第1話 最弱能力『掃除』の僕、スライムだけ吸い込めるんだが
『なんで、こんな所にスライムが湧くのよ!』
森の薄暗い静寂を切り裂くように、杖を握った少女の鋭い声が響く。
木漏れ日が届かない深緑の奥底。
湿った土の匂いと、腐敗した落葉の香りが混ざり合う空間で、彼女は苛立ちを隠そうともしなかった。
スッと杖を掲げる様に向ける。
周りの草木がザワザワと騒がしく揺れ、見えない力が行使されるのを祝福しているようだ。
すると小さな光の輪が、波紋のように地面を照らし出した。
その中心に捉えられたのは、ぶよぶよと形を変えながら這いずる、半透明なゼリー状の塊。
『……消えなさい!』
鋭い一喝。
杖から放たれた衝撃波が、逃げ遅れたスライムの核を正確に貫く。
ボフンっ。
濡れた雑巾を地面に叩きつけたような、鈍くて不快な音が森に消えた。
『こんな弱いの、私の敵じゃないのに……』
少女はふぅ、と深い溜め息をつき、細い腕を組んだ。
本来、このあたりは村の子どもたちでも遊べる程に安全圏のはずだ。
しかし、今日は様子が違う。
普段は現れないはずのスライムが次々に現れている。
『ここにスライムが湧く理由が、必ずあるはずよ。
絶対に突き止めてやるわ』
誰に言うでもない、自分自身への誓い。
少女は杖を軽く振る。
青白い魔力が霧のように森へ漂い、靴に付着した僅かな残滓を完全に消し去った。
彼女は小さな足で、再び森の闇へと駆け出していく。
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宮村洸は、重い瞼をこすっていた。
「うー……。あと、五分……。いや、十分……」
枕元で鳴り響くアラームを、力なく手探りで止める。
ベッドから這い出したのは、太陽がすでに窓枠をオレンジ色に縁取った頃だった。
鏡の前に立つ。
寝癖でボサボサになった髪が、朝日に透けて妙な形に光っている。
黒縁の眼鏡をかけるが、それすらも少し斜めに傾いたままだ。
「……眠い。一生寝ていたい……」
のろのろと制服に着替え、トーストを口に放り込む。
玄関を出ると冷ややかな朝の空気が、少しだけ頭をはっきりさせた。
遠くの空には、巨大な塔のような【ダンジョン】の影が、蜃気楼のようにぼんやりと浮かんでいる。
現代において、それは富と名声、そして恐怖の象徴だ。
けれど、洸にとってそれは、自分とは一生縁のない、テレビの向こう側の景色に過ぎなかった。
彼に宿った能力は、掌に小さな穴を作り、物を吸い込むだけ。
『掃除』と揶揄されるその力で、モンスターと戦うなんて想像もできない。
「……まあ、今日も平和なら、それでいいか」
いつもの通学路。
風が頬を優しく撫で、街路樹のざわめきが耳に心地よく届く。
足元で乾いた音を立てる落ち葉を踏みしめながら、彼は校門をくぐった。
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教室に入った瞬間、突き刺さるような視線と、湿った笑い声が彼を迎える。
『お、噂の「掃除くん」のお出ましだぜ』
『おいおい、あんまり近づくなよ?
