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最弱能力『掃除』の僕、スライムだけ吸い込めるんだが  作者: コウ
第2章  「えっ、ちょっ、長っ……!」

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第12話 もう一回言って

『……長い?』


 

 少女の声の温度が、一瞬にして氷点下まで突き抜けるようにすっと下がった。


 

 さっきまで生命力に満ち溢れていた森の空気が、ピリピリとした静電気を帯びたように張り詰める。

 周囲の木々さえも、彼女の機嫌を察したかのように葉を揺らすのを止めた。


 地面の穴から首だけを出している僕は、物理的に彼女に見下ろされる形になり、冷や汗がこめかみを伝うのを感じた。


 

「いや、だって。客観的に考えてもそうだろう?」


 

 僕は、喉元まで出かかった恐怖を飲み込み、あえて淡々と事実を指摘するように言い返した。


 

「長いだろ。今の名前、音節だけでいくつあった? 二十? 三十? いや、五十は超えていた気がする。普通の人間なら、最初の三文字を聞いた時点で、後半にはもう前の部分を忘れてるレベルだぞ」


 

『……』


 

 少女の白磁のような美しいこめかみに、ぴくり、と青筋が浮かび上がった。

 翡翠色の瞳が、怒りのあまりに小さな火花を散らしているように見える。


 

『あんた………』


 

 低く、地這うような声。


 

『今私が名乗ったものが、エルフの血統においてどれほど神聖で、どれほど重い意味を持つものか分かって言っているの? それとも、異界には羞恥心や敬意という概念が存在しないのかしら』


 

「いや、神聖だとか敬意だとか、そういう高尚な議論をする以前の問題なんだ。物理的に、脳の記憶容量を超えていて覚えられないんだよ」


 

 僕は正直な、そして切実な感想を述べた。

 中学二年生の英単語テストだって、一度に二十個も出れば悲鳴が上がる。

 それなのに、初対面でいきなり呪文のようなフルネームを三十秒近く唱えられて、はい覚えました、なんて言えるわけがない。


 

「だってさ、エルフィナ……なんとか……」


 

『……』


 

「シルヴァ……リア? だったか。いや、ラティシア……? いや違う、それは後半だったか」


 

『……』


 

 少女の周囲の空気が、じわじわと物理的な質量を伴って重くなっていく。

 彼女が握りしめる木の杖の先が、かすかに緑色の光を帯び始めた。

 マズい。これは、本気で魔法を叩き込まれる前兆かもしれない。


 僕は慌てて、穴から出ている首をぶんぶんと左右に振った。


 

「ちょ、待ってくれ、怒るな! 言葉が過ぎた、悪かったよ!」


 

『怒ってなんていないわ』


 

 嘘だ。全然、これっぽっちも怒っていない声ではない。

 むしろ、怒りを通り越して粛清の決意を固めたような、冷徹な響きが混じっている。


 

『ただ………』


 

 少女は一歩、穴に顔を埋めている僕へと歩み寄り、ゆっくりと、言い聞かせるように言葉を紡ぐ。


 

『数千年の歴史を持つエルフの誇りを、どこの馬の骨とも知れない人間に侮辱されて、黙って微笑んでいる理由が見つからないだけよ』


 

「いや、だから侮辱じゃないって。むしろ逆だよ、逆」


 

 僕は苦笑しながら、必死に論理を組み立てる。


 

「あまりにも壮大で複雑すぎて、僕のような凡人の理解が追いつかないっていう、これは純粋な、そして最大限の疑問なんだ」


 

『……疑問?』


 

「そう。興味があるんだ」


 

 僕は極めて真剣な、真面目な探索者としての顔を作って言った。


 

「今の名前。悪いけど、もう一回。最初から最後まで、もう一回だけ言ってくれないか?」


 

 一瞬。


 森のすべてが、呼吸を止めたように静まり返った。


 吹き抜けていたはずの風が止まる。

 頭上でざわめいていた木の葉の音も、遠くで鳴いていた鳥の声も、すべてが真空に吸い込まれたかのように消え去る。


 

