になる。
でも、それ以上に「変われるかもしれない」という期待が、僕を強く突き動かしていた。
少しだけニヤけた顔で、僕は眠りについた。
明日、また新しい『敵』に出会えることを楽しみにしながら。
宮村洸の、控えめだけど確信に満ちた「大掃除」が、こうして本格的に動き出した。