筆箱とか吸い込まれたら困るからな』
『ははは! 掃除機より性能悪いんだろ? ダンジョンのゴミ係でも志望してんのかよ』
心無い言葉の礫。
洸は言い返すこともせず、ただ肩をすくめて、視線を自分の靴の先に落とした。
「……まあ、掃除だからね。間違ってはないよ」
自嘲気味に呟き、自分の席に座る。
怒るエネルギーすら湧いてこない。
自分は「普通」でいい。目立たず、期待されず、ただ静かに生きていければそれでいい。
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授業中、先生の解説は右の耳から左の耳へと抜けていった。
窓の外で揺れる木の葉。
空を横切る名もなき鳥。
黒板に並ぶ数式は、まるで意味を持たない記号の羅列だ。
(……僕は、普通でいいんだ)
何度も自分に言い聞かせ、机に突っ伏す。
胸の奥にある、正体不明の空虚さに蓋をするように。
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放課後。
自主練習に励む生徒たちの怒鳴り声を背に、洸は一人、夕闇が迫る帰り道を歩いていた。
街灯が灯り始める直前の青い時間。
立ち入り禁止のフェンスが続く森の境界線。
ふと、足元に違和感を覚えた。
「……え?」
フェンスの下、コンクリートの隙間から、ぬるりとした影が這い出してきた。
それは、街の明かりを反射して不気味に輝く、ゼリー状の塊。
教科書でしか見たことのない、本物のモンスター。
スライムだ。
逃げなきゃいけない。
そう思うのに、足がアスファルトに縫い付けられたように動かない。
心臓が警鐘を鳴らし、喉の奥がカラカラに乾く。
スライムは、洸の恐怖を感知したかのように、その半透明な体を大きく膨らませた。
「ちょ、ちょっと待って……冗談だろ……?」
逃げ場はない。
スライムがバネのようにしなり、洸の顔面を目掛けて飛びかかってきた。
反射的に、両手を前に突き出す。
「戦う」ためではない。ただの「防御」としての、無意識の拒絶。
「ごめん、ゆるして……っ!」
その瞬間。
彼の掌の中心に、小さな漆黒の「穴」が口を開けた。
触れた瞬間。
あんなに巨大だったスライムの体が、掃除機に吸い込まれるティッシュペーパーのように、シュルシュルシュルッと音を立てて消えていく。
一秒にも満たない。
静寂が戻った路上には、湿った跡すら残っていなかった。
「…………え?」
洸は、自分の掌を凝視した。
黒い穴は、役目を終えたかのようにスッと消失している。
「今の……僕が……?」
ただの「掃除」の能力。
消しゴムのカスや、埃を吸い取るだけだと思っていた。
それが、人を殺しうるモンスターを、一瞬で飲み込んだ。
心臓の鼓動が、耳の奥で激しく打ち鳴らされる。
全身にアドレナリンが駆け巡り、震える手で地面を見る。
そこには、スライムの核であっただろう小さな魔石が、ポツンと転がっていた。
「……嘘だろ」
今まで感じたことのない手応え。
吸い込んだ瞬間、手の平を通して伝わってきたのは、「消失」の感覚。
内部に消えていったスライムの質量が、自分の細胞の一つ一つに溶け込んでいくような、奇妙な熱。
洸は恐る恐る、集中してみる。
掌に意識を向けると、再びあの黒い穴が、意思に呼応するように現れた。
「これ……もしかして僕……」
胸の奥で、小さな火花が爆ぜた。
無能だと、ゴミだと笑われてきた日々。
諦めることが正解だと信じ込ませてきた、自分自身の弱さ。
(……強くなれるのか? これで)
初めて、真っ暗な日常に一筋の光が差し込んだ気がした。
それは希望であり、同時に、取り返しのつかない変革の始まりでもあった。
夕暮れの赤い光が、彼の眼鏡を鋭く照らす。
洸はしばらく、その場から動けなかった。
手に残る感触を忘れないように、何度も拳を握りしめる。
「……まあ、掃除能力だけどさ。ちょっと……面白くなってきちゃったかな」
こぼれた独り言は、いつもより少しだけ熱を帯びていた。
小さな穴。
洸はゆっくりと立ち上がる。
空の色はすでに深い紫へと変わり、街の灯りが星のように散らばっている。
まだ怖い。
明日がどうなるかもわからない。
けれど、足取りは不思議と軽かった。
「掃除くん、か」
その蔑称すら、今はどこか心地よい響きに変わっていた。
ゴミを吸い取るだけなら、この世界の「ゴミ」も全部、消してしまえるのではないか。
そんな不敵な想像を胸に、彼は夜の帳へと踏み出した。
宮村洸の、本当の「掃除」が、ここから始まる。
作者です。
作者はメンタルが雑魚なので、批判はマイルドにお願いします。
作者は単純ですので、評価していただけると創作意欲が湧き上がりまくります。
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