『……は?』


 

 少女の思考が、完全に停止した。


 

「だから、さっき言った通りだよ」


 

 僕は、一切のふざけを排した真顔で、彼女の翡翠色の瞳を真っ向から見据えて言う。


 

「一回聞いただけで、その複雑な歴史の重みをすべて理解しろっていうのは無理がある。君がその名前に誇りを持っているなら、僕がしっかり記憶に刻めるように、もう一度だけ、丁寧に教えてほしいんだ」


 

『当たり前でしょう!!』


 

 少女が、ついに大爆発した。


 

『あれは、一族の長たちが代々受け継いできた、魂の系譜なのよ! 一度名乗ったなら、それを聞いた者は魂に刻み込むのが、この世界の摂理なの! それを何度も何度も、練習台のように言わせるなんて……!』


 

「無理だって! 人間とエルフじゃ、スペックが違いすぎるんだよ!」


 

 僕も思わず、穴の中から精一杯の声を上げる。


 

「いいか、僕の国には【寿限無】っていう名前の長い話があるけど、それだって一度聞かされただけで完璧にそらで言える奴なんて、一握りの変人だけだぞ!」


 

『だから、さっきから言っているそのジュゲムって何よ! 私の名前よりも価値があるように聞こえるのが、何よりも腹立たしいわ!』


 

 少女は感情をぶつけるように、杖で地面を強く叩いた。


 コン、と乾いた硬い音が森の空気に波紋のように響き渡る。


 

『いい? よく聞きなさい。エルフの名前というのは、単なる個体を識別するための記号なんかじゃないの』


 

 少女は、少しだけ荒くなった呼吸を整えるように、自身の平らな胸元にそっと手を当てた。


 

『代々の先祖たちの輝かしい名、偉大なる功績を継ぎ、森の歴史を背負って生きるための証。一つ一つの音節に、私たちのルーツが宿っている。それを連ね、呼び続けることで、私たちは自分が何者であり、どこから来たのかを、永遠に忘れないようにしているのよ』


 

「へぇ……」


 

 僕は、少しだけ圧倒され、感心してしまった。

 単なる見栄や飾りではなく、一族のアイデンティティを保つための装置として、その長い名前が存在しているというのか。


 

「……歴史の連なりか。じゃあさ、ちょっと気になったんだけど」


 

『な、何よ。素直に謝る気になった?』


 

「いや、そうじゃなくて。今の話だとさ、先祖の名前をどんどん継いでいくわけだろ? ってことは……」


 

 僕は、ふとした疑問を口にした。


 

「君の曾祖母様の名前って、今の君の名前より……短かったりするのか?」


 

 少女は当然のことわりであるかのように、迷うことなく頷いた。


 

『当たり前でしょ。受け継ぐべき先祖の数が、私より少ないんだから。曾祖母様の名前は、私より三つ分も短いわ。とても簡素で、それでいて気品に溢れた美しい名よ』


 

「やっぱりそうか! ってことは、君から見てひ孫とか、そのもっと先の子孫になったら……」


 

 僕は想像して、思わず身震いした。


 

「さらに名前が増えていくんだろ? 唱え終わるまでに、小鳥が三度囀さえずるどころか、日が暮れちゃうんじゃないか?」


 

『それが、私たちの繋いできた時間の重みなの。誇り高きエルフの品格、家系の厚みなのよ。分かった?』


 

 少女はきっぱりと言い切り、勝利を確信したようにふんぞり返った。


 

 ……なるほど。


 誇り。

 伝統。

 歴史。

 理屈は十分に分かった。


 エルフという種族が、いかに【名】というものを重んじ、世代を重ねるごとにその重みを増していくのかも。


 

 でも。


 

「……理屈は分かったけど。やっぱ、どうしても、長いって」


 

『この、救いようのない、想像力のかけらもない人間――!!』


 

 森の中に、エルフの少女の絶叫が木霊した。


 誇り高い伝統を「実用性」という物差しで測ろうとする少年。

 その名は、宮村洸。

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