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最弱能力『掃除』の僕、スライムだけ吸い込めるんだが  作者: コウ
第2章  「えっ、ちょっ、長っ……!」

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第13話 ……えっと

『この、無礼千万な人間――!!』


 

 少女の、突き抜けるような怒声が、静かな森の隅々にまで木霊した。

 驚いた数羽の鳥が、巨木の梢から一斉に飛び立ち、バサバサと重々しい羽音を立てて空へと逃げていく。


 

「いや、だからさ!」


 

 僕も負けじと、地面に開いた穴から首を伸ばして反論する。


 

「覚えろって言われても無理があるだろ! あんな、早口言葉を百回詰め合わせたような名前、一回聞いただけで完璧に脳内ストレージに保存できるわけがない。僕の脳は最新のスーパーコンピューターじゃないんだぞ!」


 

『意味の分からない言い訳はいいから、魂の底から魔力を紡ぐ様に絞り出して覚えなさい! それが、幾千年の時を超えて受け継がれてきた私の美しき名に対する、唯一にして最大の敬意よ!』


 

「気合いでどうにかなる文字数じゃないって! 物理的に、人間が一度に保持できる情報量の限界を超えてるんだ!」


 

『限界なんて、高潔なる意志で踏み越えるためにあるものでしょう!』


 

「そんな少年漫画みたいな熱血、名前の暗記に持ち込まないでくれよ!」


 

『無理じゃない!』


 

「いや、絶対無理!」


 

 しばらくの間、森の中では、どこまでも平行線を辿る、どうしようもなくしょうもない言い合いが続いた。

 異世界という神秘的なシチュエーションも、伝説の種族との邂逅という劇的な場面も、今や完全に台無しである。


 やがて少女は、肩を上下させて激しく呼吸していたが、大きく溜め息を吐いて視線を逸らした。


 

『……いいわ。もう、いい』


 

「お? ようやく状況を理解して、言い直してくれるのか?」


 

『言い直すんじゃないわ。特別に、再度授けてあげるのよ』


 

 少女は不服そうに顎を上げ、再び僕を射抜くような鋭い視線で捉えた。


 

『そこまで情けなく、知性の欠片もない様子で泣きつくのなら、特別に、もう一度だけ、森の慈悲を持って名乗ってあげるわ』


 

「マジで? ああ、それは助かるよ」


 

『ただし、今度こそ完璧に覚えなさい。一文字でも間違えたら、その時は本当に、底なしの魔力の沼に落としてあげるから。永遠に底で、泥でも啜っていなさい』


 

「……努力はする」


 

『努力じゃなくて、覚えるの! 分かった!?』


 

 少女は手に持った木の杖を軽く持ち直し、まるで世界を創造する儀式を執り行う司祭のように、凛とした姿勢を正した。


 

 ピリッ、と森の空気が再び張り詰める。

 光の粒子が彼女の周囲に集まり、厳かな雰囲気が辺りを包み込む。


 

『……いい? 心して聞きなさい。我が名は――』


 


 僕は、いつになく真剣な顔になった。

 穴から突き出した頭を少し動かし、耳を彼女の方へと傾ける。


 今度こそ、一音たりとも聞き逃さない。

 彼女の喉の動き、唇の形、吐き出される音節のすべてを、網膜と鼓膜に焼き付けるつもりで全神経を集中させた。


 

『えるふぇなりゅりゅ………』


 

 そこで、少女の声が唐突に、無様に止まった。


 

『…………』


 

「……ん? どうした?」


 

 少女は、気まずそうに一度、小さく、不自然な咳払いをした。


 

『……失礼。風の精霊が少し悪戯をしたわ。もう一度最初から』


 

「今の、もしかして盛大に噛んだよな?」


 

『噛んでないわよ!』


 

 少女は、食い気味に即座に否定した。

 頬が、真っ赤な夕日のように赤らんでいるように見えるのは、決して光の加減ではないはずだ。


 

『ちょっと、大気の魔力が強すぎて、精霊の調べが舌の上で乱舞しただけよ! 噛んだなんていう、人間特有の不格好な現象とは無縁だわ!』


 

「……いや、世間ではそれを【噛んだ】って言うんだよ。正直になれよ、今のは明らかに『りゅりゅ』って言ってたろ」


 

『違うと言ったら、違うの!』


 

 少女は強引に、何事もなかったかのように仕切り直した。

 再び杖を地面に突き、声を張り上げる。


 

『我が名は――』


 

『エルフィナリエル・シルヴァリア・ルミナシア・エルドラシル・フェルディナリア・ミスティル・アルヴェリア・ラティシア――』


 

 そこまで淀みなく、流れるような美声で紡ぎ出された名前の列。

 流石はエルフと言うべきか、その発声は音楽のように美しかった。


 しかし、そこで再び、彼女の言葉がピタリと止まった。


 

『…………』


 

「おい」


 

『…………』


 

 少女の整った眉が、わずかに、しかし深刻そうに寄せられる。

 彼女の視線は、僕を見るでもなく、かといって虚空を見るでもなく、自分自身の記憶の深淵を彷徨っているようだった。


 

『……ねぇ?シルヴァリアの次、何だったかしら?』


 

「いや、知らないよ!!」


 

 僕は思わず、穴の中で身を乗り出すように叫んだ。


 

「何を他人に聞いてるんだよ! さっきまで、あんなに自信満々に、誇りだの家系の厚みだのって自分で言ってただろ!」


 

『わ、忘れたわけじゃないわよ! ただ、精霊たちの気まぐれで、名前の旋律がほんの少しだけ……そう、入れ替わっただけよ!』


 

「完全にど忘れしてるだろ! 曾祖母様より自分は、更に三つも長い名前を完璧に名乗るんだろ? 曾孫の君がそんな体たらくでどうするんだよ?」


 

『忘れてないわよ! ちょっと、記憶を司る精霊の囁きに……乱れが生じただけ!』


 

 少女は顔を真っ赤にして、僕を睨みつけた。

 その表情は、もはや神秘的な森の守護者ではなく、暗記したはずの公式を忘れて焦っているテスト中の学生のようだった。


 

『そもそも!』


 

 ビシッ、と細い指先が、穴から出ている僕の鼻先を指差す。


 

『あんたが、しつこく二回も、三回も言わせようとするからいけないのよ! あんたのその、不機嫌そうで救いようのない顔のせいで、私の神聖なる精神こころに不純な波風が立ったんだわ! 責任を取りなさい!』


 

「逆恨みもいいところだろ! 自分の名前に自分の記憶力が負けてるだけじゃないか!」


 

『うるさい! うるさいうるさい! 人間は黙って私の導きに従っていればいいのよ!』


 

 少女は杖を振り回し、地団駄を踏んだ。


 

 聖なる森の静寂は、今や完全に、名前を忘れた少女と、それを容赦なく突っ込む少年の騒がしい応酬によって塗り替えられていた。


 

 自分自身のあまりに長すぎる系譜の名に、自らの舌と記憶がついていけなくなった少女。

 そして、そんな彼女を穴の中から冷めた目で見つめる少年。


 

 その名は、宮村洸。

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